第129話 英雄の孤独


「――なるほど、確かにヴァレンシュタインは名将だ。お前さんの言う通り、このまま突き進めばアルザスとニームの敵に挟撃される、なんてことにもなりかねん。

 しかし、そういったことを見越した上でヴィルヘルミネ様は『ニームを三日で獲る』と仰ったんじゃあないのか?」


 ダントリクの説明を聞き終えたバルジャンは、顎に手を当て天井を仰ぎ、「ううむ、ううむ」と唸っている。

 なおヴィルヘルミネの「ニームを三日で獲る」発言は、エリザの言葉に「で、ある」と頷いただけのこと。何ならその時、令嬢は半寝であった。


 とはいえ実際に陸、海から攻撃を加えれば、ニームは三日前後で落とせるだろう。ただしその間に敵の増援がなく、かつランス軍は兵力を有機的に活用する――という前提条件は付くが。


 それでも相手は、あのヴァレンシュタインである。作戦が完璧に上手くいってさえ、覆される可能性があった。その場合、もっとも危険なのがバルジャン師団に他ならないのだ。


 ダントリクによれば現在バルジャン師団の優越性は、山脈を越える新たな道のみであった。ヴァレンシュタインの持つランスの地図には、この道が書かれていないのだ。

 何しろエタブルとニームは海路で結ばれている。だからあえて山を越え、陸路を行く者は古来から少なく、為に古い地図には街道など記載されていなかった。


 そんな中で山脈を貫く道が作られた理由は、いささか複雑だ。

 ランス南方艦隊が海賊たちを駆逐した為、彼等は山賊へと鞍替えをした。結果として山脈に出没するようになった野盗を討伐すべく陸軍が山へ入る都合上、道が作られた――という次第である。


 従ってランス軍がエタブルから陸路ニームを目指していると知れば、ヴァレンシュタインは相応の日数を計算に入れるはずだ。具体的に言えば、二週間前後――である。それが通常、山脈越えに掛かる期間だからであった。


「ヴァレンシュタイン公であればオラたちの位置を捕捉していようといなかろうと、ニームへの攻撃を始めればすぐに気づくと思うんだべさ」

「そう言うがな、ダン坊。気付かれたところで軍を差し向けてくるまで、四日から六日くらいは掛かるだろう。となれば――計画通りなら間に合う算段じゃあないか?」

「敵が全軍で来るなら、最短でもその位はかかる。んだども騎兵部隊だけなら、アルザスからニームまで一日で到達できる距離だべ。例えば街を囲んでいる最中に敵の騎兵が三千でも現れたら、少将はどうするだ?」

「それはキツいな。戦線の膠着は避けられん。その間に敵の全軍が到着するってことか」

「んだ」

「しかしヴィルヘルミネ様だぞ。それを計算に入れていない、なんてことがあるかな?」

「ヴィルヘルミネ様はきっと、バルジャン少将の力を信じているんだべ。ランベール少佐とレグザンスカ少佐もいるし、その程度の敵が来ても問題にならないと考えているんでねぇがか。んだどもオラは、そんな危険なマネはすべきでねぇと思うから……」

「なるほどな、その不安はもっともだ。で、ダン坊のことだから、これを打開する手立てが何かあるんだろう?」

「あるには、あるだ。ヴァレンシュタインの本隊を遠ざけ、この師団だけでニームの駐留部隊を叩く方法が……」

「流石だな、ダン坊」


 片目を瞑りダントリクの頬に手を添えるバルジャンは、相変わらずの口説きモードだ。

 ダントリクも喜色を浮かべ、大きく頷いている。バルジャンにヴィルヘルミネよりも自分を選んで貰えたようで、黒髪の少年は嬉しかった。


 もしもこの光景をヴィルヘルミネが見たら、狂喜乱舞の挙句に天上界へ召されてしまうかもしれない。何しろバルジャンはそこそこの美青年だし、ダントリクは神がかり的な美少年なのだから。


「少将、ここからが本題だべ。しっかり話を聞いてくんろ」


 ほんのりと頬を桃色に染めながら、ダントリクは作戦の概要を淡々と告げるのだった。


 ■■■■


 作戦の概要を説明しているうちに、時刻は深夜から払暁へと移り変わっていた。ダントリクがヴィルヘルミネを信用している体で話さなければならなかったから、バルジャンがところどころで疑問を差し挟んだせいだ。


 しかし大体はバルジャンが「まあいい。ダン坊が言っているんだ、間違いあるまい」とダントリクの頭を撫でて、話は先へと進んでいく。

 そのたびにダントリクはこそばゆい気持ちになって頬を赤らめていたが、まさかそれが見たくてバルジャンが頭を幾度も撫でていたとは、思いもよらぬことであった。


「――要するにヴァレンシュタインには、北から敵の大軍が来たと思わせるだ。その一方でニームの守備部隊には、オラたちの師団を山脈の麓で本軍と挟撃すると思わせて、誘い出すんだべ」

「お、おお……マジか……いやしかし……理解した。つまりニームの守備部隊には偽の命令書を出し、ヴァレンシュタインには偽の救援要請を出す。だが奴はそれを信じず罠と疑い、北にランスの大軍がいると思い込む――ってなわけか。しかし何だってやっこさんには、それほど手の込んだことをやるんだ?」

「そりゃ、ヴァレンシュタイン公は古今の名将だべ。ヴィルヘルミネ様と正面からぶつかっても、勝敗は分がんねほどの。そんな人だからきっと情報を鵜呑みにせず、自分で判断すると思うんさ」

「ふむ……」

「だから判断に指向性を与える為に、情報を撒くだ。その上でニームの部隊を誘い出し、一日で決着を付けるんさ。そうすれば急ぎ騎兵部隊を編成しても、もう間に合わないべ」

「そこまでしないと、ヴァレンシュタインの相手は厳しい……か」

「んだなや。それでも、失敗する可能性だってあるべ」


 いつの間にか地図上に白と黒の駒を置き、ダントリクが白い中駒の一つをつついている。自軍を示すものだ。


「なるほど――すると、伝令役の責任は重大だな」

「伝令役はオラが言い出したんだから、オラがやるだ。任せてくんろ」

「あ、いや、しかし……作戦を実行するにしても、ダン坊がいなきゃあな……」

「大丈夫だべ。きっと少将は分かってくれると信じていたから、オラ、作戦の概要を全部紙に書いてきただ。これを見れば、おおよその局面に対応できるはずなんさ。もちろん作戦が失敗した場合も――だべ」


 数十ページに及ぶ紙の束を渡され、バルジャンは目を見開いた。これを書くのは、相当な労力だ。少なくとも出征後に書ける分量では無かった。


「ダン坊、これはいつから……?」

「ヴィルヘルミネ様が海軍を手に入れた時から、オラ、この師団だけでニームを攻略する方法を考えていただ」


 紙片をパラパラとめくり、最後に近いページでバルジャンは撤退戦に関する要綱を見つけた。これはヴィルヘルミネの艦隊と連携がうまく取れなかった場合、山脈の狭隘な地形を利用してヴァレンシュタインを退ける――というものだ。


 流石に鈍感なバルジャンもここまで見れば、ダントリクの意図に気付いてしまう。


「ダン坊はヴィルヘルミネ様を信用していない――よな?」


 即答を避け、ダントリクは俯いている。


「――バルジャン少将に一つお願いがあるだ。この作戦は全部、少将の発案ってことにして欲しいべ」

「ダン坊――そいつぁ構わないが、ヴィルヘルミネ様は信じて良いと思うぜ。そりゃ、あの人のやるこたぁ無茶苦茶だ。ランスの南方艦隊を乗っ取っちまうなんて、とんでもねぇことだとは俺も思うが……」

「んだべ――……」

「でも考えてみな……ダン坊。あの人が誰かの下に付くタマか? 俺は思ったんだよ。あの人はランスに付く気なんてサラサラないかも知れないが――……同じくらいキーエフに付く気もないだろう。要するに極度の自由人なんだよ、ありゃあ――な」


 この時、ようやくダントリクは顔を上げた。


「あ、オラ、もしかして――……」

「でもな、ダン坊。それでも俺は、ダン坊の策に乗る。何でかって? そりゃあ、この作戦が理に適っているし、俺がランスの将軍だからさ。でもな、一等大事なことは、これがダン坊の考えた作戦だってことなんだぜ」

 

 ――ミーネ様、怖いし! ダン坊の方が扱い易いし可愛いし!


 可愛いは正義と考え始めたバルジャンは、いよいよ倒錯の世界へ行こうとしているらしく。


「バルジャン少将……」


 声を震わせ、潤んだ瞳でバルジャンを見つめるダントリク。


「もうすぐ朝になるが、もう自分の天幕へ戻るのは面倒だろう。ダン坊よ、今日はここに泊まっていけ。さ、一緒に寝よう」


 横になり、自分の脇を開けてバルジャンがダントリクを誘う。


「ちょっと、何を言っているのか分からないだ。じゃ、そういうことで作戦の方、よろしくお願いするべ」


 少し潤んだ瞳を擦って立ち上がり、ダントリクは去って行く。

 残されたバルジャンは左手で毛布を持ち上げたまま、ダントリクの可愛らしい背中を見送っていた。


「さて、飲むか……一人で」


 人生に無常を感じたマコーレ=ド=バルジャン少将は、やさぐれて朝まで酒を飲み。明朝、アデライードにこっぴどく叱られながらも、彼発案とされる作戦を次々に指示。セレス=ダントリク伍長を偽の伝令として、アルザスへ向かわせるのだった。

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