第161話 ニーム攻防戦 23


 雷が過ぎ去ると、すぐにヴァレンシュタインは全軍に攻撃命令を下した。いよいよ、白兵戦であった。


 豪雨の中で前進を開始したキーエフ軍の歩兵部隊は、各高地にある塹壕手前の馬防柵に阻まれ、足踏みをしている。中でも、やはり第二高地の防備は厚い。


「閣下。やはり第二は守りが厚く、容易には突破出来ぬようですな。再三に渡り増援の要請が来ておりますぞ」

「ならば参謀長、突破は無用と伝えろ。敵兵を釘付けにしておくことが、今は肝要なのだ」


 ヴァレンシュタインは第二高地を攻める部隊の援軍要請に応じず、主力部隊を第三から第五高地へと振り向けた。


「無理をして敵の重要拠点を落とす必要は無い。戦が長引けば不利になると思わせることが出来れば、それで十分なのだ」

「しかし閣下、まずは馬防柵を突破しませぬことには……」

「攻城用の梯子を束ねて足場とすれば良い。しょせんは俄作にわかづくりの要塞だ。乗り越える部隊と掩護する部隊の連携を密にすれば、突破にはさほど時間を要さんだろう。参謀長――……私と部下の調整役も良いが、たまには具体的な戦法も考えて欲しいものだな」

「はっ、その……御意」


 こうしたヴァレンシュタインの命令は、無茶なものでも無謀なものでもない。それに加えて彼は参謀長に命じ、厳密に損害も管理している。具体的には大体規模で損耗率が五パーセントを超えた部隊は、必ず退くように命令を下していた。


 何しろヴァレンシュタインの目的はキーエフ帝国に有利な条件でランスと停戦し、即時撤退をすることだ。

 身も蓋も無い言い方をするなら、戦略的に優位な現状を戦術的な勝利によってランス軍に認めさせ、反撃は無益だと感じさせた隙に講和を結び、さっさと逃げる――ということであった。


 であれば強力な防御陣地を攻めて、自軍の損失を増やす必要は無い。従って彼の狙いがヴィルヘルミネの予測通り、第三から第五高地になるのは必然であった。


 また、ヴィルヘルミネの命令によりバルジャン自らが第四、第五高地に攻めやすい隙を作っている。このような事情からヴァレンシュタインは第三高地の攻撃も無益と判断し、十五時を過ぎた頃には攻略目標を第四、第五高地に絞っていた。


 十五時三十分、ついに第四高地が陥落した。

 ランス軍は必至の抵抗を見せたが、頼みの綱であるアデライードの騎兵部隊も泥濘に足を取られ、思うように動けない。そのような最中、先日負傷したベッテルハイム大佐が汚名返上とばかりに傷を押し、部隊の指揮を執って一気呵成に頂上を制圧したのである。


「くっそー! してやられたぁー!」


 なおこの時、ゾフィーが大根役者であることが判明した。


「わざとらしいから、退くときにそういうことを言うのはやめなさい。ね、ゾフィー」

「はい、師匠」

「師匠もやめて」

「はい、アデリー」


 ゾフィーはシュンとしたが、つまり、この敗北は擬態なのであった。


「――よろしい。ベッテルハイム大佐は現時点より防御に徹し、敵による拠点の再奪取を阻め。で、カーマイン少将は、まだ第五を落とせんのか?」


 ヴァレンシュタインは部下の報告に頷き、命令を下すと第五高地に目を向けた。こちらはカーマイン師団が攻めている。

 その後、第四高地の頂上にキーエフの国旗が揚げられたことから、カーマインも発奮したのだろう。十六時には彼も第五高地を占拠し、キーエフの国旗を掲げることに成功した。


「くっそー!」

「ゾフィー?」

「ごめんなさい、アデリー。つい……」

 

 以下略――である。


 こうして十七時、戦場が闇に飲まれると共に戦闘は終了した。


 結果だけを見れば、押しに押されたランス軍の敗北だ。しかし全てはヴィルヘルミネの命令に基づき、あらゆる戦局においてバルジャンが巧みに指揮を執っていた。

 その成果は恐るべきもので、今日の戦闘で失った将兵は百名にも達していない。鹵獲された砲も、僅か三門に留まっている。


 流石にこの報告を聞き、ヴァレンシュタインも形の良い眉を顰めていた。


「二つの高地を奪取して、鹵獲した砲が三門しかないだと……? まさか私の作戦に気付き、擬態を? いや、まさかな……」


 ■■■■

 

「ぷはぁー、つっかれたぁー! 三十回くらい死ぬかと思ったぁーっ!」


 前線で指揮を執り続けたバルジャンがヴィルヘルミネの下へ戻ってきた頃には、十九時を過ぎていた。本営の天幕へ入るや、水の滴る栗色の髪を麻布でガシガシと拭きながら、ヴィルヘルミネをチラ見してこれ見よがしに言っている。


「騒ぐんじゃないよ、クソガキ。アタシだって雨ン中、散々っぱら走り回って機嫌が悪いんだ。腹も減っているしねぇ」

「ハッ! アンタら海軍は、水に濡れんのが仕事だろう? そっちこそ、このくらいで騒ぐんじゃねぇよ!」


 湿気た葉巻に火を付けて、エリザがジロリとバルジャンを睨む。けれどランスの英雄も怯まない。今日は仕事をやり遂げた達成感からか、やけに強気なのだった。


「言ったね、このガキィ!」

「でもま、クルーズ提督――……アンタら海軍が居てくれて助かった。じゃなきゃ、もっと多くの大砲を敵に鹵獲されていただろうからな」


 不意にバルジャンが右手を差し出し、二ッと笑う。

 エリザも大人げなかったと自分を顧みて、顔を背けながらも差し出されたバルジャンの手を握る。


「素直に最初から、そう言えばいいんだよ。アンタの指揮ぶりも見事だった。驚いたよ――……ランスにゃ名将の類は、もういないと思っていたんだけどねぇ」

「はは……神将と呼んでくれても構わないぜ。あ、いや――超神将の方がいいか」

「そこまで褒めちゃあいないよ、ったく」

「はは。冗談、冗談。俺はただ、ヴィルヘルミネ様の指示に従っただけさ。名将なんて、柄じゃあないね」


 肩を竦めるバルジャンと口の端を僅かに持ち上げたエリザが、同時に赤毛の令嬢を見た。


「本当の名将は、ずっと目を閉じたままみたいだねぇ?」

「飛びついて労って貰えるとまでは思わないが、もうちょっとこう嬉しそうな顔をしてくれてもいいのになぁ……」


 ヴィルヘルミネは二人の視線にも気付かず、じっと目を閉じたまま椅子に座っている。

 彼女は脳内で、自分の作戦が完璧に遂行されたことを喜んでいた。その上で、次に訪れるであろう変化を待っている。具体的には、ヴァレンシュタインからの使者を、だ。


 だがふとヴィルヘルミネは目を開き、自分を見つめる幕僚達の姿を見た。すると、誰もが顔に泥を張りつけ、或いはずぶ濡れの姿で立っている。皆の苦労と努力をひしひしと感じて、ヴィルヘルミネは良心に呵責を覚えてしまった。

 

 ――余は、余一人の安全を得る為に、皆に苦労を強いてしまった。なんということじゃ!


 令嬢は唇を引き結んで立ち上がった。それから自分のマントを外し、バルジャン、エルウィン、エリザ、ゾフィー、アデライードと……とにかく目に付く順に、彼女は手ずから幕僚達の濡れた身体を拭いていく。マントが濡れて使えなくなると、何か布を持って来させて、また彼等の身体を拭いていった。


「え、あ、えぇ!? ヴィルヘルミネ様、ちょっと! は、はい!? あっ、自分で拭きます、拭きますから、大丈夫――」

「良くやった、良くやったのじゃ、バルジャン。少し髭が伸びておるが、それでも八十一点、合格じゃ。今日だけは許す。では、つぎッ!」

「は、はい? えっ? えっ?」


 バルジャンは自分の後も順に幕僚の身体を拭いていくヴィルヘルミネを見て、今日の苦労がいっぺんに報われた思いだ。フェルディナント軍に移籍したエリザの気持ちがよく分かり過ぎて、いっそ首をブルブルと左右に振っている。


 ――だ、ダメだ、ダメだ、マコーレ=ド=バルジャン! 父上や母上、兄上達だってランスにいるんだ。俺はフェルディナントには行けない……じゃなくて、行かないんだッ!


 全員の身体を拭くとヴィルヘルミネは振り返り、口を三日月型にして笑っていた。献身により良心の呵責を打ち消した赤毛の令嬢は、「はい、余の勝ち―!」と意味不明のことすら考えている。

 これでもう、天上の神々も許してくれるに違いない。だって余、サボってない!


 輝くランプを背にして皆を見渡すヴィルヘルミネは、まるで後光の差した悪魔のようだ。そんな彼女が腰に手を当て、不可思議な宣言をした。


「余は皆の働きを誇りに思う。よって余は諸君に約束しよう――……近く皆を、必ずや故郷へ帰すことを。それこそが今、余に与えられた責務じゃからして、して」


 この時ヴィルヘルミネに従う幕僚達は、全員が自然と片膝を付き頭を垂れていた。

 むろん令嬢が何らかの策を発動し、鮮やかにヴァレンシュタインを破るのだろうと考えていたこともある。だがそれよりも皆は、よく分からない彼女の迫力に圧倒されてしまっていた。

 

 しかしヴィルヘルミネとしては降伏の条件が整った以上、「ヴァレンシュタインとの交渉はマカセロ!」と言っているに過ぎない。そして「皆を生きて故郷へ帰すのが、私の仕事だ!」と宣言しているつもりであった。それはもう勝利を信じてやまない幕僚達とは、びっくりするくらい大きな乖離だ。


 ちょうどその時、キーエフ軍からの使者が来た。

 ヴィルヘルミネは口の端を吊り上げて笑い、「通せ」と命じて椅子に座る。

 幕僚達は彼女の周囲に座を連ね、通された使者をジロリ、ジロリと睨み付けるのであった。

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