第155話 ニーム攻防戦 17


 イシュトバーンは馬を巧みに操りゾフィーに近づいて、彼女の刀剣サーベルをかちあげた。踏み込み、隙が出来た少女の喉首目掛けて刃を水平に払う。

 ゾフィーは身体を逸らしてイシュトバーンの攻撃を躱すと、すぐに馬首を翻した。


「逃げるか、小娘ッ!」

「ヴィルヘルミネ様の御命令に、貴様の相手をする――などというものは無いからな」

「――ヴィル……ヘルミネッ!」


 愛しい赤毛の少女の名を聞き、思わず赤面したイシュトバーン。お陰で馬を駆り走り去るゾフィーを追うのが、一瞬だけ遅れてしまった。


 イシュトバーンから距離をとったゾフィーは、アデライードとヴァレンシュタインの間に割り込んだ。そのまま朱色髪の名将に斬りつけ、「師匠、退きましょうッ!」と叫ぶ。


「何でよ、ゾフィー! わたしは必ずヴァレンシュタインを倒すッ! それがランスを守ることに繋がるのッ!」


 闘志を漲らせた緑玉の瞳は、ヴァレンシュタインに注がれたままだ。アデライードが何に固執しているのか、まだ若いゾフィーには分からない。けれど様子がおかしいことを察し、もう一度声を張り上げた。


「ヴィルヘルミネ様の御命令は、ヴァレンシュタイン公を倒すことにあらず! ランスを守りたければ、まずはヴィルヘルミネ様を信じるべきです、アデリーッ!」


 それだけ言うと、ゾフィーは馬を南へ向けて疾駆させた。アデライードならば必ず付いてきてくれる――そんな確信があったからだ。

 

 実際にアデライードはヴァレンシュタインへ一突き牽制を入れ、突進したあと迂回した。こうしてゾフィーの後に続き、部隊に向けて命令を下したのである。「総員、わたしに続けッ!」


 大隊司令部付きの騎兵が旗を掲げ、アデライードの後方に付く。青白二色の部隊旗が靡き、それに合わせて全員が戦場を離脱していった。

 もともと長期戦の予定ではない。撤退方法については事前に幾度も話し合い、皆が耳と目に神経を集中させていたのだ。鮮やかな引き際であった。


「なんとまぁ、見事な……まるで潮が引くようだ」


 一瞬で兵を纏め去って行くアデライードを賞賛しながら、ヴァレンシュタインは馬の首筋を軽く叩いた。人間以上に馬の運動量は多い。労ったのだ。

 そこへイシュトバーンが馬を寄せ、去って行くゾフィー達の背中を見ながら憮然として問う。


「まだ終わっていません、閣下。追撃の許可を」

「無用だ――……というより無理だろう。お前の部隊は連戦で疲労が蓄積されているし、本営が動くわけにもいかん。ベッテルハイムも傷を負ったし、まずは負傷兵の救護と部隊の再編制を急がなければな」

「しかし敵は、どうもキュンネケ少将の司令部へ向かっているようですが……よろしいのですか?」

「ああ、構わんさ。そもそもキュンネケは誇り高い男だ、己が才覚に絶対の自信も持っている。そんな男に一万もの兵を預けてあるのだ。自力で切り抜けることを期待して、何が悪い?」


 そこまで司令官に言われればイシュトバーンも意見を押し通すことはせず、沈黙してヴァレンシュタインの横に控えた。そこへげっそりとやつれたルイーズが、馬までヨロヨロとして姿を現すと……。


「そう……ですわ、わたくしも負傷いたしまし……た。これでは到底、戦えません……わ」

「なに!? どこだ、どこを怪我したのだッ!?」


 父親の顔になり、ヴァレンシュタインがルイーズを心配そうに見つめている。しかし見たところ服も汚れておらず、負傷もしていないようだ。


「け、怪我をした場所……それは、ゾフィー=ドロテアに手も足も出なかった、わたくしの心ですわ……」


 しょんぼりと肩を落とすルイーズの頭に、ヴァレンシュタインの拳骨が落ちた。


「な、何をするのですか、お父様! これでもわたくし、必死で戦いましたのにッ! 頑張りましたのに! ただ、ただ――……ゾフィー=ドロテアが出鱈目に強かったのですわッ!」


 ジト目になったヴァレンシュタインが、娘を胡散臭そうに見つめて言う。


「ルイーズ……その出鱈目に強い少女と戦って、どうしてお前は無傷で済んだのだ?」

「そ、それは、わたくしだって出鱈目に強いからですわッ!」

「いやルイーズは、あの少女に遠く及ばない」


 肩を竦め、ため息交じりでイシュトバーンが言った。


「はうっ! 叔父上、言って良い事と悪いことがありますわ。そこへ直れ、お仕置きよッ!」

「叔父をお仕置きする姪なんて、見たことが無い」


 弟と娘の珍妙なやり取りを横目に、ヴァレンシュタインは顎に手を当て思考する。


 ――ゾフィー=ドロテアがルイーズを殺さなかったということは……ヴィルヘルミネはまだ、私との対話を望んでいるのだろうか……?


 ■■■■


「ゾフィー、どういうつもり?」


 馬を並べて走らせながら、アデライードは怪訝そうに聞いた。

 たとえ部隊が全滅したとしても、ヴァレンシュタインを討ち取れば勝利が得られる。だというのに蒼氷色の瞳をした金髪の少女が敵に背を向けるなど、考えられないことだったからだ。


「――わたし、考えました」

「そうでしょうね。だから、どういう風に考えたか聞いているのよ」

「ヴァレンシュタインの援護に来た部隊は第三高地からの一部隊と、第六高地を攻めていた騎兵の二部隊のみでしたね、師匠?」

「ええ、そうみたいね」

「本来なら主力を差し向けた第六高地から、もっと大勢の部隊が本営の救援に向かっても良かったのではありませんか?」

「それは、敵にとっても第六高地の攻略が急務だから――……」

「ヴァレンシュタインは第二高地の重要性に気付いています。だから朝、奇襲を仕掛けて来たのでは……?」

「そうね、ヴァレンシュタインは第二高地の重要性に気付いている――確かにそうだわ」

「それなら第六高地を攻める理由は、こちらの力を削る為であり、それ以上でも以下でもない。これを本営陥落の可能性と天秤にかけた時、どう考えても重要なのは本営に傾くはずです」

「それはそうだけど、でも、どういうこと? いま私達は敵本営の急襲を諦めて、その第六高地に向かっているわけでしょう!? 分からないわ、簡潔に説明をしてッ!」

「つまり第六高地を攻める指揮官は第二高地の重要性に気付いておらず、かつヴァレンシュタインを積極的に救援する気がなかった――ということです。そしてわたし達は今、第六高地を攻める敵の司令部、これを急襲できる位置にいる」


 西の森へ沈みゆく太陽が、ゾフィーの頬を赤く染め上げた。自信に満ちた彼女の横顔を見て、アデライードは微笑みを浮かべている。


「だとしたら、キーエフ軍も一枚岩じゃあ無いってことね。恐らくヴァレンシュタインと第六高地を攻める指揮官は、反目とまではいかなくても心の中に何かしこりがあり、だからお互い救援部隊を出し渋っている――といったところかしら?」

「はい。だから今、この敵の背後を攻めれば、きっとヴァレンシュタインは動かない。結果として『第六高地の敵を退けよ』、というヴィルヘルミネ様の御命令を完遂できるのです」


 ゾフィーとアデライードは馬上で拳を軽く合わせ、頷き合う。

 

 この後アデライード隊の突撃により、キュンネケ少将はゾフィー=ドロテアに討ち取られた。キーエフ軍にとってはランス侵攻以来、初めて高級将校が戦死したのである。


 このとき、確かにヴァレンシュタインは救援命令を出さなかった。しかしそれは部隊の再編と人命救助が忙しく、本営の人員を割く余裕が無かったからだ。

 少なくとも同日夜の会議で彼はカーマイン少将に、そう説明をしている。


 そしてゾフィーは討ち取ったキュンネケ少将の首を下げ、意気揚々とヴィルヘルミネの下へ帰還した。金髪の少女はアデライードと協力し、見事に第六高地から敵軍を退けたのだった。

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