第146話 ニーム攻防戦 8


 エリザ=ド=クルーズは第六高地の頂上にある防御部隊司令部に到着すると、さっそく苦戦中の指揮官を見下し凄んでいた。


「――レニエ大尉と言ったか。今までご苦労だったね。さて、ここからはアタシが指揮を変わってやるから、状況報告を聞こうじゃあないか」

「援軍には感謝します。し、しかし小官には第二高地防衛の責任があり、指揮を変わるというのは……陸軍は陸軍、海軍は海軍で防御に当たれば問題無いでしょう」

「なるほど、なるほどぉ~~。アンタは命令系統を一本化する重要性も理解できない、無能ってワケかぁ?」

「そ、そういう話ではありません! そもそもクルーズ提督は南方艦隊の指揮官ではありませんか。それが陸軍の指揮をなさるなど、す、すす、筋が通らぬと申し上げたまでのことですッ!」

「アタシはね、一頭の獣に頭が二つあっちゃあ、おかしいだろって話をしているんだ。アンタらの筋なんか、知ったこっちゃあ無いんだよ。その辺、理解出来ているのかい?」


 煙草の煙をプカァと若い大尉に吹きかけて、エリザは深淵のような闇色の瞳で睨んでいる。右頬にある抉れたような傷が禍々しさを醸し出し、それが若い大尉には耐えがたい重圧となっていた。


「えっ、あっ、いやっ、その……」

「えっ、あっ、いやっ――じゃあ無いんだよ、クソガキィ。アタシはお前に聞いているんだ。キチンと物事を理解した上で、アタシに文句言ってんだろうなァ?」

「い、いえ、その……も、もも、文句など、滅相もありません、閣下」

「へぇー、ほぉ~、ふぅん。ま、なら、いいんだよ。ああ、そうだ。それから、一つだけ訂正しておかなきゃあならん事がある」

「な、何でありましょうか、閣下」


 レニエ大尉は、もはや完全にエリザの迫力に飲まれている。耳を劈くような砲撃音や銃声さえ、目の前の悪魔のような女性の前では子守唄に思えるのだった。


「うん。バルジャンに聞かなかったかい? アタシはねぇ、ランス南方艦隊の司令官なんてしょぼくれた職は、とっくの昔に辞めたのさ。今はフェルディナント海軍の第一海軍卿ファースト・シー・ロードってやつでね――どうだい? 美しい響きだと思わないかね、同志大尉。くふふ」

「お、思います、閣下」

「なら、宜しい。しばらくの間、よろしく頼むぞ」


 司令部の天幕の前で茫然と佇むレニエ大尉の肩をポンと叩き、エリザは防御部隊の幹部達を招集した。そして早速、作戦を皆に伝えたのである。


 ■■■■


 午前十時。エリザはランス陸軍をいったん後方へ下げ、休息を取らせると同時にフェルディナント海軍を塹壕内へ投入した。

 

 敵は重厚な戦列歩兵の横陣を前進させることで塹壕を圧迫し、ついには覆うように潰してしまおうという戦術だ。これに対してランス陸軍は塹壕内から適時応射し、敵の接近を阻んでいた。


 損害の比率は一対二とランス軍が優勢だが、このまま戦局が推移すればランス軍は全滅、敵は八千を残して第六高地を制圧する――という事態にもなりかねない。


 そんな中でエリザ=ド=クルーズが三千を率いて駆け付けたことは、第六高地を守る将兵にとって心強いものであった。


 霧はすっかり晴れ、空は突き抜けるような青さを取り戻している。秋の煌めく日差しを遮るものは、第六高地の頂上にある天幕だけであった。


 エリザは天幕にある長机の前に陸海軍の士官を集め、自らは上座に座っている。相変わらず葉巻を口に咥えたままの不敵な表情で、新たに指揮下へ加わった陸軍の士官をねめつけていた。


「敵がこうした戦術を取るということは、本国からの増援が期待出来るのだろう。対して増援を期待できない我が方としては、諸君らが相手に付き合った挙句、ここで全滅して貰っては非常に困るわけさ」

「ク、クルーズ提督ッ! 前回敵に攻め込まれた時には戦わずに逃げた貴方が、今、命をかけて必死で戦っている我等を愚弄するのですかッ!」


 レニエ大尉の部下の一人が立ち上がり、口角泡を飛ばして反論をする。「止めろ!」と大尉に窘められて、ようやく彼は大人しくなった。


「先の戦いは陸軍が勝算も無くニーム市に籠城し、市民にまで犠牲を強いようとしたから――アタシは逃げた。軍隊の基本は市民を守ることにある。軍隊がいるせいで市民が傷つくのなら、そこにいるべき理由など無い。だが――今は違う。勝算があり、守るべき市民が後ろにいる。戦う理由としては、十分だな」


 エリザは抑揚のない声で説明をした。それから何事も無かったかのように話を戻し、防御陣地を描いた地図上に指を滑らせる。

 

「いいか、これからは敵の左翼に火力を集中させる。いわゆる十字砲火クロスファイアだ。これで敵の陣形の一部に穴を開け、突破口を開く」

「そこへすかさず騎兵部隊をねじ込み、穴を拡大することが出来れば――敵も退かざるを得んでしょうな」


 エリザの言葉を引き継いだのは、ビュゾーであった。陸軍の面々はエリザとビュゾーを苦々しく見て、腕を組んでいる。相手の階級が自分達よりも上で代案も浮かばないから、こうするより他に無かったのだ。

 

 沈黙が続く中、陸軍の責任者としてレニエ大尉が申し訳なさそうに言う。


「しかし、ここにいる騎兵は百程度です。それでは敵軍を後退させ得るだけの衝撃力が得られますかどうか……」

「小官は命令とあらばどこへでも行きますが、しかし無駄死にはしたくありません。そもそもビュゾー閣下は、ずっと艦隊勤務であられたとか。にも拘わらず、騎兵戦術をご存じなのですか?」


 騎兵指揮官が目に怒気を宿らせ、ビュゾーを睨んでいる。


「ああ、知ってるよ。テメェが臆病風に吹かれたってんなら、俺が騎兵の指揮を執ってもいいぜ」


 つまらなそうに言うビュゾーを睨み、エリザが叱った。


「艦隊の参謀長が自ら騎兵突撃なんざ、笑い話にもなりゃしない。そういう人物が欲しきゃ、ラメットを連れてきたよ。アンタには塹壕で射撃の指揮を執るっていう仕事があるんだ、自重しな」

「――はっ、すみません」

「だが、まあいい。どうも陸軍はやる気がなさそうだ。カミーユ、アンタに騎兵の指揮を任せるよ」

「はい、閣下。お任せ下さい」


 カミーユは心得たとばかりに頷き、微笑を浮かべている。その後ろに立っていたジーメンスは眉根を寄せて、「マジなのかね、これはッ!」と天を仰ぎ、ユセフは「大マジだ。武勲には事欠かんな」と笑っているのだった。

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