第140話 ニーム攻防戦 2


「前方にキーエフ軍を捕捉しました! 中央に銀竜旗ズイルバドラヘンがあり、ヴァレンシュタイン公爵が直接指揮を執っているものと思われますッ!」


 緊迫感に満ちた報告がヴィルヘルミネに齎されたのは、十月二十六日夕刻のこと。

 報告を受けた直後、赤毛の令嬢は常に無くボンヤリとしていた。大好きなチェスをやっていたというのに、心ここにあらず――といった体である。


 だからエルウィンが令嬢に、もう一度だけ伝令と同じ報告をした。すると彼女は冷然とした怒りを露にし、頷いたのである。


「で、あるか。ヴァレンシュタインめ――余が会談を申し込んでおると言うに、これを軽々に無視するとはの」


 既に準備は整い、戦闘配置も済んでいる。ならば、この報告も驚くほどのことでは無かった。だから第七高地の本営にある幕舎の外でバルジャンとチェスをしていた令嬢は、駒を投げ捨て茜色の空を見上げながら吐き捨てたのだ。


 というか――この時ヴィルヘルミネは、むしろヴァレンシュタインに感謝したいくらいであった。何故なら……。


「あ、ヴィルヘルミネ様。敵が来たからって私から逃げないで下さいよ。ほら、駒までバラバラにして! 駄目でしょう、そういうことをしちゃあ! 今日は私が初めて勝てそうなんですから! ねぇ、ねぇったら! 人の話、聞いてます?」


 立ち上がってヴィルヘルミネの袖をひっぱり、再び席に着かせようと頑張るバルジャン少将の姿は滑稽だ。


「うるさいのう、バルジャン。余はたった今、それどころでは無くなったのじゃ」


 ランスの英雄に引っ張られた袖を振り切り、赤毛の令嬢は傲然とした笑みを浮かべた。バルジャンなんかに負けてたまるか。「チェスをやめる、丁度いい口実ができた」と、思っていたのだ。それゆえに当初、彼女は怒って見せ、そして笑ったのである。


 ――それにしても余、何か変じゃ。アレを見て以来、心がモヤモヤするのじゃ。おかしいのじゃ。お菓子もおいしゅうないし、チェスだってバルジャンごときに負けそうになって。原因も分かったはずなのに……。


 無表情の仮面の下、実のところヴィルヘルミネは、あることで悩んでいた。


 もちろん周囲には名将ヴァレンシュタインとの戦闘に際し、ヴィルヘルミネの血が騒いでいるようにしか見えない。何ならバルジャンも、「名将ヴァレンシュタインの来襲を前にチェス優先なんて、ずいぶん余裕だなー」と、皆から感心されている。


 ポンコツが二人揃うと、何故だか妙な安心感を周囲に齎すのだ。マイナス×マイナスが、プラスになるようなものであろう。

 もっともバルジャンの場合は、赤毛の令嬢がいるので安心しきっているだけなのだが。


「ヴィルヘルミネ様、いかがなさいます?」


 本来の師団長であるバルジャンが「ミーネ様ぁー! チェスのつーづーきーやーるーのー!」と駄々をこねている為、やむなくエルウィンが進み出てヴィルヘルミネに問うた。敵が接近したとなれば、司令部の方針を決定する必要があるからだ。


「うむ、我が方の備えは万全じゃ。いずれ本格的な戦闘は明日以降であろうが、今夜のところは夜襲にも十分備え、必要とあらば迎撃せよ」


 自軍の弱点などまるで知らないヴィルヘルミネは、バルジャンを蹴飛ばしチェスを片付けさせて、自信満々に命令を下す。


 ダンドリクはそれを見て、一人危惧していた。


 ――敵は絶対、あの第二高地に戦力を集中してくるはずなんさ。だどもヴィルヘルミネ様の余裕っぷりは、何か対抗策があるんだべか? いくら守将のランベール少佐が優秀だからって、相手はあのヴァレンシュタイン……守り切れるとは思えねぇが。


 しかし先日の戦闘で自信を喪失していた為に、令嬢やバルジャンに進言することが出来ないダントリクなのであった。


 ■■■■


 実際に戦闘が始まったのは令嬢の言葉通り、翌早朝のことであった。こうした予測が何故か出来てしまうから、ヴィルヘルミネの天才説が罷り通ってしまうのだろう。


 この日は朝から霧が出ており視界が悪く、ヴィルヘルミネ陣営が敵の接近を知ったのは、その砲撃によってである。


 東のリモジュ大河が齎した深い霧の中、突如として爆音が鳴り響いた。時刻は午前五時三十分、黎明である。

 その時ヴァレンシュタインが主力を差し向けたのは、やはり中央左の丘であった。むろんダントリクも懸念した、第二高地である。


 一方ピンクブロンドの髪色をした青年も、第二高地が主戦場になるであろうことは予測していた。

 だから、その対応策としてオーギュスト=ランベールを指揮官とし、二千人を配置している。これは他の高地を守備する兵力の二倍だ。


 ダントリクの考えでは、それでも不安が残る布陣であった。その点に関しては、実のところエルウィンも同様である。相手が名将ヴァレンシュタインである以上、絶対はあり得ないからだ。


 そこで、ある夜のことエルウィンは、ヴィルヘルミネに一つの伺いを立てた。


「要塞を築き堅守するとしても、いったい何時まで守れば良いのでしょうか? ヴァレンシュタイン公が諦めるまで……とするならば、いささか曖昧に過ぎるかと存じますが」

「で、あるか。ならば十一月まで耐えよ」


 ヴィルヘルミネは煌々と焚かれる篝火の炎を紅玉の瞳に映し、艶然として言った。耐えればどうなる――という話ではない。ただ、「耐えよ」と令嬢は言ったのだ。エルウィンは主君を信じ、跪き了承した。

 

 だからエルウィンは、第二高地が激戦となることをオーギュストに事前の作戦会議で説明する際、酷く悩んでいる。十一月まで守った結果、どうなる、とは説明が出来ないからだ。場合によっては自身が防衛の任に当たろうと考えた程である。


「ヴィルヘルミネ様は、十一月まで耐えよと仰った。敵は恐らく、この第二高地を狙ってくるだろう。激戦になる。ランベール、それでも防衛を頼めるか?」

「頼めるか――なんて水臭いでしょう、デッケン先輩。ここを十一月まで守れば勝てるとヴィルヘルミネ様が仰っているのなら、やりますよ。ランス砲兵の意地、ここで見せなきゃ、どこで見せるって言うんです?」


 オーギュストもランスの俊英と言われた男だ。エルウィンに説明されるまでもなく、第二高地の重要性には気付いていた。当然アデライードも、だ。


「ま、待って、オーギュ。ここはわたしが守るわ。私にだってランス騎兵の意地があるもの」

「おいおい、アデリー。高所に陣取り大砲をぶっ放すからこそ、敵も怯むってもんだろう。だいたい、お前の騎兵が予備兵力として友軍の支援に回ってくれなきゃ、俺だって安心できないぞ」

「だけど……!」


 アデライードはオーギュストの任務が、相当に危険なものであることを知っていた。相手が名将ヴァレンシュタインで、迎撃するには兵力が足りないことも。

 その上で、もしも第二高地を守り切れる人物がいるのなら、やはりオーギュスト=ランベール以外にはいないであろうことも理解している。それでも彼女は今、彼を止めたかった。


「適材適所さ――……ヴィルヘルミネ様とバルジャン少将が後ろでデンと構え、デッケン中佐がそれを補佐して俺が要衝を守る。そしてアデリー、君は勝敗を決める決戦兵力だ。これならヴァレンシュタインにだって、きっと勝てる」


 片目を瞑り、オーギュストは言った。アデライードの瞳が潤み、赤くなっていく。

 エルウィンはオーギュストの肩を軽く叩き、ほほ笑んだ。


「そう言ってくれると……助かる。だが無理はするな。守り切れぬとなれば、すぐに後退しろ。それこそ後ろには僕もバルジャン少将も――……そしてヴィルヘルミネ様もいらっしゃるんだ。心配ないさ」

「そうだ、後ろには俺がいるんだぜッ!」


 何が危険なのか分からないバルジャンは親指を立て、二ッと笑う。この男はヴィルヘルミネが無敵だと信じ切っているから、相当にお気楽なのだ。

 そして赤毛の令嬢はこの時、お昼寝中なのであった。


 ■■■■


 作戦会議が終わるとアデライードはオーギュストの下へ行き、彼の両腕を掴んで「ばか」と言う。万感の思いを込めた罵声であった。

 秋風の吹く夕暮れ、第七高地の大きな樹の下で、銀髪の男と金髪の女が赤い瞳と緑の瞳を絡ませ、見つめ合っている。


「オーギュ。私は、あなたが死ぬことなんて望んでいないわ。だから……本当に危なくなったら逃げなさい」

「軍人らしくない望みだな。ここは、死んでもランスを守れ――……っていう場面だろう?」

「あなたには、生きていて欲しいのよ。だから、そんなこと言えない」

「アデリー……俺だって君に生きていて欲しいさ、何があっても」


 二人は互いの額をピタリと付けて、目を閉じた。


「オーギュ。あなたは、私を生き延びさせて何を望むの?」

「昔のままさ、変わらない。一緒にメシを食って騒ぎ、そして語り合う。大貴族と平民の関係としちゃあ変だが、俺はそれが気に入っているからな。アデリー、君は?」

「私は……その……これからの世は、貴族も平民も無いのでしょう? そういう時代を作る為に、革命が起きたんじゃあなかったの? だったらわたし達の身分差なんて、無くなるのよ?」

「――何が言いたい?」

「言いたいんじゃないの。わたしは、あなたに言わせたいの。ずっと、知っていたんだから」

「俺が君をどう思っているのか、だろ? 相変わらず大貴族は、平民に厳しいな。命令ばかりだ」

「そうね、だから革命が起きたのよね。分かった、私から言ってあげる。好きよ――……だから絶対に死なないで」

「生きていたら、何かご褒美はあるのかい?」

「一緒に暮らしましょう。でも、こんなの……ご褒美には、ならないかしら?」

「……いや。俺の安月給で三か月分、そんな指輪で良ければ用意しておく」


 この時、オーギュストとアデライードは初めて唇を交わし、たっぷり五分も見つめ合っていた。

 ちょうどお昼寝から目覚めたヴィルヘルミネがそこにいて、木陰で爛と紅玉の瞳を閃かせ、ガン見していたとも知らぬままに……。

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