第128話 トキメキの英雄
エタブルを出発して初日の夜、ダントリクは一人バルジャンの天幕を訪れた。既に夕食も済み、誰もが毛布に包まっているような時刻である。
明日からの山越えに備え、バルジャン師団は山脈の麓で野営をしていた。ダントリクは師団長付きの従卒という立場だから、バルジャンの天幕へ入ることが自由に許されているのだ。
それでも用件を思うと、ダントリクの気は重い。これから言うべきことを、どのように説明するか――考えるだけで途方に暮れてしまう。
何故なら彼は、ヴィルヘルミネを信用していなかった。理由としては彼女が南方艦隊をランスから奪い、バルジャン師団とも別れて海路を行ったからである。
確かにニームを攻めるなら、陸と海から挟撃するべきだ。これならば三日と掛からず落とせるだろうから、理には適っている。
しかし一方で彼女がキーエフと繋がっていた場合、体よく餌食にされるのはバルジャン師団の方ではないか。
そもそもヴィルヘルミネはキーエフ帝国内にある公国の摂政である。この前提を考えれば、彼女の行動は余りにも軽率に過ぎるものだった。
だが、バルジャンはヴィルヘルミネを信頼している。それは今まで彼女が幾度となく彼を助けているからで、その行動が必ずしもキーエフの国益に適うものではなかったからだ。
このような事情からダントリクはバルジャンに対し、「ヴィルヘルミネを信用できない」――とは言えなかった。
だからこそダントリクは、これからバルジャンにする説明が難しいのだ。
何しろヴィルヘルミネを信頼している体で彼女の思い描いているだろう作戦を覆し、名将ヴァレンシュタインを手玉にとってニームの守備部隊を誘い出す方法を伝えなければならないのだから。
短身痩躯の美少年は天幕の前で一度だけ深呼吸をすると、満天に輝く星々を見上げて願いを込めた。
――少将が、どうかオラの話を信じてくれますように……。
もっとも、当のヴィルヘルミネは何も考えていない。だから覆されるべき作戦など存在しないのだが、ダントリクはこの時、とても思い詰めているのだった。
■■■■
「少将、ちょっといいだか?」
間仕切りの布を捲り、申し訳なさそうにダントリクが顔を覗かせた。大きな眼鏡に蝋燭の灯りが反射して、いかにも知的な様子だ。
バルジャンは葡萄酒を軽く一杯飲んで日誌を書き、ようやく毛布に包まったところであった。しかし同郷のダントリクが来たとあり、鷹揚に「おう、入れ入れー」と言っている。
ちなみに彼はダントリクを「とても役に立つやつ」だと思っているので、常に身近に置いていた。根がゲスなので、バルジャンはダントリクを利用しているつもりなのだ。
「あ、お休み中だったみたいで、申し訳ねぇけんども……」
「いいって、いいって。俺とダン坊の仲だろ。それにしてもお前、相変わらず訛が抜けないなぁ……ハハハ」
毛布の上に身を起こし、隣を手でパフパフと叩くバルジャンは、ダントリクに隣へ座れと言っていた。
小柄な少年はそんな新米少将を見て、何となく頬を赤らめている。
――仲って、どんな仲なんだべか?
ふと、そんなことを思うダントリクは薄暗い天幕の寝室で二人きり、寝具の上に並んで座ることに対し少しだけ抵抗があった。
けれど、事態は一刻を争う。彼には今夜のうちに決心して貰う必要があるのだ。ダントリクはバルジャンの隣に腰を下ろし、手にした地図を広げて見せた。
「ランス南部の地図だな。今はこの辺で……お、新しい道に赤で線をひいたのか」
「んだ、万が一にも間違うわけにはいかねぇべさ」
「そうだな。この道を通らなきゃニームまでは六日じゃあ、とても辿り着けん。遅れでもしたら、ヴィルヘルミネ様に何を言われるか分からんからなぁ。……死んで詫びるのじゃ! なんて言われそうだぜ」
無表情で腕を組みヴィルヘルミネの真似をするバルジャンに苦笑し、ダントリクは本題に入った。
「あんまり似てねぇだが、ハハ……それより少将、ニーム攻めはどうするつもりだべ?」
「そりゃ、かねての予定通りだ。港側と陸側で同時に攻め立て、ヴァレンシュタインの到着前に決着を付けるつもりだが……何か問題でもあるのか?」
バルジャンの問いに、ダントリクはコクリと頷いた。黒いボサボサの髪はともかく、彼の目鼻立ちは女性と見紛う程に美しい。そんな彼の横顔を蝋燭の灯りが舐めて、陰影が揺らめいている。
バルジャンは目を手の甲でゴシゴシと擦りながら、「あれ、コイツ女の子だったっけ? 可愛いな、可愛いぞ、何だコレ!」などと謎のトキメキを覚えていた。
「問題、といえば問題だべ。けど何て言うか、何て言うべきか。オラがこんなこと言うのは、差し出がましいというか……」
「いいさ、言ってみな。俺はいつだってダン坊、お前の意見が最優先さ」
何故か女性を口説くモードになったバルジャンは、ダントリクの前髪を軽くいじり微笑んでいる。少しアルコールを体内へ入れてしまったせいかも知れない。
もしくは出世して多少はモテるようになったが、言い寄ってくるのは地位や金目当ての女性ばかりだから、いよいよ男でもいいやと開き直ったか――……
どちらにしてもダントリクは、男女の機微をまだ知らない。だからバルジャンの複雑な心理など知る由もなく、地図上に指を這わせ、細心の注意を払って説明を始めるのだった。
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