第162話 ニーム攻防戦 24


 キーエフ軍から来た使者との謁見を許可したヴィルヘルミネは当初、それが降伏勧告であると考えていた。しかし話をよくよく聞いてみれば朱色髪の名将は令嬢との会談を求めているらしく、益々もってヴィルヘルミネとしては都合が良い。が、しかし――その話を持ってきた人物が問題であった。


「分かったかしら、ヴィルヘルミネ! 明日の正午! 場所はあなたが決めて良いけれど、お父様と会談をするの! これは決定事項なのだわ! フフフーン!」


 朱色髪の少女が腰に手を当て、椅子に座るヴィルヘルミネの前で居丈高に叫んでいる。つまり使者は、ルイーズなのであった。


「――は? ルイーズ、貴様は己が立場を理解しておるのか?」


 首を傾げつつヴィルヘルミネが目配せをすると、ゾフィーが「心得た」とばかりに進み出た。すぐにルイーズを捕まえ彼女の顔面を右手で掴み、ギリギリと締め上げる。


「いたい、いたい、いたい、いたい! ゾフィー=ドロテア! あなたわたくしの顔を握り潰すつもりですの!? わたくしはキーエフ軍大将ヴァレンシュタインから、正式に軍使として来ましたのよッ!? それをあなた、無礼にも程があります!」

「軍使であれば交渉が決裂した場合、殺されることも覚悟の上なのじゃろうの?」

「ま、まってヴィルヘルミネ! 交渉はまだ決裂なんてしていませんわよね!?」

「さて、どうじゃろうの? 貴様の物言いが、どうにも余には癪に障るのじゃ。まったく貴様は昔から、タイツに詰まったクソのような娘じゃの……」

「な、なんて下品なことを言うのかしら、この子ったらッ! ミーネ、今の言葉を訂正なさいッ! 訂正して、あなたの凶暴な妹の手を、さっさとどけさせなさいッ!」

「凶暴な妹? どこにおるのじゃろうか?」


 ヴィルヘルミネはニヘラっと嫌味な笑みを浮かべ、顔を背けている。


「お覚悟を、ルイーズ=フォン=ヴァレンシュタイン」


 ゾフィーがさらに力を加え、ルイーズのこめかみに白く細い指がぐっとめり込んだ。


「うわぁ酷い! そして痛い! 前回はわたくしを殺さなかったクセに、今ここで殺そうというのですかゾフィー=ドロテア! それが妹たる者のやることですか!?」

「あの時は、あなたがヴィルヘルミネ様を憎からず思っていたからです。でも今ここで交渉が決裂したとあらば、仕方がありませんね」


 顔面を鷲掴みにしてルイーズを持ち上げながら、ゾフィーが冷然という。しかしこれほどの酷い状況にありながら、ルイーズは案外と元気であった。


「セバス中佐、セバスッ! わたくしが被害に遭っているというのに、なんで護衛のあなたが黙って見ているのです! さあ剣を抜け! 外敵を排除せよ! やれ、やってしまえー!」

「あ、いや――お嬢様。そもそも私が正使で、お嬢様が副使ですよ。……だいたいあなたが話をややこしくしたから、こんな有様になったんでしょう。むしろ少し黙っていてくれませんか」

「ムキィーーーー!」


 手足をジタバタとさせて、ルイーズが怒り狂っている。やはりゾフィーよりは弱いものの、彼女も確実に強者なのであった。


「だ、そうじゃ。ルイーズ――……いや、あえて呼ぼう、姉上よ。どうする、大人しくして余の前に頭を垂れ、許しを請うなら命だけは助けてやるのじゃが?」

「そんなことする訳ないでしょう! 殺すなら、さっさと殺しなさい! ただし、そうなったらあなた達だってお父様に、皆殺しにされるのだわッ!」

「む……そうか、ではゾフィー。足元から一センチ刻みに斬って、猫の餌にでもしてやるが良いのじゃ。ただし、くれぐれも殺すなよ? ヴァレンシュタインには削いだ鼻と耳でも送って、和を乞わせねばならぬからの」

「御意」

「ヒェ……! ご、ごめんなさい、ミーネ……様!」


 こうして分からされたルイーズはガタガタと震え、目の光を失った。

 幼いころからルイーズは一歳年少の赤毛の少女に上から目線で突っかかり、大体の場合酷い目に遭って終わる。その関係性を思い出し、茫然とするほか無いのであった。


「分かれば良いのじゃ、分かればの。余とて、そのような非道は心苦しい。やらずに済んで、何よりじゃ」


 ヴィルヘルミネは立ち上がってルイーズの前に行き、頭をポンポンと軽く叩いて薄く笑っている。

 そもそも朱色髪の少女も十分に美しいから、令嬢は好きなのだ。ついでに言えばゾフィーとの絡みも変則的ながら、アリだと思っている。だから、本気で殺そうなどと思うはずが無いのであった。


 ■■■■


 ルイーズの持ってきた話自体はランス軍にとって、願ったり叶ったりなものであった。しかも彼女が来たという事は最悪の場合、人質に出来る。

 もちろん、それを想定していないヴァレンシュタインでは無く、だからこそ罠の可能性を否定する存在として、ルイーズを送り込んだのだろう。


 つまり、なるべく早く話を付けたい――ということの証左であった。


 だがヴァレンシュタインが娘をそのように使うことに関し、ヴィルヘルミネは多少の嫌悪感を覚えている。とはいえ貴族社会とは本来そういうものだ。子は親の道具に過ぎないし、良き道具であることが孝行にも繋がるのだから。


「では、話を戻そうか――ルイーズ。つまりヴァレンシュタイン公は余と――いや、ランス王国共和政府と講和を結びたい、という認識で良いのじゃな?」

「そうね、でも勘違いしないで、ミーネ。お父様は、あなたを哀れんで手を差し伸べているに過ぎないの。このままではあなたの名誉は失墜し、帝国に対して反逆者にもなってしまうのよ?」

「ふむ……」

「今日の戦いで理解したでしょうけれど、あなたでは決してお父様には勝てないのだわ。その上であなたが謙虚になり諸々のモノを潔く差し出すのなら、この辺で勘弁してやりましょう――っていう提案なのよ」

「なんじゃ。平たく言えば、降伏勧告ではないか」

「そうね。そういう認識で、いいんじゃあないかしら。でも――対外的には講和だわ。それならあなたの名誉にも、傷はつかないでしょう。どう、悪い話では無くてよ?」


 肘掛けの先端を指でトントンと叩き、ヴィルヘルミネは思案顔だ。内心は思いっきり飛び付きたい話だが、ルイーズのドヤ顔に腹が立った。美人といえども、彼女は人をイラつかせる天才である。


「まあ、全ては明日の会談で決めればよい――ということじゃな?」

「そうね、それでもいいわ。わたくしの仕事は、あなたが会談の場に出てくるようにすること。それだけですもの」

「それまでにヴァレンシュタインが仕掛けてきたら余は貴様を殺すが――それも承知の上じゃな?」


 ヴィルヘルミネの嗜虐的な微笑を見て、ルイーズはガタガタと震えている。


「お、お、おお、お父様がわたくしをここへ送り込んだ以上、罠の可能性なんてありませんわッ! も、もちろん明日の会談までわたくしもここに居ますけれど、それはミーネ、あなたの安全を保障する為ですのッ! だ、だだ、だからミーネも、わたくしの安全を保障しなさいなッ!?」

「いやそれは分からぬ。余の場合は気分次第じゃからして、して」

「な、なななな、何を言っていますの、ミーネ! あ、ああああ、あなたが、わたくしを殺すはずがありませんわッ! そんなの、おおお、お見通しですわよッ!」


 言い切ったルイーズに、ヴィルヘルミネは頷いている。


「そうじゃの――ルイーズ……卿と余は、古い友じゃからの」


 ルイーズは面倒な少女だが、何故か昔からヴィルヘルミネとは気が合った。他の少女たちが花を摘み蝶を追っている時には、二人して蟻の巣に水を流し込んだり。あるいは蝶の羽を毟り、蟻の巣の側に置いたりもした仲だ。


 ――そう言えばあの時は、皆にドン引きされたの。思えば蝶々さん蟻さん、ゴメンナサイじゃった。


 別の日にはバッタの気門を探して水に沈め、窒息寸前まで追い込み笑ったりもした。


 ――あれ、余、ろくなことをしておらん……バッタさん、ゴメンナサイじゃ……。


「まあ良い、分かった。ヴァレンシュタイン公が会談を望んでおるというのなら、余としては拒むつもりもない。そもそも余は、この提案をこそ待っておったのじゃからの。

 じゃがの、ルイーズ。会談の結末がお前達の望む通りになるとは限らんから、そのときは覚悟しておくのじゃぞ。フフ、フハハ、フハハハハ……」


 目を眇めて凄む赤毛の令嬢は、あくまでハッタリであった。

 もともと降伏する気マンマンだったヴィルヘルミネだが、ルイーズが来たせいでこんな演技をする羽目になっている。コイツにだけは、何故か負けたく無かったのだ。


 だが実際のところ、ヴィルヘルミネはヴァレンシュタインに会うなり土下座も辞さない覚悟である。みんなの為の命乞いだ。貴族としてあり得ない程の見事さで、令嬢は激しく助命嘆願をするつもりなのであった。


 しかし幕僚達は今のヴィルヘルミネを見て、未だ彼女の真意を悟り得ないでいる。それも当然だ。

 何しろ氷の彫像を思わせるほど端正な顔で、令嬢は剛毅なことを口にしていた。それがまさか土下座の覚悟を固めているなどとは、思いもよらないことである。


 こうして十月三十日正午――当世の名将と軍事の天才は、会談をすることとなった。

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