第150話 ニーム攻防戦 12
十五時三十五分。アデライードとゾフィーは、ついに西側の森を抜けた。しかし、ここに至るまでの苦労は筆舌に尽くしがたい。
昼間でも薄暗く、ぬかるんだ地面に足を取られながらの行軍は部隊全員の体力を消耗させたし、道に迷ったことも一度や二度ではなかった。
深い森の中で沼地に足を取られ、軍靴の中に入った蛭を取り、毒蛇に噛まれた者もいる。それでもなお、めげず、折れず、皆が不退転の決意で先へと進んだのだ。
このような強行軍を可能にしたのは、軍事の天才たるヴィルヘルミネが発案した作戦であったことも大きいが、アデライードの類まれなる統率力によるところも大であった。
こうした出来事を通してゾフィーは自らの至らなさを痛感し、ついにはアデライードを「師匠!」と呼ぶようになったのである。
「森を抜けたわ、ゾフィー」
深い森を抜けたアデライードは今、南東に敵の天幕を見て会心の笑みを浮かべている。敵の本営に到達するまで、馬で駆ければ数分の距離だ。しかも敵の陣形は正面を向いており、後方への備えは無い。つまりは圧倒的に有利な場所を確保した、アデライードなのであった。
「苦労が報われましたね、師匠」
ゾフィーも額の汗を拭いながら、笑みを浮かべている。共に森を踏破した経験から、アデライードとの絆はさらに強くなっていた。
「師匠はやめなさいって、ゾフィー」
「しかし、ろくに道の記されていない地図と方位磁石だけで一人の脱落者も出さず、この森を抜けたのです。あなたは間違いなく、名将になる器だ」
「あら、ありがとう。でもね、ゾフィー。今までは準備運動――これからが本番よ」
「もちろん、それはそうです。ですが行軍を蔑ろにする者には、戦など到底出来ませんから」
「そうね、その通りよ。じゃあ、次にやるべきことは何かしら?」
「それは、状況確認でしょう。あるいは敵に備えがあるかも知れず、確認もせず突撃することは出来ません」
「正解よ、ゾフィー。随分と成長したわね」
「馬鹿にしないで下さい。六月革命の時のように、師匠にご迷惑を掛けることはありません」
「だ・か・ら! その師匠っていうのは、やめなさい!」
ゾフィーはぶすっと頬を膨らませた。その仕草が可愛くて、アデライードが彼女の頬をつつく。空気が抜ける音がして、金髪の美少女は頬を赤らめた。
「や、止めて下さい、アデライード!」
アデライードは「あはは」と声を上げて笑い、それを見ていた騎兵達も笑っている。だがすぐに彼女は表情を引き締め、「総員騎乗!」と命令を下した。
こうして緩急を付けて見せるのも、アデライードの指揮の特徴だ。兵達を和ませ、けれど弛緩まではさせない。だから彼等は平常心を保ち、彼女の命令に従うのだ。結果として、それが生存率の高さに繋がり、信頼度も高まっていく。
騎乗するとゾフィーは望遠鏡を手に、遠く第六高地に攻め寄せる敵を目視する。アデライードも同様に、敵情を観察していた。
「――総攻撃が始まっているのでしょうか?」
「そうね、ゾフィー。でも敵が第六高地へ集中しているお陰で、ほら――本営の防備は手薄よ。ミーネ様の仰る通りだわ」
「そう……ですね。ヴィルヘルミネ様はいったい、どれほど先のことまで予見していらっしゃるのでしょうか……」
ゾフィーは水筒の水を一口飲んで、ゾクリと身体を震わせた。
ヴィルヘルミネの才能が、余りにも神懸かって思える。そんな彼女だから、いつか自分の手が届かない、どこか遠くへ行ってしまうような気がした。
――そんなことは無い、あってたまるものか。
ゾフィーは首を左右に振って、自分に言い聞かせる。
「ヴィルヘルミネ様は本当に流石だわ。私にはね、あの人が守護天使か何かのように思えるの。でも、だからこそいつか役目を終えたら――……さっさと天界へ帰ってしまうんじゃあないかって、少し不安になるのよ」
アデライードも第六高地と敵の本営を見比べながら、小さく息を吐いていた。どうやら気持ちはゾフィーと同じらしい。
「ヴィ、ヴィルヘルミネ様は、どこにも帰ったりしませんッ!」
ゾフィーは心に迫る不安を振り払うかのように、眉を吊り上げ断言をした。「コホン」それから一つ咳払いをして、話題を変える。
「何にせよ、今はヴァレンシュタインを討ち取る千載一遇の好機。さあ、アデリー、行きましょう」
「ええ――……そうね、ゾフィー、あなたの言うとおりだわ。今、目の前にある仕事をこなしましょう!」
こうしてアデライード隊はヴァレンシュタインの本営を背後から衝き、キーエフ軍の司令部を震撼させるのだった。
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