第156話 ニーム攻防戦 18
ゾフィーがヴィルヘルミネの下へ帰ってきたのは、夜の帳が下りて暫くしてからのこと。赤毛の令嬢は夕食を前にしてお昼寝から目覚め、本営にある大天幕の前で金髪の親友を迎えたのだった。
「よく戻ったの、ゾフィー。無事で何よりじゃ」
全然帰って来ないゾフィーやアデライードを心配しつつも、案外あっさりと睡魔に負けたヴィルヘルミネは、口をへの字に曲げている。己の不甲斐なさに怒っていた。
しかし天幕の外でヴィルヘルミネの前に片膝を付くエリザ、ビュゾー、アデライード、そしてゾフィーの四人は、彼女の表情が自責の念から来ているなどとは思わない。いかにも不機嫌そうな令嬢の
「援軍として第六高地へ向かいながらも数多の兵を損ねましたこと、誠に申し訳なく……」
エリザが珍しく殊勝な言葉を発すると、より深くビュゾーが頭を下げた。
「いや、参謀長でありながら敵の意図を見抜けなかった俺に責任があります。多くの部下を死なせたのは俺の不徳。摂政閣下、罰するなら俺だけをッ!」
ヴィルヘルミネは長く豊かな睫毛を揺らし、欠伸を漏らす。まだまだ眠いし、彼等の言っている意味が分からない。さっきまで眠っていたから第六高地の苦戦など彼女は知らず、従って戦死者の数などもっと知らなかった。
「ふぁ~~……で、あるか」
しかし、命を賭けて戦い帰還した部下の前で欠伸をするなど、いかにも悪逆非道な覇王らしい行動だ。皆が息を飲み、ヴィルヘルミネの裁きを待っている。
アデライードもアデライードで、ヴァレンシュタインを討つという自らの言葉を裏切っていた。彼女も覚悟は出来ている。しかし令嬢の放つ只ならぬ圧によって彼女は顔を上げることも出来ず、静かに報告を行うのみであった。
「大言を吐いたにも関わらず、ヴァレンシュタインを討ち漏らしてしまいました。されどキュンネケ少将を討ち取るの功を上げましたるは、ひとえにドロテア少尉の働きによるもの。どうか彼女には寛大な処置を願いたく存じます」
そんな中、六月革命の功績でフェルディナント軍少尉の職位を得ていたゾフィーは唯一人、蒼氷色の瞳をヴィルヘルミネへと向けていた。
――あ、これ、ただ眠たいだけのやつだ!
赤毛の令嬢が他者へ怒りを向けてなどいないことを、ゾフィーだけが理解した。何しろ金髪の親友は、ある程度ヴィルヘルミネの気持ちが分かるのだ。
――それに、何か心の中でモヤモヤを抱えていらっしゃるみたい。そうだ、ここはわたしが一つ、元気にして差し上げなくては!
考えをまとめたゾフィーは元気よく立ち上がると、白い歯を見せニッコリと笑った。そして右手に持ったボール状のものを突き出し、意気揚々と報告をする。その勢いは、まさに凱旋将軍のようであった。
「ヴィルヘルミネ様! これこそわたしが討ち取った敵将、キュンネケの首です! どうぞ、ご覧くださいッ!」
デロンと赤い舌を出したキュンネケ少将の首を、ゾフィーが満面の笑顔で持っている。頭髪を鷲掴みにされ、元紳士の顔は奇妙に引き延ばされていた。
「――む、む?」
ヴィルヘルミネは篝火の炎によって照らされる、元紳士の顔が非常に怖かった。だというのにゾフィーは得意満面、「これでミーネ様も元気になるぞ!」などと思い小さな胸を反らしている。
エリザもゾフィーの反応から、ヴィルヘルミネは怒っていないらしいと気付いたようだ。立ち上がって「ふぅー」と葉巻に火を付けた。
「へぇ……コイツが平民の兵を使い捨てにして、ビュゾーを散々苦しめたやつかい。どうりでいけ好かない、いかにも貴族って感じの顔をしていらっしゃる。ざまぁ無いね」
エリザは煙を生首に吐きかけながら、その髭を摘まんでニヤニヤと笑っている。
「ヒェッ……」
ヴィルヘルミネは思わず悲鳴を上げて、白目になってしまった。生首が超怖いのだ。しかし根本的に無表情な彼女のこと、誰もヴィルヘルミネの感情には気付かなかった。
そのままヨロリと揺れた赤毛の令嬢は、バランスを取る為に右手をブゥン――大きく振り抜いてしまい……。
――パチコーン!
ヴィルヘルミネは意図せず、ゾフィーが手にした生首の頬を思い切り叩いた。それはゾフィーの手から離れて見事な放物線を描き、飛んでいく。
「ぷぇっ!?」
令嬢は驚愕した。目を見開き、生首の行く末を見守っている。
ぽーん。
夜空に弧を描き、哀れなキュンネケの生首が燃え盛る篝火の中へ消えていく。その様は報告に訪れた四人だけではなく、バルジャン、ダントリク、エルウィン等も見つめていた。何故か皆、口をポカーンと開けてる。
篝火の中に生首が落ち、バチバチバチッと大きな音がして、嫌なにおいが立ち込めた。炎が一瞬小さくなって、すぐに元の大きさを取り戻す。
最初に声を発したのはバルジャンだ。どういう訳か、肩を怒らせヴィルヘルミネに詰め寄っていた。
「ヴィルヘルミネ様――いくら敵だからって、この扱いはあんまりだ! 丁重に弔えとまでは言いませんがね、少しは死者に敬意ってモンを払ってもいいでしょう!?」
「フハ、フハハハ……」
――やってもーたのじゃ。
ヴィルヘルミネは笑って誤魔化した。いま一番やってはいけない誤魔化しかたであった。お陰で少し離れた場所にいたダントリクが、丸い眼鏡のレンズに燃え盛る篝火の炎を映し、首を左右に振っている。
「敵将の首を叩いて火の中へ捨てるなんて――本当に怖いお人だべ。ヴィルヘルミネ様に歯向かえば、誰でもがこうなるんだべな。生きていれば殺されて、火の中へ放り込まれるだ。いや、もしかしたら本当は、生きたままのキュンネケを放り込みたかったんでねぇべか? 確かに今日はあの方の策が全て的中したけんども、凄いけんども、なんだか戦争を愉しんでいるみたいな――……そんなの、絶対に間違っているんさ」
ダンドリクの不満そうな顔を見たバルジャンが、今度は彼の側へ行き、その肩にポンと手を乗せた。
「ダン坊の不安や不満は、何となく分かる。だからこそ俺のような大人が、彼女をしっかり叱ってやらなきゃダメなのさ。なにせ天才だって一皮剝けば、ただの子供だからな」
「そう、なんだべか? オラから見たらヴィルヘルミネ様は強くて綺麗で怖くて、んでもって戦争の天才で……とても子供だなんて思えないべ」
「ん、ああ……俺も最近あの方とチェスをしていて、その事にようやく気付いたんだよ。ミーネ様、俺に負けるともの凄く悔しがるんだぜ! 顔を真っ赤にして目に涙まで溜めてな。可愛いったら無いんだ、これがさ。な、わかるか、ダン坊!?」
「わ、分からねぇべ。だって少将も凄い人だし、だからヴィルヘルミネ様を子ども扱い出来るんでねぇがか? だどもオラなんか……」
「おいおいおい、ダン坊、そういう話じゃあないんだって!」
「――でも少将がヴィルヘルミネ様を信じているなら、その少将をオラは信じるから」
「お!? ん!? 何かちょっと違うが、でもダン坊は良い子だな!」
片目をつむり微笑んで、バルジャンはダントリクの頭をクシャクシャと撫でている。思わず頬を赤く染めるダントリクを見て、ヴィルヘルミネの紅玉の瞳がキュピーンと煌めいた。
――なんか分らんが、ご馳走様じゃ!
こうして己が失態からいち早く立ち直った赤毛の令嬢は、元気よく言う。
「ゾフィー、アデライード、大儀であった。エリザ、ビュゾー、別に卿らを咎めはせぬ。第六高地防衛という任務は達成しておるし、そもそも卿等は海軍じゃからの。ようやった、ご苦労様じゃ」
ヴィルヘルミネの言葉に、皆が一斉に頭を垂れる。
「それからゾフィー。敵将の首など、いちいち持ち帰るには及ばぬぞ。証拠など無くとも、誰が卿の功績を疑うものか。卿は余の剣、余の盾であり半身も同然じゃ。言葉のみにて十分、余は卿の全てを信じるのじゃからして、して!」
ついキレ気味に言うヴィルヘルミネは、何とか生首を篝火に放り込んだ暴挙を正当化したかった。そんなヴィルヘルミネのセコイ根性が、今回に限り言動に奇妙な温もりを与えたらしく。ゾフィーは令嬢の言葉で感涙に咽び、跪いて嗚咽を漏らしている。
「ヴィルヘルミネ様、ミーネ様――……好き、好き、大好きです。わたしは剣、わたしは盾……だからあなたの為に生き、あなたの為に死ぬことを誓います」
――あれぇ? なんかゾフィーの様子が、いつにもまして変なのじゃが、じゃが?
少し戸惑うヴィルヘルミネだが、満更でもない気分で大きく頷くのであった。
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