第145話 ニーム攻防戦 7
「陸戦なんて久しぶりだねぇ。でもまぁ、ニームを戦場にしない為だ。行くよ、お前達ッ!」
頭の後ろで束ねた黒髪を揺らし、騎乗したエリザは銃を肩に担いで葉巻を薫らせている。こうして三千の部隊を率い第六高地へと向かう彼女の姿は軍司令官というより、むしろ山賊の頭目のようであった。
黒髪の海軍司令が副将として連れていくのは、参謀長のビュゾーだ。防衛戦ということで攻撃大好きラメットは居残りに回され、不貞腐れている。
なお、これを見てヴィルヘルミネは「引き離されたカップル」と認識し、ご馳走様であった。ビュゾーとラメットも令嬢の中では推しカプなので、美味しく頂いている。
それからエリザには、当然カミーユも従っていた。なのでジーメンスとユセフの二人もヴィルヘルミネに同行の許可を求め、第六高地の防衛線へと向かっている。
「ご馳走様じゃ――三人とも。麗しき友情が愛情に変わる日を、余は一日千秋の思いで待っておるぞ」
現実は秋も深まり戦火の渦中にあれど、ヴィルヘルミネの脳内だけは春爛漫なのであった。
■■■■
一方アデライードに課された任務は、また別のものである。
そもそもヴィルヘルミネが作戦を発案した趣旨は、「アデライードに面倒臭いことを強いてやろう。ついでに恥を搔かせてやるのじゃ」という最低なものであった。
なぜ不利な防衛戦でありながら、赤毛の令嬢が怯えもせずバカげたことを考え付いたのかと言えば、当然ながら理由がある。
ヴィルヘルミネは自らが主導して築き上げた(と、思っている)防衛線が、完璧だと過信していた。しかもオーギュストが先ほど第二高地を守り、五千の敵部隊を撃退している。お陰で「余の作り上げた要塞は、難攻不落じゃ」とますます無駄に自信を深めてしまったのだ。
だから第六高地に一万の兵が迫っていると聞き最初こそ焦ったが、結局はこう思って冷静さを取り戻したのである。
――ふふん。余の要塞は無敵。何度来ても叩き潰してやるのじゃ。
要するに必要な個所に必要な兵力さえ送れば、この要塞は何か月だって耐えられる――なんて甘い考えを令嬢は抱いていた。そうして、このような結論を出したのである。
――第六高地を守るだけなら、ぶっちゃけ誰でも守れるのじゃ。てことは海軍でも大丈夫じゃろうし、アデライードを無駄に動かすくらい、問題なかろ!
まさに軍事をナメ切った発想から、ヴィルヘルミネは一つの悪戯を思い付いたのだ。
しかも常から無表情の令嬢は、悪戯の際でも何ら表情を変えることが無い。だから本営に呼びつけたアデライードに言う際、これを
「
長卓に置かれた地図の上を、ヴィルヘルミネの持つ細い棒が弧を描き滑っていく。それは第一高地側から森を抜け、敵本営の背後へ至るような動きであった。
「うむ。アデリー、卿の任務は二千の騎兵を率いて西の森を迂回し、敵の本営を衝くことじゃ」
「し、しかしミーネ様。敵は三万に近い大軍です。その本営を衝くのに二千では少々……」
「心もとないかの?」
「はい――……それに敵騎兵を遮断する為の森ですから、私達の足も鈍ると思います」
「……で、あるか」
赤毛の令嬢は、内心で舌を出している。ここでアデライードが断っても、別にいいのだ。「やーい、臆病者ー」と後で謗ってやる理由が作れるのだから。
だが、どうせなら「森で迷って敵の後ろに出られませんでしたー」という方が面白い。だからヴィルヘルミネは、もう一押ししてみることにした。
「しかしの、アデリー。いや、レグザンスカ少佐。敵は未だ、我が方の各高地に二千から三千の兵力を固定しておる。にも拘らず第六高地のみに一万もの兵力を集中したとなれば、必ずや敵の本営は手薄なはず。これを衝かしむれば、おのずと敵は第六高地から撤退するであろう。
何より敵も我が方の騎兵が、森を抜けて後方を衝く――とは考えぬはずじゃ。そこが盲点である。フハ、フハハハ。まあしかしの、卿が怖くて森に入りたくない、敵の背後に出たくないと言うのなら、無理強いはせぬぞ。うむ、うむ。フハ、フハ、フハハハ」
口元に三日月を描いたヴィルヘルミネは、冷然たる悪魔のようであった。けれどこの時、アデライードはこう思ったのだ。
――確かに、その通りだわ。敵もまさか、
酷い勘違いだ。だというのにアデライードは翠玉の瞳に決意の色を滲ませ、作戦の詳細を詰めることにしたのである。
「分かりました――……ですが迂回には相応の時間が掛かります。その間に第六高地が落ちるなどと言うことは?」
「問題ない。クルーズ提督が三千の兵を率い、救援に向かっておる」
「なるほど。クルーズ提督が敵を引き付けていてくれる、という訳ですね」
「んむ?」
アデライードの解釈に、ヴィルヘルミネの頭は混乱した。頭上で巨大なクエスチョンマークが点滅している。だが、それもすぐに収まった。
――エリザが敵を引き付けるとか、何を言っとるんじゃアデリーは。そもそも第六高地の問題は彼女が全部片づけてくれるから、それで終いじゃろ。
どうせ騎兵で森を迂回なんて無理じゃろうから、行って、せいぜい森で道に迷ってしまえー。ぷぇぷぇぷぇー! オーギュとキスをした罰じゃー!
ヴィルヘルミネの内心は女神でも何でもないクズであり、ただの陰険な悪役令嬢だ。けれどアデライードは見い出せた「勝利の可能性」が嬉しくて、ヴィルヘルミネをギュッと抱きしめ――
「ああ、ああ、ミーネ! あなたはやっぱり軍事の天才だわ! ありがとう! 私、ヴァレンシュタインが交渉に応じなかったから、この戦いを半ば諦めていたのよ――もうダメかもって。だけど――……だけどあなたがいてくれた! そうなの、あなたがいるのよ!」
「ぷ、ぷぇ?」
ヴィルヘルミネは戸惑った。ただ嫌がらせをしようとしているだけなのに、こんなに好意を寄せられると頬が赤くなってしまう。「やっぱりアデリー、好き」とデレ始めた。
――どうしよう。ネタばらしして、「行ってはならん」と言うべきじゃろか……?
「ま、待て、アデリー。森はやっぱり危険じゃからして……馬ではちょっと。余の作戦、再考の余地がありそうじゃなぁと思わなくも無いんじゃが、じゃが……」
「大丈夫。馬を降り、徒歩にて森を越えましょう。そののち、また騎乗すれば良いだけのことです」
「う、うむ。そうじゃな。それはそうとして、敵の背後に出るまでの時間じゃが、じゃが……」
「その為に、クルーズ提督が敵を引き付けておいてくれるのでしょう。必ず間に合わせ、敵本営の背後を衝いてご覧に入れますッ!」
「だ、大丈夫かの? 本当に大丈夫かの?」
「はい! 必ずやヴァレンシュタインの首、獲ってまいります!」
「首ィ!? ――……で、あるか」
なんだかやる気になってしまったアデライードを見つめ、ヴィルヘルミネは申し訳ない気持ちでいっぱいになっている。そんな所へゾフィーがやってきて、話を余計に拗らせた。
「レグザンスカ少佐! その意気やよしッ! わたしもお供します!」
――何を言っておるのじゃ、ゾフィー! アデリーを止めるのじゃー!
ヴィルヘルミネ、心の叫びである。しかし金髪の戦闘民族二人に、彼女の気持ちは届かなかった。
「あら、ゾフィー――……でも、この任務は危険よ?」
「アデリー、だからこそ、わたしも共に行こうと言うのです!」
赤毛の令嬢は、不安げに眉根を寄せている。そこへゾフィーが更なる追い打ちをかけた。
「ヴィルヘルミネ様はただ、わたしに一言お命じ下さい。ヴァレンシュタインを倒せ――と」
ゾフィーは闘志を込めた蒼氷色の瞳で、ヴィルヘルミネをじっと見つめている。それが清く美しすぎて、無粋で醜い心根のヴィルヘルミネは蒸発しそうになっていた。
「いや、じゃからゾフィー。そうではなくて、じゃな。その――……そんな目で見るな。余は、余は……」
わたわたとするヴィルヘルミネからアデライードに向き直り、金髪の少女が問う。
「わたしは、あなたの邪魔になりますか?」
「いいえ。あなたさえ良ければ、あなた以上に背中を任せられる人はいないわ。でも本当に、一緒に来てくれるの?」
「もちろん――……ヴィルヘルミネ様さえ、一言お命じ下されば」
キラキラと輝く金髪の二人が、微笑を浮かべて手を取り合った。
――あっ、ご馳走様じゃ。
ここに至りヴィルヘルミネは胸元で手を組み、神の恵みに感謝して命令を下す。
「――よろしい、ならば出撃じゃ。ゾフィー、アデリー。共に手を取り合い、敵の後背を衝け。あー……しかしの、戦術目標はあくまでも第六高地の敵を退けることじゃ。それがなれば、無理をすることは無いぞ」
この時のヴィルヘルミネは「どうせ二人とも森で迷うに違いない。その間にエリザが第六高地を守り切るじゃろうから、銅鑼でも鳴らして適当なところで戻ってきて貰おう」と思っていた。
けれど金髪の美女と美少女はヴァレンシュタインを殺る気で、二千の騎兵を率い意気揚々と出撃したのであった。
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