第171話 激動


 雨は降ったり止んだりを繰り返していた。断続的で不規則な雨音が、天幕の中に響いている。

 天幕の中は昼間にも関わらず、薄暗かった。四方に置かれたランプの灯りも、暗く湿った空気を照らすには、力不足なのだろう。


 そんな中でもランス軍の下級士官や兵卒が、喜びを爆発させていた。いよいよ今日、キーエフ軍が撤退するからだ。


「俺達が、あのヴァレンシュタインを撤退させるんだ!」

「敵軍の三分の一の数で出撃したってのに、俺達はやり遂げた! これで胸を張って故郷へ帰れるぞ!」


 彼等は皆、祖国の現状を知らない。だから素直に勝利を喜び、これから訪れるだろう平和に期待が持てるのだ。しかし、国王造反の事実を知るランス軍の幹部達は複雑な表情であった。


 特に数日前、「国王討伐命令」を受け取ったバルジャンは、朝から生気を失っている。ヘルムートの言葉が嘘であることに一縷の望みを繋いでいた彼にとって、それは死刑宣告にも等しいものであった。


 使者には「了承した」と告げたバルジャンだが、心の内では国王に弓引くことが恐ろしくて仕方がない。いくら田舎貴族の三男坊だからといって、国王は絶対との教育なら受けてきた。それを今更覆せと言われても、なかなか出来ることでは無いのだった。


 ただ、どちらにしろ兵士達に真実を告げるべき時は迫っている。彼等は大半が平民や農民だから、恐らくどのように説明をしたところで国王とレグザンスカ公爵を憎悪するだろう。なんだかんだと言っても革命は無産階級の者に、確かな恩恵を齎しているのだから。


 ――こいつらのことを思えば、新政府の命令に従うべきなんだろう……そりゃあ分かっているさ、分かっているんだ。


 悶々と考え続けるバルジャンは今日も頭を抱え、ゴロリゴロリと天幕の隅で転がっていた。


 ■■■■


 アデライードとオーギュストは、共に無言を貫いている。だが王党派の首謀者を父に持つアデライードと、十人委員会と深い繋がりのある兄を持つオーギュストの立場は、言うまでも無く真逆であった。


 しかしオーギュストは無言でありたかったわけではなく、アデライードと今後のことを相談しようと思い声を掛けたのだが。


「私に近づくな……」


 アデライードにそう言われてしまえば、オーギュストは先日交わしたキスさえも、幻だったのではないかと思えてしまう有様で。

 ただ彼女の心情を思えば、穏やかでいられるはずもなく。それを察して、オーギュストはアデライードと距離を置いたのであった。


 そのアデライードは、ここ数日ゾフィーと剣の稽古に打ち込んでいる。しかも今朝、どういうつもりかレグザンスカ家の家紋が彫られたマンゴーシュを彼女に託していた。


「まだ免許皆伝――とはいかないけれど、あなたには十分レグザンスカ家の剣術を叩き込んだつもりよ。今後も研鑽を惜しまなければ、あなたはきっと世界で三番目に強い剣士になれるはずだわ」

「世界で三番目? では一番目と二番目は、いったい誰なのですか?」

「二番目は、この私――だから必然的に一番強い剣士は、いつかどこかで、この私を討ち負かす人物ということになるわね」


 片目を瞑ってみせながら、アデライードが悪戯っぽく答えている。ゾフィーはゴクリと唾を飲み込んで、「だ、だったらわたしが、必ず一番になってみせます!」と叫んでいた。


「そうね――その意気で頑張りなさい。神は研鑽を惜しまぬ者のみに、きっと祝福を与えるのでしょうから。あぁ、そうそう――……今日は、これをあげようと思っていたのよ」

「これは?」

「レグザンスカ家伝来のマンゴーシュよ。私の剣は一撃必殺が極意――……けれど我が家の剣術は、本来が二刀なの。言ってしまえば、私の方こそ邪道でね。その意味ではあなたの方が、我が家の剣術を正確に継承したことになるのよ」

「し、しかしわたしはレグザンスカ家の人間ではありませんし、そのように大切な物を受け取る資格は……」

「いいのよ、ゾフィー。大切なのは技と心。あなたは私が技を教え、心を通わせた唯一の弟子なのだから――……あなたにこそ、持っていて欲しいの」

「師匠に、そう仰って頂けるのは光栄です! そういうことでしたら、有難く頂戴いたします!」

「でも、師匠いうな!」

「す、すみません!」

「アハハ――じゃあ、またね」


 ゾフィーの頭を軽く撫で、アデライードは立ち去った。それが今朝、雨を凌げる木陰で稽古を終えた後のことなのであった。


 ■■■■


 フェルディナント側にも今朝、重大かつ深刻な情報が齎された。それは「プロイシェ軍がフェルディナントへ向け、進軍を開始した」との情報である。


 しかもそこにはフェルディナントの北側――プロイシェとの緩衝地帯にいる諸侯たちの一部が、「北部ダランベル同盟」を結成した。これがあろうことか、フェルディナントに対し宣戦を布告したとの情報も含まれていたのだ。


「我々はボートガンプ侯爵の遺児であるオットー殿を、ツヴァイクシュタインの正式な領主とすべく兵を起こすものである! かの地は皇帝陛下よりボートガンプ侯が正式に賜りし地なり! ヴィルヘルミネとその一党には、かの地を統治するいかなる権利も無し!」


 この布告はダランベル北部同盟盟主ザルツァ辺境伯の名で出され、中核たる軍も辺境伯の私兵七千であった。総司令官として十一歳のオットー=フォン=ボートガンプが担ぎ出され、これを補佐する副将として辺境伯の長女エミーリアが従軍しているという。要するに彼女が実質的な指揮官というわけだ。


 この軍の総勢は他の諸侯の私兵を合わせ、一万五千に達している。規模としては師団と旅団が一つずつといったところであった。


「迷惑な神輿を担ぎ出し御大層な名分を振りかざしてはいますが、北部ダランベルと言えばプロイシェに隣接する地域であり、要するにこれは軍国の傀儡でしょう。とはいえ一万五千の軍勢はやっかいですし、南部の諸侯にも圧力を掛けていますから、更に膨れ上がる可能性も否定できません。そして彼等が目指しているのは、当然のことながらツヴァイクシュタインです」


 ヘルムートは部下から齎された報告を、要約してヴィルヘルミネに伝えていた。


 このツヴァイクシュタインとは叔父にして仇敵のカールおじさんこと、ボートガンプ侯爵の根拠地であった都市だ。現在は公国第二の街として栄え、リヒベルグ師団が司令部を置いている。

 

「担ぎ出されたオットーですが、彼を保護していたのは恐らくプロイシェでありましょう。ダランベル北部の諸侯が保護していたのであれば、我等の耳目を集めぬはずがありませんから」

「で、あるか」

「そのプロイシェ軍の動向ですが――彼等は帝国領を通過し、東側から公都バルトラインを直接狙うつもりのようです。兵数は六万――総司令官はグロースクロイツ大公とのこと。国王オイゲン三世の弟で、軍事に関しては兄よりも定評がある男です」

「んむ」

「プロイシェが軍を動かす名目は北部ダランベル同盟を後押しし、オットー=フォン=ボートガンプの復権を支援する、とのこと。あくまでも義による助太刀を強調しておりますが、つまりは万が一の場合に責任を回避つもりなのでしょう。まったく、あの煮え切らない国王のやりそうな事です」


 こうしてヘルムートは、天幕の最深部で椅子に座り、アンニュイな表情でぼんやりとする赤毛の令嬢へ対して報告を終えた。


 垂れ布を隔てた天幕の入り口付近からは、未だにランス将兵の嬉しそうな声が聞こえている。そんな中、ヴィルヘルミネはゆっくりと紅玉の瞳を天井へ向けて、二度、三度と目を瞬かせていた。


「あう、あ……う……あー――……」


 どうやらヴィルヘルミネは情報過多で、キャパシティをオーバーしてしまったらしい。ロボットであれば、頭から煙を吹いているところだ。しかし一応人間である彼女は、椅子に座ったままコテンと横へ倒れてしまい……。


「余に、ケーキを……もて。ショートケーキ……じゃぞ。苺が乗っていなければ……話にならぬ……からの」


 昏倒しつつも、おやつが欲しい赤毛の令嬢なのであった。

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