第149話 ニーム攻防戦 11


「もう間に合わないのだよ、兄上~~~!」


 先程までの勇ましさは何処へやら、ジーメンスが両目いっぱいに涙を溜めて後ろを振り返った。

 カミーユはジーメンスの言葉にハッとして、奥歯を噛みしめる。


 ――確かに間に合わない!


 強引に迂回して敵の陣中を突破しようとすれば、その間に敵騎兵に追いつかれるだろう。だからと言って部隊を止めて反転するなど、論外だ。そんなことをすれば騎馬の特性を丸ごと失い、敵中に孤立するだけであった。


 横にも逃げられない反転も不可能とくれば、カミーユにはたった一つの決断しか下せない。それも、決死の覚悟が必要であった。


「仕方ない、ジーメンスッ! そのまま突っ切れッ! その後で迂回行動に入るッ!」

「うぇぇぇぇええん! ボクはまだ、死にたくないのだがねぇぇぇえええ!」

「私達は死なないッ! 三人でヴィルヘルミネ様から元帥杖を頂くと、誓っただろう!」

「――そ、そうだったね。よ、ようし、やるぞ、ボク! ぐすんッ!」


 カミーユに説得されたジーメンスは涙こそ止められなかったものの、鼻水を啜って前方を凝視した。既に敵との距離は五十メートルを切っている。騎兵同士の突撃戦は一瞬だ。敵とすれ違った時には、首と胴が切り離されている――という事態だって考えられる。油断など、していられない。


 ジーメンスの空色の瞳が、前方に自身とよく似た特徴を持つ少年の姿を捉えていた。少しくすんだ金髪に、青い瞳をもった少年た。

 年齢は僅かに上だろうか、体格も一回りほど大きい。加えて、猛禽を思わせる鋭い眼光に獲物を狙う闘志を湛えた姿は、ジーメンスには無い精悍さであった。そんな男が敵軍の先頭で、馬を疾駆させている。


 ――超怖い。


 せっかく覚悟を決めたジーメンスだったが、「なにこれドッペルゲンガー? しかも上位互換とか止めて欲しいのだがね! これじゃあボク、本当に今日死んでしまいそうだよ!」なんて思ったら、またも涙と鼻水が溢れてきた。せっかくの美少年がグショグショで台無しだ。

 それでも勇気を振り絞り、ジーメンスは刀剣サーベルを構え敵の喉首目掛けて水平に払う。

 

 まるで鏡に映したかの如く、敵も同じように刀剣サーベルを動かした。その姿を見ただけで、相手も相当の手練れだということが分かる。


 二人が交差すると戛然たる音が鳴り響き、朱色の火花が二度散った。どちらも互いの首筋を狙い、しかし届かぬと悟って手首を返した結果だ。


 ジーメンスと交差した相手は駆け抜けながら己の腕を見て、僅かに目を見開いていた。交差の一瞬で首筋を狙い、それが叶わぬと知って咄嗟に腕を斬りにくる――まったく同じ狙いであった。技量も多分、互角だろう。しかし痺れる手首を見れば、膂力だけは相手が上回っていたことになる。


「何て力だ……」


 だが彼にとって最も重要な点は、そんな事ではない。


「――あの男。どうしてあれ程の強さを持ちながら、ああまで情けなく泣いていたのだ?」


 イシュトバーンは後続のランス騎兵を白刃の下に切って落としつつ、首を傾げている。

 彼は知らなかったのだ――泣くと強くなるタイプの人間が、世の中にはいるということを。


 ■■■■


「敵騎兵部隊はイシュトバーン隊を突破し、我が軍左翼より抜けようとしております」

「イシュトバーン隊は、撃滅されたのか?」

「いえ、突破したと申しましても敵部隊は既に、十数騎にまで数を減らしているとのこと」

「では……イシュトバーン少佐はどうしておる?」

「部隊を反転させ、敵残存部隊を追撃中であります。それが彼本来の任務でござりますれば……」

「なるほど。多少は思惑と違ったが、凡そはヴァレンシュタイン公の掌の中……という訳だな」

「御意にございます」


 第六高地攻略部隊の本営では、キュンネケ少将が副官の報告に耳を傾けていた。目を閉じ、黒々とした口髭を摘まむその仕草は、いかにも上流階級の紳士然としたものである。

 

「よろしい。各部隊に通達――イシュトバーン少佐が敵拠点へ侵入するのに呼応して、総攻撃を開始する」


 キュンネケの下した命令は、ヴァレンシュタインの助言を正確になぞるものであった。

 つまり朱色髪の名将はキュンネケ少将に、このような助言を与えていたのだ。


「敵騎兵部隊の撤退に合わせ、我が騎兵が要塞内に侵入を果たす。これに呼応して総攻撃を仕掛ければ、卿が攻める高地は必ずや落ちるであろう」


 そして敵騎兵部隊を撤退へ追い込む為に貸し与えたのが、イシュトバーン率いる第七騎兵大隊という訳であった。


 とはいえヴァレンシュタインと云えども、予測し得なかった点はある。カミーユ達が直進し、イシュトバーン隊を突っ切った後に撤退行動へ移ったことだ。


 ヴァレンシュタインはカミーユ隊の行動を、もっと凡庸なものだと考えていた。要するに敵騎兵に遭遇したら反転なり方向転換なりをして、逃げ出すと思っていたのだ。


 そうすればイシュトバーン隊がカミーユ隊に追いつき殲滅することも、帰還に紛れ込んで敵陣へ突入することも容易であっただろう。


 しかし、カミーユは敵中突破を選択した。結果として部隊の半数以上を失うことにはなったが、代わりにイシュトバーン隊との距離を稼ぐことには成功したのである。

 そして、この方法のみがイシュトバーンから逃れる唯一の道だった。


「クソッ……他に方法は……無かったのか……」


 カミーユは後ろを振り返り、僅か十二騎にまで打ち減らされた味方を見て唇を噛む。何とか塹壕の出入り口に到達し、滑り込むようにして味方の陣営に帰還した。数を確認しようと思って振り返れば、この有様であった。


 イシュトバーン隊も、あと二百メートルの地点に迫っている。この距離であれば、入り口を閉ざす為の時間もギリギリだ。


 しかし、ここにきてイシュトバーンは更に速度を上げた。あるいは今まで、あえて追いつかなかったのかも知れない。

 入り口を守る兵が突出し、銃剣を構えた。


「はやく入り口を閉ざせッ! 敵に突入されるぞッ!」


 数十人の兵士が大急ぎで馬防柵を引きずるが、間に合わない。


「突撃せよッ! 入り口を突破し、一気に敵本営を衝けッ!」


 イシュトバーンは叫び、刀剣サーベルを高々と掲げている。そのまま彼は入り口を守る部隊に強襲を掛け、容易くこれを粉砕してしまった。

 ビュゾーもキーエフの攻略部隊が再び前進を始めた為、兵を割いて応援に駆け付けることが出来ない。


 だが防御側にもただ一人、この事態を予測していた者がいる。


「まったく、嫌な予感ってぇのは当たるもんだねぇ……」


 エリザ=ド=クルーズは葉巻の煙をくゆらせて、斜面を駆け上がってくるイシュトバーン隊を見つめていた。


 すでにエリザは方形陣を敷き、迎撃の準備を整えている。そこへ十二騎にまで打ち減らされたカミーユが辿り着き、馬から転げ落ちるようにして報告をした。


「も、申し訳……ありません……伯母上。罠に――……敵の罠に嵌ってしまいました」

「ああ、分かっているよ。ついでに言えば、現在進行形で罠に嵌っている最中さ」


 カミーユに続いていたジーメンスとユセフは、全身が痛むのか馬から降りるのも困難な様子である。


「う、うう……生きているかね、ユセフ……」

「ああ、辛うじて。どうやら、奴隷の子孫は天国お断り――ってことらしいな」


 エリザは報告を終えて目の前で倒れたカミーユと馬上で動かなくなった二人を見て、部下に顎をしゃくって見せた。「連れて行け」という意味だ。

 

 葉巻を捨てて軍靴の底で火を消し、エリザは口の端を吊り上げて言う。


「さてさて。せっかく帰ってきた若い命を散らせちゃあ、大人の面目が立たないってもんさね。総員着剣、騎兵の突撃に備えよッ!」


 エリザの指揮する歩兵一千とイシュトバーンが指揮する騎兵千五百が、今ここに激突する。

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