第173話 激動 エピローグ~離別~


 ケーキによって糖分が補給されたヴィルヘルミネの頭は、冴えていた。冴えわたっていた。だから会議を招集するにしても、ヴァレンシュタインが去ったことを確認してからでなければと考え、その後に集まるよう命令を下している。


「皆を呼んだのは他でもない、今後の方針を決する為じゃ。現在キーエフ軍を退けた我等は今、総勢三万八千の陸軍と七千の海軍を有しておる。合計で四万五千じゃ――十分に大戦力と言ってよい。

 思うに余は、これを活かすべきだと思うのじゃ。ランスの問題にせよフェルディナントの問題にせよ、我らが団結して力を合わせれば、この難局にも対処できるのではないか――とな。

 どうじゃ、バルジャン――今後も余に兵を預けてみぬか?」


 皆が天幕に揃うと、ヴィルヘルミネは真剣に言った。彼女は究極の他力本願を発揮し、他国の将兵すら味方に引き込もうというのだ。


 席に着いたのはヘルムート、トリスタン、エリザ、リヒベルグ、オルトレップ、ロッソウ、エルウィン、といったフェルディナント側の士官、それからバルジャン、オーギュスト、アデライードなどのランス側の士官達であった。


 一同は騒めき、ヴィルヘルミネの意図を測りかねている。まさか他力本願ゆえに、バルジャンを口説いているとは思わない。アデライードも令嬢の発言にハッとして、緑眼に一縷の望みを宿していた。


 ――ヴィルヘルミネ様ならば国王陛下と父上の命を救い、ランス政府を黙らせることが出来るかもしれない!


 ゾフィーは令嬢の背後に控えていて意見を言える立場にはないが、気宇壮大な令嬢の背中を見つめ、「流石です、ヴィルヘルミネ様!」と心の中で念じていた。


「そうですね……そう言ってくれるのは嬉しいですが、いま問題があるのはランスだけでしょう。いつも通りヴィルヘルミネ様に助けて貰いたいのは山々ですが、流石に今回ばかりは虫が良過ぎるかなって――……」


 問われた本人であるバルジャンは、栗色の髪を左手で掻きまわし、くぐもった声で言った。一日中ゴロゴロしている割には目の下に隈があり、憔悴しきったような有様である。


「言葉が足りなかったの、バルジャンよ。今、フェルディナントも未曽有の危機に直面しておるのじゃ。北部ダランベルの諸侯が一万五千の軍勢で攻め寄せ、また東方よりプロイシェ軍六万が迫っておる。これを撃退せねばならんから、余としても卿の戦力をあてにしたいのじゃ」


 ヴィルヘルミネは氷の彫像のように眉一つ動かさず、国家存亡の危機を口にした。いかにも軍事の天才らしい雰囲気だ。しかし実際のところ令嬢はビビリ過ぎて、顔が固まっていただけである。

 それでも何とかしてバルジャン師団を自分を守る戦力として加えたいから、一生懸命喋っていた。


「なるほど。この話には、ヴィルヘルミネ様も利があるってことですか」

「んむ。兵力分散の愚を犯すよりは、各勢力を各個に撃破したいと思うのじゃ」

「――と、申しますと?」

「つまりの、まずはレグザンスカ領へ行き、王党派を打ち破る。むろんこれは、説得でも構わん――相手がアデリーの父君であれば、余の説得には応じるかも知れぬからの」

「説得?」

「余はの、シャルル陛下を保護し奉り、ランス国王の名において北部ダランベル同盟の解体を命じて頂くつもりじゃ」

「なるほど。そうすれば確かにランスの平和は回復し、国王陛下の身も安全になりますな。それに北部ダランベルの諸侯に対しても、十分な牽制になりそうだ」


 バルジャンが手をポンと打つ。その手があったか! という顔で目を丸くしていた。


「で、ある。ダランベル諸侯はランスの爵位を併せ持つ者も多いから、これは有効な手じゃろうて。そして奴等が動揺しておる隙に、全軍を上げてプロイシェを討つ。これにて終いじゃ。どうじゃ、名案であろうが?」


 糖分を補給したヴィルヘルミネは、まさに無敵であった。机上の空論をぶん回し、最近ふくよかになりつつある胸を反り返らせて、「余、マジで天才かも」と悦に浸っている。そんな思い込みが、令嬢の心から恐怖心を取り除いた。今はもう、「フハ、フハハ」と悪役っぽく笑うほど上機嫌であった。


 実際ヴィルヘルミネの基本構想は壮大かつ稀有であり、パッと見は天才的だ。しかし、そんな令嬢へ敢然と冷や水を浴びせたのは、誰あろう参謀総長のトリスタン=ケッセルリンクなのであった。


 ■■■■


「非常に名案かと存じますが、これを実行するに当たり三つの問題点がござます」

「……ふん」


 ヴィルヘルミネは片眉を吊り上げ、顔の善し悪しで選んだ参謀総長の端正な顔を睨む。イケメン過ぎて、心が蕩けそうになった。やっぱり余の人選に間違いはないの――と再び謎の悦に浸る。

 だがしかし、彼の正式カップリングはエルウィンだ。なのに隣に座っているのはリヒベルグだから、「くぅー! 浮気しおってッ!」と不思議な怒りを発し、令嬢は「ふん」と鼻を鳴らしたのだった。


 むろんトリスタンは主君の奇天烈な思考など、理解も予想も出来るわけが無い。なので冷静に軍事的な問題点を並べ立てていくだけなのであった。


「第一の問題は補給です。およそ四万の大軍を、ランスの南から北へ縦断させねばなりません。文進合撃を採用するにせよ、物資の現地調達は必須となるでしょう。軍票を発行しフェルディナントのそれで支払ったとして、ランス政府がこれを認めるかどうかは分かりません」

「で、あるか」

「第二に、ランス政府の命令は国王討伐であります。つまり我等がシャルル陛下を保護してしまえば、その時点でバルジャン少将に下された命令が別の意味を持つことになりましょう」


 トリスタンが正面左に座るバルジャンへ送った視線は、珍しくやや同情的な温もりがあった。


「つまり国王陛下を保護した時点で、私には諸君と戦うべき責務が生じる……ということかな。ケッセルリンク少将?」

「バルジャン少将――……貴官がランスの新政府を裏切らない限りは、そうなりますな」

「やれやれ、魅力的なことを言ってくれるが。そんな場合、貴官ならどうするかね?」

「個人の希望より、職務に対する責任を優先しますな。軍人ですから」

「私だって軍人さ。しかもランス政府から給料を貰っている、ね」


 重い沈黙が下りた。バルジャンとて、ランスの新政府など裏切ってしまいたい。けれどキーエフ側と交わした講和の条件を果たす為にも、自らは政府側であらねばならなかった。「命令には従わざるを得ない」――それが眠らずに散々考えた末に導き出した、彼の結論である。


 そしてバルジャンは、全ての決着が付いたら退役して、故郷で農家にでもなってやろうと目論んでいた。オーギュストとアデライード、それからダントリクを誘って――と。


 しかし、国王の命も救いたい。それを考えるとバルジャンは、別の未来を漠然と思い描いてしまうのだ。それは自らが政権中枢を占めることで、国王の生存を保障する法を作ること。

 だが「柄じゃない――」とバルジャンは思い、その道から意図的に意識を逸らしていた。


 沈黙を破ったのは、やはりトリスタンの声であった。


「第三の理由を申し上げます。第一、第二の問題点を解消出来たとしても、これが最大の問題となるでしょう。言うまでも無く時間です。万が一戦況が膠着し長引けば、その間にプロイシェが公都バルトラインを落としてしまうことも考えられますからな。

 以上の点から、小官は摂政閣下の作戦案に反対致します」


 トリスタンの意見は理路整然として、分かりやすい。だからヴィルヘルミネは「ぐぬぬ」と口をへの字に曲げながらも、結局は彼の意見の正しさを理解し、「で、あるか」と頷いている。


 ヴィルヘルミネは無茶で無謀な作戦を考えたりもするが、基本的には合理主義者だ。だから他者の意見が自身の案を覆そうとも、そちらに理があれば納得をした。ましてやそれが、イケメンの意見ならなおさらのことだ。

 

 結局、この日に結論が出ることは無く。明日までに案を考えるよう各自に命じ、ヴィルヘルミネは会議を解散させた。


 ■■■■


 翌日、会議の席にアデライードは姿を現さなかった。その代わり蒼白な顔でオーギュストがヴィルヘルミネに一通の手紙を差し出し、見せたのである。差出人はレグザンスカ公爵であり、アデライードの参戦を求める内容であった。


「なぜ、行かせたのじゃ……?」


 紅玉の瞳に、心底からの怒気が宿る。彼女はオーギュストとアデライードの関係を知っていた。だからこそ彼が、「なぜ止めなかったのか」を理解出来なかったのだ。


「止めなかったわけじゃない。ただ、俺は――……」


 オーギュストは血が出るほど下唇を噛み、握った拳を震わせている。


「ヴィルヘルミネ様、こいつを責めても仕方がないでしょう。結局これは、昨日のうちに結論を出せなかった私達のせいだ。いや――厳密に言えば、私のせいなんですよ」


 唇を引き結んだバルジャンが、オーギュストの肩をポンと叩く。そして言葉を続けていた。


「だから、ここでお別れしましょう、ヴィルヘルミネ様。あなたには、これ以上迷惑を掛けられない――……国王陛下もランスの民も、私がきっちり救います。たぶん私は、その方法を知っているから」

「どういうことじゃ、バルジャン? それは必ず成功するのか?」

「この世の中に、必ずや絶対なんて無いでしょう。でもまぁ我儘を言わせてもらえるのなら、私が失敗したら、後のことは頼みますよ――ね、ミーネ様」

「な、何をするつもりなのじゃ、バルジャン!?」


 ヴィルヘルミネの問いに、バルジャンはもう答えない。陣を引き払えとオーギュストに命じ、颯爽と天幕を後にした。

 取り残されたヴィルヘルミネは癇癪を起しそうになったが、けれど膝を折って泣き崩れる金髪の親友を慰めていたら、自分もやたらと悲しくなって。


「アデリー……師匠……わたし、あなたが悩んでいたこと、ぜんぜん気付かなくて……」

「アデリーが出て行ったのは、ゾフィーのせいではない。誰のせいでも無いのじゃ。余もアデリーは、ずっとオーギュの側いると思っておったから……父などよりよっぽど。だから……でも……オーギュもバルジャンと共に行ってしまうし……みんなバラバラになってしまったのじゃ……」


 こうしてフェルディナント軍も陣を引き払い、北上することになるのだが――……。

 彼等はトゥール州を統治する為に海軍と五千の軍勢を残す他なく、結果として二万五千の兵力でプロイシェ、北部ダランベル同盟軍と戦うことになった。


 この年ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントは公国最大の領土を獲得したにも関わらず、翌、帝歴一七九〇年を失意と激動の内に迎えるのであった。

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