第165話 革命、未だ終わらず
青く晴れ渡った空に、一筋の細長い雲が流れている。遊弋する大鷲がピィーと一声鳴いて、西の空へと消えていく。
ヴィルヘルミネとヴァレンシュタインの会談は、予定よりやや遅れて始まった。
場所は第二高地から北へ二百メートルほどの地点だ。場所の指定と天幕の設営は、ランス軍が受け持った。キーエフ側が指定した時刻で会談を受け入れる以上、暗殺の可能性を排除する為には当然の配慮である。
こうして双方の陣営は五名ずつの代表団を組織し、正午を少し過ぎた頃に会場へ入った。
キーエフ側の代表はヴァレンシュタイン、参謀長、カーマイン少将、イシュトバーン、そして本国から使者としてやってきた参事官、ルックナーという男だ。
対してランス側の代表はヴィルヘルミネ、ヘルムート、バルジャン、オーギュスト、アデライードであった。ルイーズも父の下へ戻る為、交渉の席に顔を見せている。
天幕の中へ入った当初、両代表団は硬い表情で睨み合っていた。ルイーズは、その間へつかつかと分け入り、腕組みをして双方の陣営を一喝する。今この場では、彼女こそが唯一本当の意味で中立になっていた。
「あなた達、ここは和平を求める場なのでしょう? でしたらもっと、明るい顔をしたらどうなのかしら!? さあ、とにかくまずは握手するのだわ! たとえ屍の上に築かれる平和だとしても、それを作り出す行為よりはよっぽど良い事なのですからね!」
ルイーズとしてはもはやヘルムートがいるフェルディナントと父が戦うなど、悪夢であった。出来ればこれを機会に、恒久的な平和を求めたいと思っている。
何ならキーエフ帝国を敵に回しても、父とヘルムートが共闘するなら怖くない。ついでにヴィルヘルミネも付いてくるが、それはお友達なので許容範囲内なのであった。
が――娘のヘルムートに対する恋心など知らない父は、その成長を素直に喜んだ。ヴァレンシュタインはルイーズの頭を撫で、それからランスの代表たるヴィルヘルミネに右手を差し出している。
ヴィルヘルミネも流石に、差し出された手を跳ね除けようとまでは思わない。二人の握手を皮切りに、代表団は硬い表情ながらも握手を交わし、互いに名乗り合った。
■■■■
双方の代表団が、長机を挟んで席に着く。もちろん、中央で顔を合わせるのはヴィルヘルミネとヴァレンシュタインだ。
「会談を快く受け入れて頂き感謝する――ヴィルヘルミネ殿」
「いまさら感謝されてものぅ。ヴァレンシュタイン公には、こちらから会談を申し入れたこともあったのじゃが。それは、なにゆえ無視されたのか?」
「はて、正式な使者を受け入れた記憶は無いな――……あれば、何らかの返答をしていたはずだが?」
「貴殿の部下に親書を託した。にも拘わらず、今日まで何の返答も貰っていないのじゃが、じゃが?」
「ああ、あれか。あれは、偽物だと思ったのだ。でなければ、罠の類かと」
「ぬけぬけと言うの、卿は」
「よく言う。攪乱だろう、あれは――……でなければ、この地に要塞など築いていないはずだ」
「さての、何のことやらじゃ」
ヴィルヘルミネは自らが圧倒的に有利であることを知っている。だから悠然とヴァレンシュタインを挑発するようなことを言い、肘掛けに乗せた腕に頬杖をついていた。そして気怠そうに欠伸を一つすると、隣に座ったヘルムートを見て、「我が方の条件を提示せよ」と言い黙ってしまう。正直もう、面倒くさかった。
「我がフェルディナント公国はランスの同盟国として、宗主国たるキーエフ帝国軍の即時撤退を願います。その際、何らかの講和条約を結んでいただき、双方の捕虜を速やかに交換すれば、遺恨も残らぬものと考えておりますが……バルジャン少将は、これで構いませんか?」
ヘルムートは手にした書類を広げ、読み上げた。それから、ヴィルヘルミネを挟んで右側にいるバルジャンに確認をする。
「ん――……ああ、私、いや、ランスとしては、それで十分です。本来ならば侵略に対する賠償をして頂きたいところだが、それを言い出せばキリがない。ともあれ、今は戦争の終結を優先すべき時だ」
ヘルムートは頷き、ヴァレンシュタインにも問い質す。
「ヴァレンシュタイン公のお考えは、如何か?」
「私個人の考えで言えば、それでも構わない。しかし帝国軍大将としては、少々問題がある」
「と、申しますと?」
「軍を退き講和を結ぶのは良い、その為に会っているのだからな。だが、負けた訳でもない我が軍が退くのだ――何かしらの見返りがあって、然るべきではないのかな?」
「具体的には、何を?」
「ニーム、もしくはアルザスの支配権――むろん両方ではなく、どちらかでよい。でなければ、それに準ずるものだ」
「なるほど。それを我々が受け入れなければ、どうします?」
微笑を浮かべるヘルムートの眼光は、しかし柔和な表情に反して獰猛な猛禽のようだ。ヴァレンシュタインは顎に手を当てながら、黒髪紫眼の宰相を測っている。
「戦いは続き、人的被害が増すばかりであろうな。まあ、ともかく我が軍を撤退させたければ、相応の代価は出して頂こう――という話だ。商人がモノを売ったら、必ず金を得る。それと同じで、軍人が兵を動かしたなら、何らかの成果は必要なのだ」
「然り。では、こうしては如何でしょう。ランス王国共和政府はトゥール州を、フェルディナント公国に割譲する。当然我が国は帝国の領邦ですから、これは帝国が領土を拡張したことと同義。これならば、閣下の偉大なる戦果となり、我が国としても帝国に忠誠を示せるというものです」
「そうなるように、全ては手配済み――という訳か? 我が軍に敵対するかの如く兵を動かしておきながら、いまさら帝国への忠誠を語るとは。やるなぁ、フェルディナントの宰相殿は」
「閣下こそ、随分とハッタリがお上手です」
口元に爽やかな微笑を浮かべつつ、紫色の瞳に悪魔の輝きを宿すヘルムート。バルジャンは内容の恐ろしさに慄いて、思わず立ち上がった。
「ま、待ってくれシュレーダー殿! トゥール州の割譲なんて、そんなこと、私の一存では決められる訳がないだろうッ!?」
「問題ありませんよ、バルジャン少将。ランスにとっては同盟国たる我が国がトゥール州を預かるのですから、安全が保障される。これは既に議会の承認も得ていますし、もちろん我が国にとっては、これで念願の海路が開ける訳ですから――……最高の報酬です」
「詭弁だが、筋は通っている。私に異存はない。多少強引だが――これならば平和は保たれるだろう。ただしランスとキーエフは、同じ煮え湯を飲むことになるという訳だ。フェルディナントという名の、な」
「流石は名高きヴァレンシュタイン公爵――ご賢察、恐れ入ります」
ヴァレンシュタインの皮肉に対し、ヘルムートは微笑を浮かべたまま恭しく頭を垂れる。それこそ、勝者の余裕であった。
「待ってくれ。議会の承認というが、いくら何でもトゥール州を丸ごと割譲なんて、そんな馬鹿げた話は到底信じられないッ! 納得できる説明をしてくれッ!」
バルジャンはまだ納得出来ないのか、机をバンと叩いている。
「議会が何故、我々にトゥール州を割譲しても良いと考えるようになったのか、あまりキーエフの方々の前で公言すべきではないと思うのですが……それに、複雑な問題も含まれていますし」
「そう思うなら、なぜ朝食の席で言わなかった?」
「キーエフ軍が撤退に際し、このような要求をしてくるとは思いませんでしたから。私も、このカードを今ここで切るつもりは、ありませんでしたのでね」
「そうか――……それでも言ってくれ。もし講和を結んだ後で、話が違ったらおおごとだからな。ああ、シュレーダー殿を信じていない訳じゃあ無い、これを聞くのは、それが私の責任だからだ。悪く思わないでくれ」
「わかりました、将軍がそこまで仰るのなら……」
いったん言葉を切って、ヘルムートは語り始めた。
「レグザンスカ公爵がランス国王シャルル陛下を擁し、共和政府に反旗を翻しました。ですからバルジャン少将、あなたの下には間もなく、レグザンスカ公討伐の命令書を携えた使者がやって来るでしょう。そのため議会は我々にトゥール州を譲渡し、キーエフ帝国との緩衝材にする他に道が無かったのです。
ああ、そうだ。証明する書類も持っていますよ――今、ご覧になりますか?」
「陛下が? 馬鹿な――……レグザンスカ家は確かに武門だが、しかし新政府にも協力的だったはず。現にレグザンスカ少佐が――……」
ガタリとテーブルが揺れた。両手をついてヨロヨロとアデライードが立ち上がり、顔を真っ青にしている。
バルジャンも額に手を当て「そうか、シュレーダー殿が黙っていたのは……」と、絶句するのだった。
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