第134話 ブラッディ・ミーネ
エルウィンとカミーユの二人はニームへ上陸すると、すぐに駐屯部隊の司令部へ案内をされた。キーエフ軍は中規模なホテルを借り切っているらしく、働いている民間人がチラホラと見える。
見たところキーエフ軍の統率に乱れはなく、街が略奪された形跡も無かった。エルウィンとカミーユは視線を交わし、それらのことを確認している。
吹き抜けのロビーに設えた椅子に座り、二人は敵の残留部隊指揮官と向かい合った。他に立ち会っている人物は、ニームの民政官とキーエフ海軍の後方参謀だ。彼等は残留部隊指揮官の左右に座っている。
エルウィンが近衛連隊中佐の正装で赴いたのは、特にヴィルヘルミネの意向を強調する為だ。一方カミーユ=ド=クルーズの存在は、ランス南方艦隊が令嬢の指揮下に入ったことを端的に示す一助となっていた。
キーエフ陸軍残留部隊の指揮官は大尉に過ぎず、エルウィンに対して地位で負けている。
海軍の代表は大佐だが、実戦部隊の出身ではなく官僚だ。だから、若いながらも実戦経験豊富なエルウィンの纏う覇気に圧倒されていた。
ニームの民政官はランス人なので、どちらかといえば最初からエルウィン達の味方である。
とはいえエルウィンは護衛を連れず、カミーユだけを伴ってニームへ上陸していた。ゆえに、たとえ交渉の席で多少優位に見えても、これが命懸けであることは変わらないのだ。
双方とも軽い自己紹介を済ませると、すぐに本題に入った。そもそも笑顔で談笑する、といった間柄ではない。必要なことを必要な分量だけ話し合い、決定すれば事足りるのだ。
キーエフ軍としては僅かでも時間を稼ぎたいところだが、それが露骨に過ぎれば足下を掬われる。ましてやエルウィンには彼等を慮ってやる理由など、一つとして無いのだから。
「キーエフ軍には、無条件で降伏をして頂きたい。そうすれば捕虜として、貴官らを丁重に扱うことを約束しましょう。その後ニーム市の扱いだが、一時的にフェルディナントの統治下に入って貰います。これは無用の混乱を避ける為だと、ご了承頂きたい」
エルウィンは長い足を組み、尊大なまでの口調で言った。夜空色の瞳には、勝者だけが持ち得る嗜虐の愉悦が宿っている。
目の前で残留部隊の指揮官が、目を見開いた。奥歯も噛みしめている。
ニームの民政官は眉根を寄せて、反論をした。
「一時的にと申されますが、我々は既にランスの新政府へ税を納めています。その上キーエフの臨時徴税もありましたし、これ以上は民衆を抑えられませんよ。その辺りのこと、ヴィルヘルミネ様はどのようにお考えなのですか――デッケン中佐」
「むろん、存じています。便宜上フェルディナント軍が統治するというだけで、税を新たに徴収するつもりはありません。いずれ我等はランス新政府に、幾ばくかの謝礼を頂くつもりですから」
「そういう事でしたら、私に依存はありません」
エルウィンと民政官のやりとりを横目に、海軍後方参謀はオドオドと額の汗をハンカチで拭っている。
こうした事態に我慢が出来なくなったのか、陸軍残留部隊の指揮官が捲くし立てるように反論を開始した。
「侮らないで頂きたい、デッケン中佐。我等は名高きヴァレンシュタイン公の部下、降伏など思いもよらぬこと。貴官は既に勝った気でおられるようだが、勝負はやってみなければ分からないのですぞッ!」
「ほう。大尉はヴィルヘルミネ様が差し伸べた手を、無用と払いのけるのか? ましてや負ける戦をやってみねば分からんとは――……ヴァレンシュタイン公も大した部下をお持ちだ」
エルウィンは唇の端を歪め、冷笑を浮かべている。
「デッケン中佐、言い過ぎです! 我等が来たのは、いったい何の為ですかッ!?」
「愚か者に愚かだと言って何が悪いのだ、クルーズ少尉。いいか、交渉は下手に出れば良いというものではない――……そもそも君は私の案内役兼護衛なのだから、口を挟まず黙って見ていろ」
カミーユは背筋に寒気を覚えた。まるで氷の棒を背中へ入れられたような気がする。「会議で決めた方針と、全然違うじゃないか!」と喚きたかった。
残留部隊の指揮官は、これでも怒気を抑えている。万が一彼が暴発して交渉が決裂すれば、無用な血が流されるのだ。
ニームは幼年学校を卒業したばかりのカミーユを、温かく迎え入れてくれた街。決して戦場にしたくはない。休日の度に行く雑貨屋、カフェ、レストラン、路地裏の子供達――彼等の笑顔が脳裏に浮かんでは消えた。
「ま、待ってください、デッケン中佐」
「何です、海軍の大佐どの」
「我々の親父――ウィーザー提督はご無事ですか? ホラント代将やメアリー=ブランドンは、捕虜となっているのでしょうか?」
海軍の後方参謀が、慌てて割って入る。もはやキーエフ海軍のランス方面艦隊に戦力は無く、であればせめて生存者の情報が欲しかった。
「その三人であれば、生きていますよ。もっとも、五体満足と言えるのはウィーザー提督だけでしょうが」
「どういうことです、デッケン中佐?」
「なに――ホラント代将はクルーズ提督に一騎打ちで敗れ、メアリー=ブランドンは同じくヴィルヘルミネ様に一騎打ちで敗れたのでね。彼等も無傷で捕虜になった訳じゃあないのです」
「し、信じられん……ブラッディ・メアリーをヴィルヘルミネが――いや、ヴィルヘルミネ様が打ち破ったなどと……?」
「そう驚くことも無いでしょう。ただ、戦うとなれば――……彼等を病院で治療する、という訳にもいかなくなりますね。最悪、死んだとして……それは大尉、あなたの責任ということになりますか」
再びエルウィンは目の前の大尉に冷ややかな視線を送り、言い放つ。
「わ、我等は臆さぬぞッ!」
「いい加減にして下さい、大尉! これ以上、私達を戦争に巻き込まないで下さいよ! 今まで協力したんだから、もういいでしょう! あなただって本当は死にたくないはずだ、降伏したらいいじゃないですかッ!」
ニームの民政官が両手で机をバンと叩き、立ち上がる。残留部隊の指揮官は瞼を閉じ、「お、お前の気持ちも分かるが、私は軍人だ。何もせずに降伏など……出来ないのだ」と苦し気に呻くのだった。
■■■■
きっかり二分の沈黙を終えて、静まり返ったロビーにエルウィンの甘く滑らかな声が響く。
「わかりました、大尉。あなたにも面子がある、それを立てましょう」
「……どういうことです、中佐?」
「降伏せよ――とは申しません、大尉。これを撤回します。条件を変えましょう。あなたがたはニームを退去して頂くだけでよい。そして、ヴィルヘルミネ様よりヴァレンシュタイン公爵に会談を申し込みたい、との旨をお伝えして貰えれば、それで結構です」
目の前でキーエフ陣営の三人が、目を輝かせた。しかしすぐに海軍の後方参謀が、「いま、あなた方の下にいる捕虜は?」と申し訳なさそうに問う。
「それは、お返し出来ません。しかしヴィルヘルミネ様とヴァレンシュタイン公との間に何らかの和約が成立すれば、捕虜の返還――というより交換ならあり得るかも知れませんね」
「確かに……!」
後方参謀は大きく頷いた。どうやら納得したようである。
「つまりキーエフ軍が出て行ってさえくれれば、戦いにはならないってことですよね?」
ニームの民政官が残留部隊の指揮官をチラチラと横目で見ながら、嬉しそうに言う。カミーユは彼に大きく頷いて見せ、「その通りだ」と力強く言った。
「つまり我等はヴァレンシュタイン閣下の下へ帰り、ヴィルヘルミネ様が会談を望んでおられる旨をお伝えすれば、よろしいのですな?」
「ええ、大尉。それで結構です」
「出て行くまでの猶予は、あるのでしょうか?」
「猶予は一両日中――言っておきますが、これ以上の譲歩は出来ませんよ」
「いや、分かった。十分です。正直な話、我等も戦って無駄死になどしたくはない。そちらが折れてくれるのなら、その条件を飲ませて頂こう……」
こうしてニームからキーエフ軍は完全に退去し、代わってフェルディナント艦隊が入ることとなったのだが……。
その夜、近隣の海を暴れ回ったブラッディ・メアリーをヴィルヘルミネが一騎打ちで破ったとの話が、いくつもの酒場で語られることとなり。
結果として赤毛の令嬢はニームにおいて、「ブラッディ・ミーネ」の異名を賜ることとなったのである。
ヴィルヘルミネは翌日、ニームの住民から歓呼と共に迎えられた。
「「「ブラッディ・ミーネさま万歳!」」」
「「「軍神の姫巫女にして一騎当千の強者、ブラッディ・ミーネさま!」」」
もちろん赤毛の令嬢は、表情を変えたりしない。しかし港で出迎えたエルウィンに「どうしてこうなったのじゃ……?」と、問わずにはいられないヴィルヘルミネなのであった。
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