第147話 ニーム攻防戦 9
ビュゾーは最前線である第六高地の塹壕に降りると、距離にして凡そ百五十メートルの地点で待機している敵軍を見た。敵は既に二度、突出しては防御部隊に撃退されている。
しかしそれは、敵軍の攻撃が本気では無かったからだとビュゾーは考えていた。お陰で陸軍の中途半端な反撃でも、凌ぐことが出来たのだろう。
――こちらの火力を測る為に、あえて二度、突出させたってことだ。
ビュゾーは「ちっ」と舌打ちをして、唾を吐き捨てた。
部下を使い捨てにして敵軍の戦力を測るというやり方が、彼は嫌いだ。貴族の上級指揮官が平民の兵士を指揮する時、よくやるやり方だからである。
そして敵は三度目の正直とばかりに、前回よりも圧力を増して前進を開始した。
「総員、敵左翼を、よぉーく狙っておけ。陸の馬鹿どもに海軍の強さを見せつけてやろうじゃあねぇか。ハハハッ!」
ビュゾーは銃を肩に担いだまま、あっけらかんと笑っている。
そして彼は敵が
「――今だ、撃てッ!」
ビュゾーが号令を下したタイミングは、まさに絶妙であった。勢いをつけ始めた敵の一部が、バタバタと倒れていく。それはまさに、歯の一部が抜け落ちていくかのようであった。
「怯むなッ!」
一方、銃弾を食らわなかった敵の中央と右翼は、何が起きたのか分からぬまま前進を続けている。銃撃音は確かに聞こえたが、誰も倒れていないから運が良かった――などと思いながら。
それが為にキーエフ軍の陣形は大きく崩れ、指揮官であるキュンネケ少将は指揮杖をボキリと折って激怒した。
「平民どもは前線で何をしておるッ! 足並みを揃えねば、大軍の意味が無いではないかッ! 中央と右翼に連絡! 敵を牽制しつつその場に留まり、左翼の前進を待てッ!」
そのキーエフ軍左翼に、突如として少数の騎兵が突撃した。数はおよそ百騎。先頭で馬を駆るのは、褐色肌でエキゾチックな顔立ちの大柄な少年だ。僅かに遅れて少しくすんだ金髪を靡かせ、半べその美少年が続いている。その背を追うように黒髪緑眼の美少年が、
ユセフ、ジーメンス、カミーユの三人だ。
そのうち二名は、たとえ陸軍の騎兵隊が後ろに続かなくとも、敵陣に突っ込むつもりでいた。しかし残り一名――ジーメンスだ――は、「ボクのようなエリートはぁぁぁぁ! 後方でぇぇぇ! 指揮を執っているべきだと思うのだがねぇぇぇぇええ!」と叫びながら走っている。
こんなヤツに前を走られたものだから、陸軍の騎兵達もちょっと悔しい。お陰で少しイラっとし、敵に対する闘志が湧いたのであった。
だが、一度接敵すれば、ジーメンスは鬼のように強かった。
「うわぁぁぁあああ! 来るなぁぁあああ! ボクは馬に乗って戦うのなんか、初めてなのだよぉぉぉお!」
が――ジーメンス自身はギャン泣きだ。
何しろ僅か百騎で一万はいるだろう敵軍の左翼へ突っ込み、その後、敵中で迂回して右翼側へと抜けるのだ。普通に考えれば、「生きては帰れない」と思うだろう。もちろんジーメンスも、そう思っていた。
けれど兄弟たちが「先頭で戦う」なんて言うものだから、彼は泣きながら参加したのである。
もっともユセフとカミーユは、騎兵と歩兵の相性を知っていた。密集して混乱した状況にある歩兵の中に騎馬で突っ込むことが出来れば、それだけでもう無敵なのだ。
馬の重量と突進力に、人間が敵うはずが無い。だから敵中に入りさえすれば、たとえ百騎でも十分に突破は可能だと考えていた。
実際、百名のランス騎兵は矢のように敵陣へと突き刺さり、傷口を広げている。それはまるで罅の入った岩が、ぱっくりと二つに割れていくように。
エリザは第二高地の大隊本部からその様を眺め、会心の笑みを浮かべていた。
「カミーユめ。義兄弟とやらを得て、見事に化けたねぇ。くっくっく」
こうしてカミーユ達は敵左翼から右翼にかけて反時計回りに進み、敵の中級指揮官を五名ほど討ち取った。内約はジーメンスが三名、ユセフとカミーユが一名ずつである。
十二時五分。前線指揮官を立て続けに失い、キーエフ軍のキュンネケ少将は部隊を再編制する必要に迫られ、攻略部隊を一時的に後退させるのだった。
■■■■
十一時四十五分、麾下の師団長に第六高地攻略を任せていたヴァレンシュタインは、小高い丘の上に幕僚と馬を並べ、戦局を見守っている。カミーユ率いる騎兵部隊が、左翼に開かれた傷口に突入した頃のことであった。
ヴァレンシュタインの下には二人の師団長がいる。一人は早朝に第二高地を攻めたカーマイン少将、もう一人は現在第六高地攻略の指揮を執っているキュンネケ少将だ。爵位はキュンネケ少将の方が上で、伯爵であった。
二人とも純然たる貴族主義であり、ごく自然に平民を見下している。とはいえ、それが即ち暴虐の類かといえば、そんなことは無い。
人間が犬に愛情を注ぐように、彼等もまた平民を愛していた。ただ単純に、「同じ人間とは見なしていない」だけである。
ヴァレンシュタインはこれを「度し難い傲慢」と考えていたが、しかし自身が帝国屈指の大貴族である為、表立ってそれを口にすることは無かった。よって朱色髪の名将と配下の師団長二人の間に、表立った軋轢は無い。
「キュンネケのやつ、今頃は歯噛みして悔しがっているだろうな」
「そう思いますけど、お父様。どうしてキュンネケ少将を助けに行かないんですの?」
ヴァレンシュタインの言葉に応えたのは、もっとも近くにいた少女であった。彼女は朱色の髪をツインテールに纏め、帝国軍大佐の軍装を身に纏っている。が、実態は幼年学校の生徒で、階級はあくまでも伍長に過ぎない。
そんな彼女が主将であるヴァレンシュタイン対し鷹揚に応え質問までしてのけるのは、血を分けた実の娘だからである。
その名はルイーズ=フォン=ヴァレンシュタイン。自称天才にして、今は単なる父の腰巾着であった。
「キュンネケはプライドの高い男だが、その分だけカーマインよりも有能だ。あの程度の攻撃で壊滅することは無いだろうし、それに一度痛い目を見た方が、私の言う事を素直に聞くようになる。まぁ、それで犠牲になる兵達には何と詫びたらいいのか、言葉も無いのだがな……」
ヴァレンシュタインは娘の質問に対し、丁寧な回答を与えた。
父としては娘が軍人になる事に関して、基本的に反対だ。しかし選んでしまったからには、その世界で生き抜く力を養って欲しいと思っている。だからなるべく詳しく語り、状況を正確に理解して欲しいのだった。
「そういうことでしたのね、お父様。だけどキュンケネ少将が手玉に取られるなんて、どうやら敵には優れた将がいるようですわね。このわたくしと、同じくらいにッ!」
琥珀色の大きな瞳をキッと敵陣へ向けて、左手で顔を覆う。いわゆる中二病ポーズを決め込んで、ルイーズは「ウフフフフ……」と不気味に笑っていた。
もちろんヴァレンシュタインは娘の痛い行動をスルーして、きちんと説明を続けている。
「ああ、優秀だ。しかし、対抗策が無いわけじゃあ無い。といって、私が直接指揮を執るわけにもいかないが……」
「あ、あら。それでは一体どうなさいますの、お父様? あっ――まさかついにわたくしが全軍を指揮して、敵の殲滅を?」
「お前に兵権を預けたら、その時点で全軍が霧散する。馬鹿を言うな」
父にギロリと睨まれて、ルイーズはシュンとした。
「そこまで言わなくても……で、どうするのですか?」
「うむ――次善の策、というところかな。私が直接指揮を執ると言えばキュンネケも面白く無かろうが、痛い目を見た後であれば、助勢と助言くらいは素直に受け入れる気にもなるだろう」
「助勢と助言?」
「そう、助勢と助言さ――……イシュトバーン少佐をここへ。彼に頼みたいことがある」
ヴァレンシュタインは娘との会話を打ち切って、副官に声を掛ける。
十四時二十分、部隊の再編成を終えたキュンネケ少将はヴァレンシュタインの助言を受け入れ、再び軍勢を前に進めるのであった。
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