第151話 ニーム攻防戦 13
ヴァレンシュタインが少数の幕僚と共に第六高地の戦況を見守っていると、突如として馬蹄の轟きが北方から聞こえてきた。濛々と巻き上がる砂塵が、騎兵の接近を示している。
「何事かッ!?」
参謀長が叫び、幕僚達は狼狽えていた。そんな中、ヴァレンシュタインは落ち着き払った声で言う。
「――参謀長が分かり切ったことを、自分より下位の者に問うべきでは無い」
「し、しかし閣下、これはッ!?」
「貴官はアレを一体、何だと思うかね?」
「騎兵が接近しているように思えますが……」
「だったら、その通りだろう。誰かに問うまでも無いさ」
「ですが、いったい何者が……」
「そんなもの、決まっている。ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントの派遣した騎兵部隊が西の森を越え、奇襲を仕掛けてきた――というだけさ。まあ、一本取られたってことかな。ははは……」
「閣下、笑っている場合では無いでしょう! 現在本営には千余りの兵しかいないのですぞッ!」
「いやまぁ、その通りだ。対して敵は――うん、参ったなぁ、これは……ははは」
頭の後ろをポリポリと掻いて、朱色髪の名将は苦笑を浮かべていた。馬蹄の音と舞い上がる砂塵の量からして、敵の兵力は千五百から二千だとヴァレンシュタインは推測をしている。
しかし本営は南に向けて陣を構えており、北方に対しては無防備だ。加えて最高司令官が南東に突出している為、本営にいる千名の兵全員で対処することも不可能である。
なぜなら本営で陣を構える一個大隊と、ヴァレンシュタインを護衛している二個中隊が別の集団として存在しているせいだ。つまり、状況は酷く悪かった。
「お、お父様! 参っている場合ではなくてよッ!」
「閣下、状況は切迫しております! 早くご指示をッ!」
ルイーズと参謀長が、縋るような視線をヴァレンシュタインに向けている。自軍優勢な状況から一転、命の危機だ。二人は年齢と性別を超えて恐怖を共感し、半べそであった。
「いや、迂闊だった。相手がヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントだということを考慮すれば、この可能性も十分にあり得るとは思っていのだが。
ともあれ、敵の狙いは私だろう――護衛の二個中隊に方形陣を敷かせ、敵を凌ぐしかない」
「はっ!」
「それと同時に、狼煙を上げろ。敵の攻撃を凌ぎつつ、イシュトバーンの帰還を待つ」
「イシュトバーン少佐は、間に合いましょうか?」
参謀長は眉間に皺を寄せ、後方から迫る敵を見据えている。
「なに、間に合わなければヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントの華麗なる戦歴に、敗者として私の名が乗るだけのことだろう――まぁ、大した問題ではない」
「お父様ッ! 問題、大ありですわッ!」
「閣下ッ! 裏切り者たるフェルディナント公爵家に負けるなど、断じてあってはなりませんぞッ!」
「はは。ルイーズ、参謀長――冗談だ。まぁ、考え得る限り最悪のタイミングで敵が出てきた訳だが、イシュトバーンには、この可能性も言い含めてある。
それに狼煙を見ればベッテルハイム辺りが、急ぎ駆け付けてくれるかも知れん。どちらにしろアイツが来るまでに全滅する、などということにはなるまいよ」
実際ヴァレンシュタインは、手近にあった二個中隊四百の歩兵を指揮し、手早く陣形を整えた。これにより何とか、無防備な状態でアデライード隊を迎え撃つ、という事態にはならずに済んだのである。
■■■■
「突撃ッ!」
アデライードが
二人の軍帽は、ほんの少しだけデザインが違う。アデライードは紺色で少し高く、赤い房飾りがついている。一方ゾフィーの軍帽は比べればやや低く、正面に
これはアデライードがランス軍、ゾフィーがフェルディナント軍の制服を着ているから生まれた差異なのだが、しかし二人の連携は同国人ですら不可能な程に洗練されている。
「ハァァァァッ!」
「ヤァァァッ!」
二人は正面の敵を同時に斬り伏せ、前進を続けている。ゾフィーが眉根を寄せて、アデライードを見た。
「師匠! ここの兵は統率が取れていない、弱すぎますッ!」
「それは当然よ、ゾフィー! 左斜め前を見てッ! 数は少ないけれど、陣形を整えた部隊が見えるでしょう!?」
「はいッ!」
「恐らく、あれがヴァレンシュタインの護衛部隊なのよッ!」
「じゃあ、ここは……?」
「きっとヴァレンシュタインは第六高地攻略の為に、指揮の執りやすい位置まで前進したのね! だから、本営の部隊が二分されたんじゃあないかしらッ!」
アデライードはゾフィーに説明をしつつ刺突を払いのけ、敵を一刀の下に斬り伏せた。
「つまり、ここは抜け殻!」
ゾフィーも左から迫る敵の斬撃をマンゴーシュで弾きつつ、正面の敵に鋭い突きを放っている。眉間を貫かれた敵が、疾走する馬からずるりと落ちた。
「そうよ! だからゾフィー、あなたに部隊の半数を任せるわ! 迂回してヴァレンシュタインの部隊を攻撃してちょうだいッ!」
「わ、わたしが……!?」
「出来ない?」
「ど、どど、どうすれば、いいのですッ!?」
「私はこのまま攻撃を続け、突破して敵の正面に出る。あなたは、その間に側面へ回り込むの。いくら方形陣といっても数が少ないし、二方向から攻めれば必ず崩せるわッ!」
「わ、分かりましたッ! 師匠ッ!」
ゾフィーはアデライードの信頼が、嬉しかった。けれど笑みを浮かべる余裕など無く、信頼に応える為にも切り離された千の騎兵と共に、急ぎヴァレンシュタインが指揮する部隊へと向かう。
こうしたアデライードの用兵を目の当たりにし、ヴァレンシュタインは首を左右に振って閉口した。大きな溜息まで吐いている。
「やれやれ。この騎兵の指揮官は優秀だ――名将と言っていい。付け入る隙が全く無いし、それどころか、こちらの弱点をあっさりと看破された。はぁ――参ったね、ルイーズ」
「お、お父様! 悠長なことを言っている場合では無くてよ! て、てててて敵です、敵が目の前に来ましたわッ!」
肩を竦めるヴァレンシュタインの前に、方形陣の側面を突破したゾフィーが姿を現して。ルイーズは馬上でアワアワと目を白黒させ、父の後ろに身を隠した。
「ヴァレンシュタイン公爵とお見受け致します! どうか潔く降伏なされませ!」
「君が私の方形陣を突破したというのか? 驚いた、まだ子供じゃあないか」
「子供と侮るのは結構ですが降伏なさらないと仰るのなら、命の保証は致しかねますッ!」
蒼氷色の瞳を爛と輝かせ二刀を構えるゾフィーの姿に、ムズムズと闘志を湧き立たせたポンコツが一人。
――なぁんだ。わたくしと同じくらいの歳じゃあありませんの、この子。だったら……フフ、フハハ。お仕置きをして差し上げますわッ!
「無礼なのだわ、あなたッ! 帝国公爵を前にして、いきなり降伏を勧告するだなんて! それよりも、まずは自らが名乗ったらどうなのかしら!? なによりも、あなた如きがお父様に剣を突き付けるなんて、百億万年早いのだわッ!」
どういう訳か腰に吊るしていた鞭を構え、ピシリと大地を打ち付ける朱色髪の美少女は、馬上で小さな胸を反らしている。その内心は――「こんなチンチクリンな小娘になら、わたくしでも絶対に勝てるのだわ!」というものなのであった。
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