第152話 ニーム攻防戦 14


 エリザは第六高地の斜面に、正面を分厚くした方形陣を敷いていた。騎兵の突破を許さぬようにと考えれば、これ以外の陣形は考えられなかったのだ。


 エリザ自身は少しでも敵の兵力を削ぐべく、マスケットを構えている。

 敵よりも兵数で劣り、しかも部隊が歩兵であることを考慮すれば、指揮だけに専念する余裕など無い。一人でも多くの敵を打ち倒すべく、彼女はイシュトバーン隊の前衛に狙いを定めているのだった。


 パンッ!


 乾いた音が響き、イシュトバーンの横を走っていた兵が眉間を貫かれて落馬する。彼我の距離はまだ百五十メートルも離れていたから、彼等の動揺は大きかった。

 

「ちっ……狙撃か。腕のいい猟兵がいるのかも知れん! 皆、身を屈めろッ! 次を食らう前に、敵の喉元へ食らいつけッ!」


 イシュトバーンは自らも身体を低くしつつ、命令を下す。


 百五十メートルと言えば、それなりの距離だ。しかし銃に弾を込める時間と、騎兵がこれを走破する時間を考慮すれば、間違いなく騎兵の速度が勝っている。


 だからイシュトバーンが身を低くしたのは別の狙撃手がいた場合に備えてのことであり、だが、その可能性は低いと考えていた。何故なら百五十メートルの距離で狙撃が可能な人物など、ざらにはいないからだ。


 けれどイシュトバーンの予測は裏切られ、またも乾いた音が鳴り響く。


 パンッ!


 突出していた兵の馬が頭を撃ち抜かれ、前足が縺れるようにして倒れ込む。兵士はそのまま前のめりに投げ出され、後続の騎馬に踏まれて絶命した。また、この転倒に二騎が巻き込まれ、馬が足の骨を折っている。

 

「くそッ!」

「ちくしょうッ!」


 投げ出された二人の兵は身体を小さくして馬の陰に身を潜め、後続の部隊をやり過ごした。

 騎馬を失った兵は機動力が大幅に低下し、部隊行動には付いていけなくなる。ましてや突撃の最中とあっては、戦力を失ったも同然であった。


 騎兵は騎馬があってこその兵種である。従ってイシュトバーンが兵の命を守る為に下した命令も、攻撃を続行したエリザにとっては何ら問題にはならなかった。


「馬を失った騎兵なんざぁ、船の無い海兵よりタチが悪いってね」


 冷酷な微笑を浮かべながら、黒髪の女提督は射撃を続けている。

 こうしてイシュトバーン隊は僅か百五十メートルの間に、五騎の騎兵を失った。

 その間エリザは一度として的を外さなかったから、驚異的な腕前と言えるだろう。


 だが余裕を持って敵を迎え撃てるのも、ここまでであった。

 いよいよイシュトバーン隊の前衛とエリザ隊の前列が衝突し、押し合いを始めている。

 銃剣バヨネットを斜め上に構えた歩兵に対し、騎兵が強引に飛び込んだ。


 腹を銃剣で貫かれた馬が、嘶きながらもんどりうつ。馬体で数人のランス兵が圧殺され、馬から落ちた騎兵はランス兵に首を掻き切られて叫びながら絶命した。


「――面白くない戦いだ」


 まだ銃身から煙の立ち上るマスケットを部下に返し、エリザは前方で繰り広げられる死闘に目を向けた。


「次」


 左手を伸ばし弾を込めた銃を受け取ると、エリザは殆どノータイムで構え、引き金を引く。彼女は狙いを過たず、今まさに刀剣サーベルを振り下ろさんとしていた敵騎兵の胸を撃ち抜いて。


「……次」

 

 エリザは何事も無かったかのように次々と銃を受け取り、敵を屠っていく。特に陣形に穴が開きそうな場所を重点的に狙い、敵を阻んでいた。


 ここに至りイシュトバーンは味方の騎兵を次々と屠る黒髪の女性士官を見つけ、馬首を翻す。


「あの女だ――……あの女が一人で我等を幾人も打ち倒している。しかも、指揮官らしいな」


 一度目の突撃を断念し、イシュトバーンは馬首を翻す。それからすぐに第二撃目を敢行すると、今度は自らが先頭に立ち、エリザ=ド=クルーズに狙いを定めるのだった。


 ■■■■


「おやおやぁ? あの坊や、アタシに狙いを付けたようだねぇ」


 エリザは紡錘陣形をとった敵騎兵を斜面から見下ろし、銃を構えて静かに言った。見ればカミーユとさほど年齢の変わらない少年が陣頭に立ち、馬を駆り猛然と進んでくる。

 彼女としては子供を殺したくはない。だが相手が敵指揮官となれば、容赦をしている場合では無かった。


 パンッ!


 再び乾いた音が響き、銃弾は逸れることなくイシュトバーンの眉間へ吸い込まれていく。しかしその刹那、驚くべきことが起こった。


 イシュトバーンが刀剣サーベルを頭上へ構え垂直に振り下ろすと、大気を穿ち突進してきた銃弾が、真っ二つに割れたのだ。

 ヒュン――という音が両耳のすぐ側で聞こえ、くすんだ金髪の少年は自らの目論見が成功したことを知る。


「お前が俺を狙ってくることは、分かっていた。そして、その射撃が正確であることも――……!」


 イシュトバーンはエリザから目を逸らさず、ずっと見つめていた。だから彼女が引き金を引く瞬間を見逃さず、完璧な反応が出来たのである。


 エリザは銃をゆっくりと降ろし、くすんだ金髪の若者に時と場合を忘れて賞賛の視線を送った。


 ――ああいう男に殺されるのなら、悪くはないねェ……。


 いつも何処かで死に場所を探していた黒髪の女提督は銃を部下に渡し、代わりに騎乗する。それから刀剣サーベルを鞘から抜き、近接戦闘に備えた。


 たとえ死を望む気持ちがあるとしても、ここで敗れれば全軍の士気に影響する。ならば指揮官の責任として、簡単に殺される訳にはいかなかった。


「各部隊とも中央へ集結ッ! 正面が突破されれば全軍の崩壊につながるッ! 決して突破を許すなッ!」


 矢のような陣形の陣頭に立ち、自軍を切り崩すイシュトバーンを見据えてエリザが叫ぶ。

 彼女の指示は死を望む気持ちに反して、適切なものであった。正面の突破を許さず、寸でのところで陣形を支えている。


 だがしかし、ついにイシュトバーンの武力がエリザの指揮を上回り、陣形に大きな穴が開いた。無数の騎兵が殺到し、エリザ指揮下の歩兵たちが蹂躙されていく。


 圧倒的な暴力が流血を産み、高地が朱く染め上げられて、人馬の叫喚が戦場を彩った。


「残念ながらアタシの命は、これでも結構高いんだ。そう簡単にはいかないよ、坊や。フフ、クフフ――……」


 味方を破砕する敵を正面に見据え、傲然と刀剣サーベルを構えつつエリザは言った。漆黒の闇を思わせる瞳に、不気味な喜色を浮かべながら。


 しかしその時ヴァレンシュタインの本営から赤と黒、二本の狼煙が上がり……。

 

「イシュトバーン少佐、本営から狼煙ですッ!」

「……見えているッ!」


 イシュトバーンは狼煙の意味を、すぐに理解した。出撃前、ヴァレンシュタインが言った言葉が脳裏を過る。


「ヴィルヘルミネは高地の戦闘を囮にして、我が本営を狙ってくるかも知れない。むろん西の森を越えるなど容易いことではないが――それを可能とする将がいるのなら、現状の不利を覆す為にも実行するだろう。このことは頭の片隅にでも、入れておいてくれ」


 イシュトバーンに迷いは無かった。

 つまりは、「西の森を越えることが出来る将がいた」ということだ。ならば馬首を翻し、すぐさま救援に向かうべきだろう。


 彼にとってはヴァレンシュタイン公爵家が全てであり、皇帝の為の戦場など付随物に過ぎないのだ。そんな場所で兄や姪を失うようなことになれば、本末転倒なのである。


「――全軍、反転後退ッ! 本営の救援に向かうぞッ!」


 目の前で馬首を翻し去って行くイシュトバーンを追う余力など、エリザ率いるランス軍には既に無かった。

 一千の予備兵力を投入して第六高地の門を守ることは出来たが、それだけだ。陣形はズタズタに寸断されて、生き残った兵もどこかしらに怪我を負っている。

 敵にどれ程の損害を与えたのかは分からないが、辺りに散らばる死体は皆、大半がランス軍の者であった。


「どうもアタシは、死神に嫌われているようさね……」


 エリザは呟き、大地に倒れた兵の目をそっと閉じる。

 作戦が敵に読まれ、窮地に陥ったからこそ死んだ兵だ。自分よりも十歳は若いだろう。けれど深淵を思わせるエリザの瞳には、一粒の涙さえ浮かばなかった。


 ともあれランス軍はキーエフ軍から、第六高地の入り口を守ったのだ。局地的な目的の成否で勝敗を論ずるなら、一先ずは勝利であろう。


 しかし、この戦いでランス軍は三百余名を失っている。対してキーエフ軍の戦死者は五十六名であった。しかも彼等は、第六高地の攻略を断念したわけではない。

 だから戦闘の結果について勝敗を論ずるのなら、ランス軍は負けていた。より正確に語るならば、負けつつある状況だ。


 つまり第六高地は未だ激戦の渦中にあり、ランス軍の不利は誰の目にも明らかなのであった。

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