第142話 ニーム攻防戦 4


 午前六時。間断なくランス軍陣営に砲弾を撃ち込んでいたヴァレンシュタインは、ここで小休止を命じた。


「よし、弾幕を張るのはここまでだ。以後の砲撃は五分おきに三十分間繰り返せ。味方に当てぬよう、砲の仰角には十分に注意しろよ」


 ヴィルヘルミネと同じく、やはりヴァレンシュタインも深い霧の中にいた。とはいえ彼の場合、ニーム周辺の地形と気象条件を熟知している。したがって今日、霧が出るであろうことも晴れる時間帯も、十分に予測が出来ているのだった。


 しかし後方に設置した本営では、どうも戦場の感覚が分かりずらい。攻略目標の第二高地から、離れすぎているからだ。

 それで幕僚を引き連れ馬に乗り、晴れていれば第二高地が正面に見えるであろう地点まで、ヴァレンシュタインは進出しているのだった。


「ミーネだって、まさか霧と砲撃に紛れ込ませて擲弾兵を送り込んでくるとは、夢にも思わないでしょうね! 流石はお父様なのだわ!」


 やや小さな馬に乗り、ルイーズがヴァレンシュタインの隣で小さな胸を反らす。霧で周囲が見えないから、彼女は「私に付いてくるのならば、決して離れないように」と父から釘を刺されていた。


「さて、それはどうだろうね」

「思わないに決まってますわ! だってミーネのアンポンタン、ぜんぜん撃ち返して来ないじゃありませんの!」

「ああ――……しかしね、私は彼女を侮る気はないよ。もしかしたら、タイミングを計っているいるだけ、なんて可能性もあるのだから」

 

 ヴァレンシュタイン軍は現在、ランス軍の防衛線に沿って二万八千の軍勢を展開していた。これはアルザスに守備兵力を置かず、朱色髪の名将が、持てる全兵力を投入したことを意味している。


 そして現在は砲撃に合わせ、五千の歩兵を第二高地へ向け前進させていた。さらにその先鋒として、ベッテルハイム率いる二百の擲弾兵を先行さている。彼等が間もなく第二高地の塹壕へ、到達しようという状況であった。


 ヴァレンシュタインの作戦は、このような段取りだ。 

 五時三十分の砲撃をもって作戦を発動させ、五分間隔の砲撃に切り替えた時点で第二段階へ移行する。

 これは先行する五千の歩兵と二百の擲弾兵に対する合図も兼ねており、砲撃が途切れるごとに彼等は霧と煙に紛れ、さらに敵との距離を詰めるのだ。


 特にベッテルハイム率いる擲弾兵部隊は、銃剣突撃による塹壕内部への斬り込みを目的としている。彼等が敵を混乱させ傷口を作ったところで後方の五千が突入し、第二高地の塹壕を制圧するという作戦だ。

 なお五千の兵が突入を予定しているのは午前七時――それが霧の晴れる時刻なのであった。


 むろん、ヴァレンシュタインは昨日のうちにランス軍の配置を望遠鏡で確認し、彼等が第二高地に重きを置いたことを見抜いている。であればこそ彼は大軍の利を活かしつつも、天候を利用した奇策に打って出たのだ。


「――さて、ヴィルヘルミネはどう出るか。ここで決着が付けば、楽でいいのだがな」


 ヴァレンシュタインは馬上から、目視出来ない第二高地を見つめて一人ごちるのだった。


 ■■■■


 午前六時二十五分。ベッテルハイムは砲声が止むと木製の方位磁石に目を落とし、自らの位置を確認した。それから無言で掲げた右腕を振り下ろし、前進する。

 彼は先のオーダン山脈における敗戦の責任を感じ、初戦の先鋒に志願したのだった。


 ベッテルハイムが率いる擲弾兵は、二百名。全員が軍服に白い帯を巻き、目印としている。彼等は既に銃剣バヨネットを装着し、ランベール隊が守る第二高地の塹壕間近まで来ているのだった。


 暫く進むと、再び味方からの砲撃が始まる。これが最後の援護射撃で、弾丸も至近に落ちていた。部下の中には、巻き込まれやしないかと不安に思う者も多い。

 とはいえ、この作戦に志願した者は全員オーダン山脈戦の生き残りだ。この戦いで功績を立て、先の戦いの雪辱を誓っているから、それでも勇気を奮い立たせるのだった。


 砲撃が終わると、敵陣はもう目と鼻の先である。

 ベッテルハイム率いる擲弾兵部隊は匍匐前進で敵陣へ近づき、塹壕の中へと一気に突入した。


「――フンッ!」


 まずベッテルハイムが堀の中へと躍り込み、壁に背を付けて煙草を吸う兵士の胸を銃剣で貫いた。

 ランス兵は突然のことに、何が起こったのかさえ分からない。霧の中から突如として人が現れ、無言で同僚を刺殺したのだ。


 ランス兵の一人が、半狂乱で悲鳴を上げた。その喉笛をベッテルハイムが、またも一突き。ひゅーと空気の抜けるような音と共に、男が絶命した。

 

 ここに至り、ランスの分隊長が「敵襲!」と叫ぶ。同時にベッテルハイムの部下達も、次々と塹壕の中に躍り込んだ。


 パン、パン――と乾いた音が鳴る。ランス軍の兵士が発砲した。しかし、それで倒れたキーエフの擲弾兵はいない。もともと彼等は着剣し、白兵戦を主体としていたからだ。こうなることも当然予測している。


 発砲音が鳴った瞬間、キーエフ兵は身を伏せ、敵の足元を狙って攻撃をした。こうした結果、起きたのはランス軍による凄惨な同士討ちである。


「止めんか! 視界の悪い中で銃を撃てば、同士討ちになるッ!」

「し、しかし――中尉殿! 迎撃しなくてはなりませんッ!」

「分かっている! 総員着剣だ! 白兵戦で敵を掃滅しろッ!」


 パンパンパンッ――


「なぜ銃を撃つかッ! 着剣しろと言っているだろうッ!?」

  

 現場の防衛を担う中隊指揮官は、歯噛みした。味方の悲鳴と怒声で、命令が誰にも届かないからだ。

 ランス軍は遠距離戦を想定しており、銃剣バヨネットをまだ付けていなかった。だから為す術も無くキーエフの擲弾兵に蹂躙され、混乱状態に陥ったのである。

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