第166話 果報は寝て待て、広がる領土


「どうして……どうしてそんなことになったのか、シュレーダー閣下はご存じなのですか?」


 震える声で、アデライードが問う。ヘルムートは視線に同情を滲ませ彼女を見たが、しかし答えは冷然としたものであった。


「五万の大軍がキーエフ軍によって壊滅し、シチリエ将軍は虜囚の身。そしてランスで最も有能な将軍がなけなしの兵をかき集め、首都から遠く離れているのです。

 誰がどう考えても兵を起こすには、今が絶好の機会だ。ましてやリスガルド王国の後押しがあるとなれば、浅はかな夢も現実味を帯びてきますからね」

「そんな……リスガルド王国が後押しですって……?」

「はい。ですがこれも、当然といえば当然のこと。どの国も、ランスの民主共和化を恐れている。君主たちにしてみれば、明日は我が身ですからね」

「知っています――……だから外交交渉を駆使すべきだし、他国に干渉はしないと知らしめるべきでしょう。それも、早急に……」


 言い終えるとアデライードは悔しそうに、ギリッと奥歯を噛み締めた。だがヘルムートは涼しい顔で、ランスの現状について核心を突く。


「しかし今やランスには、それを他国に伝えることの出来る外交官がいないのです。法衣貴族の大半を、共和政府が追放してしまいましたからね。亡命した者だって多いでしょう。そして彼等は皆、共和政府の敵に回る」

「だったら、どうしろというのです!?」

「だから、戦うしか無いのでしょう」

「だからといって自国の王を排除する為に兵を起こせば、周辺国から一層の反感を買うのは必定です。それを政府は、凌ぎ切れると考えているのですかッ!?」

「考えているのでしょうね。何せ彼等には切り札がある」

「切り札?」

「それこそがランスの英雄――バルジャン少将。あなた、という訳です」

「へっ、私ですか!?」


 ヘルムートとアデライードの話を聞いて呆気に取られていたバルジャンが、豆鉄砲を食らいまくった鳩のような表情で顔を上げた。


「ええ。あなた以外にいったい誰が、ランス共和国軍の司令官となり国王を打倒した上で、外敵を討伐できるというのですか?」

「え、いやしかし私は少将の身で無爵ですし、すべてはヴィルヘルミネ様のおこぼれで勝っていただけなので……その……」

「無爵だからこそ、良いのでしょう。ともあれ、あなたを推す勢力が共和政府の中にはいる――ということです。まあこの場合、利用と言い換えても良いかも知れませんがね」

「しかし、いくら政府の命令とはいえ……」

「嫌ならいっそ、ヴァレンシュタイン公を頼ってキーエフにでも降りますか? 或いは国王側に付くのも、一手だとは思いますよ」


 ヘルムートはヴァレンシュタインをチラリと見て、何の反応も無いことを確認した。彼に個人的野心があるのなら、こうした話に一枚も二枚も噛もうとしてくるはずだ。しかし、その素振りは一切見せていない。

 一方バルジャンは頭を抱え、目を瞑っている。考えたくも無いのだろう。


「シュレーダー殿……どうしてあなたが、そこまで詳しく知っているのです? まさかあなた自身も、裏で何事かを画策したのではないでしょうねッ!?」


 アデライードの緑眼に、不審の輝きが宿る。実際、現状で最も得をしているのはフェルディナントだ。ならばヘルムートが何らかの策謀を巡らせたとして、何ら不自然なことでは無い。

 だが黒髪紫眼の宰相は、言下に否定した。


「それこそ、まさかです。改めて申し上げるまでもないことだが、我々フェルディナントはランスを立憲君主の道へ導くことこそ最良だと考えていました。ゆえに方々から情報は集めていますが、暴挙とも言えるレグザンスカ公爵の挙兵は、我々にとっても痛恨事なのですよ――公爵令嬢フロイラインレグザンスカ」

「そう……ですよね……すみません。私にも父が何を考えているのか……このままでは王党派と共和派で、国を二分した内戦に突入してしまう。しかも長引けば、多くの民が命を失うことに……」

「父君も、それを分かっておられるからこそリスガルド王国の力を借り、早期に決着を付けようとしているのでしょう。長引けば、ウェルズ王国の参戦もあり得ますしね」

「ウェルズまで動くというのですかッ!?」


 アデライードは驚愕に目を見開いている。ヘルムートはゆっくり、静かに頷いていた。


「その動きがある――という段階です。しかし、だからこそランス政府は、一刻も早い南方の安定を求めている。敵の数は、一つでも少ない方が良いですから」

「そ、んな……一刻も早く父を止めなければ……そもそも外国の勢力を招き入れ、内乱を起こすなんて馬鹿げているわ。私、父を説得してみます」

「無駄ですよ、レグザンスカ少佐。最も重要な点は、このシナリオを書いた人物が共和政府の内にいることです。だからこそ彼等は事前に情報を得ておきながら、レグザンスカ公爵の挙兵を止める為の手段を、何一つ講じなかった。全ては国王を殺し、完璧な共和国を作る為に……」

「それじゃあお父様は、敵に利用されているだけじゃないッ! でも、でも……国王陛下や王妃様が生き延びる為には戦うしかないというのなら、お父様の判断こそ正しくて……ああ……私は一体、どうすれば――……分からないッ!」


 アデライードは踵を返し、立ち去ろうとした。オーギュストが彼女の手を掴み、強引に座らせる。それから彼女の両肩を押さえつつも、優しく声を掛けていた。


「短気を起こすな、アデリー……いいか、今は落ち着くんだ。何か、何かきっと手はあるはずだから」


 バルジャンは盛大な溜息を吐き、俯いている。


「ねぇミーネ様、俺は一体どうすりゃいいんです? 討伐任務が出されたところで、国王陛下となんて戦えるわけがないでしょう?」


 ■■■■


 赤毛の令嬢は自分に向けられたバルジャンの声を聞き、ピクリと肩を震わせた。

 しかし彼女は腕を組み、無言のままだ。目も瞑っている。

 周囲は今こそヴィルヘルミネの言葉に期待をしているが、もちろん令嬢は絶賛居眠り中であり、答えられるわけが無い。

 だがその時、ついにヴィルヘルミネの鼻提灯が割れ――パンッ――彼女は「ハッ!?」とした。


 ――余、うっかり眠ってしまったのじゃ。バレておらんじゃろうの……?


 状況をまるで分かっていない令嬢はドキドキしながら警戒しつつ、寝起きの半目でジロリ、ジロリと周囲を見渡した。何故かアデライードが蹲り、苦しんでいる。大変! と思ったが、オーギュストが優しく介抱しているからムッとした。


 ――ムキーッ! こんな時、こんな場所でイチャつくとは何事じゃ! わきまえよ!


 令嬢の思考はブーメランだ。時と場所を弁えて眠るべきは、まさに自分であった。

 しかし破綻した己の理論に気付かず嫉妬に燃えたヴィルヘルミネは、細く美しい眉を吊り上げている。お怒りだ。そして言った。


「諸卿、時と場を弁えよ」


 今度は言動によって特大のブーメランをぶっ放した令嬢だが、しかし皆はヴィルヘルミネの居眠りに気付いていない。しかも彼女の言葉を、このように誤解していた。

 

 ――今は講和交渉の場である。にも拘らずランスの問題のみを語るとは、何事か! と。


 続くヴィルヘルミネの言葉が、その解釈に信憑性を与えている。なんと運の良い令嬢なのであろう。一生分の運を、二十歳までに使い果たさんばかりの勢いであった。


「――双方とも、我が宰相の提案した条件で良いのじゃな?」


 そもそもヴィルヘルミネはヘルムートが最初に条件を出したあと、意識を失っている。なので彼女が言うのは、当然ながら当初のやんわりとした条件であった。

 まさかトゥール州の割譲があるなどとは思っていないから、みんなで機嫌よく交渉を終わらせて、アデライードとオーギュストをさっさと引き離そうと思っただけなのだ。


 だが意外や意外。返事をしたバルジャンの声は、やたらと沈んでいた。


「――ランスとしては、他に道が無いのでしょうね。分かりました、了承します」


 ヴァレンシュタインは皮肉っぽく笑い、ヴィルヘルミネに片目を瞑っている。


「かくしてフェルディナントは漁夫の利を得る――か。私も、それで構わんよ」


 イマイチ状況の分からない令嬢は、相変わらず不機嫌そうな表情のまま、「で、あるか」と頷いて。この瞬間、フェルディナントの領土は二倍の広さに拡張されたのであった。

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