第125話 ニーム沖海戦 9


 敵の参謀長を拉致して素早く縛り上げたジーメンスは、ぎりりと奥歯を噛みしめる敵将ウィーザーに向き直った。カミーユ、ユセフもジーメンスの側にあり、敵の動きに備えている。


「やあ、キーエフ海軍の司令官――ウィーザー提督と言ったね? ボクの名はヴァルダー=フォン=ジーメンス。さて、今ボクの足元に何が転がっているのか、よーく見てみたまえッ!」


 薔薇を左手の人差し指と中指に挟み、斜に構えてジーメンスが言う。彼の足元には先ほど捕えた敵の参謀長が転がり、「コホコホ」とせき込んでいた。


「――おい、ガキ! 意味の分からねぇマネするんじゃねぇ!」


 ラメットがギザギザの眉を吊り上げ、怒声を発している。思わずジーメンスの首が竦んだ。「ヒェッ」


「ラメット代将! ジーメンスを信じて下さいッ!」


 真剣な目をしたカミーユの叫びに、ラメットは怒りを抑えた。


「ちっ」


 ウィーザーは舶刀カトラスを握り直し、隙あらばジーメンスに斬り掛かろうという構えだ。


「何の真似だ、小僧――うちの参謀長を少しでも傷付けたら、貴様を首無し騎士デュラハンの仲間に入れてやるぞ」


 ジーメンスはゴクリと唾を飲み込んで、ウィーザーの眼光に耐えていた。考えてみればラメットでも怖いのに、彼より強い相手の指揮官と渡り合うって「ボクは馬鹿なのかね!?」と思わなくもない。


 しかしここで怯んでは、三人でヴィルヘルミネから元帥杖を賜るという夢が遠のくばかり。輝かしい未来の為には戦の度に功績を立てる程度、当然のことだろう。

 だからジーメンスは気合を入れて薔薇を持つ左手を横に薙ぎ、眼光鋭くウィーザーを睨み返した。


「こちらとしては貴官が無茶な真似をしない限り、捕虜を痛めつける気なんて無いさ。だけど彼は、どうやら病に侵されているようだ。ということはボクが何もしなくても――いや、何もしなければこそ、死んでしまうかも知れないねぇ――……」

「……何が言いたい?」

「簡単なことさ、ウィーザー提督。貴官が彼を人道的に扱って欲しいと願うのなら、つまり治療して欲しいと願うのなら――……貴官もボクに降伏をしたまえ。

 それが受け入れられない時は残念だが足下の病人を連れ帰り、ジメジメとして暗い船倉に放置させて貰うよ……フフ、ウフフ」

「き、貴様ッ! 卑怯なッ!?」


 ジーメンスの言葉に、ウィーザーは言葉を詰まらせている。


「ボクとしては、どちらでも構わないよ。判断は貴官に任せる。ああ、それにキーエフの情報も聞きたいな。どうせ病死する男なら一センチ刻みに切り刻んで、拷問してみるのも手だよねぇ――ウフ、ウフフフフ……公式記録には病死とでも書けば、何も問題無いんだからぁ……」


 ジーメンスは舶刀カトラスをぺろりと舐めて、狂人じみた形相を作っていた。それを見てユセフが思わず「ぷっ」と吹き出してしまう。しかし幸いなことに、他の者は全員が真剣であった。


「この……悪魔めッ!」


 ウィーザーが呻く。


 ジーメンスは舶刀カトラスを横たわる参謀長の首筋にピタリと付けて、「あ、そうだ。病には血を抜くと良い――なんて聞いたことがあるからね、ちょっと首を斬ってみよう。なに、治療ですよ、治療~~~」と凶悪な笑みを見せた。むろん小心な彼の心臓は爆発寸前で、口の中には胃液がこみ上げている。


「や、やめろッ!」

「やめろと言われてやめるほど、ボクはお人好しじゃあありませんよぉ?」


 ――大丈夫、ああいう手合いは自分が殺されそうになっても耐えるが、身内が殺されそうになったら折れる、絶対に折れる……!


 ジーメンスは自分に言い聞かせながら、ニヤニヤと笑みを浮かべる演技をしつつ、背筋に冷や汗を掻いていた。


「くっ……よかろう、ジーメンスとやら。俺の我儘で部下をこれ以上死なせる訳にはいかん……降伏しよう。だが、覚えておけ。次に戦場であったら、俺は必ずお前を殺す――必ず、だ」


 ジーメンスの顔面は蒼白になり、慌ててウィーザーに背を向ける。そして彼は薔薇をピッと投げ捨て、前髪を払い言うのだった。


「――再戦の日が来るかどうかは、神のみぞ知る。さ、では早々に戦闘旗と国旗を降ろしたまえ」


 上半身の後姿は超強気に見えたが、実際のところジーメンスは恐怖で足がすくみ内股になっていた。プルプルカタカタと震える下半身は、今にもオシッコが漏れそうだ。


「ちっ……小僧にしてやられるとは、俺もヤキが回ったモンだ――……」


 こうしてキーエフ艦隊は、ジーメンスの見事な機略により降伏した。


 このとき胆力を全て使い果たして腰を抜かしたジーメンスは、カミーユとユセフに支えられてリンドヴルムへ帰還している。その後すぐに姿を消した彼は、真っ先に下着を洗ったとか洗わなかったとか……。


「ひゃあああ! ウィーザーとかいう男、いったい何なのかね! あんな怖い男に睨まれたらボクのようなエリートだって、流石にお漏らしをしてしまうのさッ!」


 ■■■■


 十六時四十五分、敵旗艦は降伏の意志を示した。にも拘わらずホラント代将はエリザに斬り掛かり、攻撃を継続している。


「閣下、旗艦を見て下さいッ! 戦闘旗が降ろされていますッ! 我が軍は負けました! この上は潔く降伏しようではありませんかッ!」


 ホラントの側にいた部下が、声を枯らして叫ぶ。軍令違反を危惧してというより、明らかに劣勢な上官を見かねてのことである。

 しかしホラントは血が滲むほど下唇を噛みしめて、裂帛の気合と共に床を蹴っていた。夕闇に飲まれつつある船上で、銀の刃が夕日の残照を反射している。


「おおおおおッ! メアリーの仇――……ヴィルヘルミネを殺すまではッ!」


 立っていることさえ信じがたいほど無数の傷を作りながらも、ホラントの双眸は闘志に燃えていた。

 けれど、そんなものでエリザとの実力差は埋まらない。黒髪の女提督は冷徹な眼差しを向けて、一つ一つの攻撃に対処している。


「ホラント代将――勇戦は認めるが、もはや貴官は負けたのだ。大人しく抵抗を止めて捕虜になれ。無駄に死ぬこともあるまい。そもそもメアリーはな――……」


 ホラントの斬撃を軽く弾きながら、エリザが言う。いっそ首を刎ね飛ばしても良かったが、敵が降伏した今となっては無用の殺生である。

 エリザはホラントの舶刀カトラスを跳ね飛ばし、喉元に剣先を突き付けた。


「メアリーが、なんだ……?」


 唸るように声を絞り出すホラントに、答えを齎したのはヴィルヘルミネであった。


「メアリーはの、死んでおらぬぞ。なにせ余は、殺しておらぬからの」


 ヨロヨロと揺れるホラントの目が大きく見開かれ、赤毛の令嬢を見た。未だ血まみれだが、髪と顔はゾフィーに拭いて貰い、辛うじて元の色を取り戻している。


「な……に?」


 ホラントは倒れ伏したままのメアリーへ視線を移した。伸ばした左手の指が、ピクリと動いている。それから彼女は身を起こし、柱を背にしてゆっくりと座った。


「ざまぁ無いね……はぁ……はぁ……また負けちまった」


 撃ち抜かれた右肩を睨み、眉間に皺を寄せるメアリー。そのまま空を見上げて、「さあ、殺しなよ」とヴィルヘルミネに言っている。


「嫌じゃ。既に主将が降伏しておるのじゃから、卿は余の捕虜である。一切の抵抗を止めて跪け。さすれば戦時法に則り捕虜として、丁重に遇するであろう」


 むふん――と小さな胸を反らして、ヴィルヘルミネがメアリーを見下ろしている。

 

 赤髪赤眼の元女海賊を手に入れたら、とりあえず側においてキャッキャウフフだ、コンチクショウ! などと思う令嬢の未来はバラ色だ。何ならエリザとメアリーのカップリングを妄想して、今夜のパンを美味しく食べたいところであった。


 だがホラントは令嬢の妄想などつゆ知らず、メアリーの下へ駆け寄り彼女を抱きしめて……。


「分かった――降伏する! だからメアリーを、メアリーを治療してくれ! 頼むッ!」

「ホラント、アンタ……兵が見ているじゃないか。みっともない、泣くんじゃあないよ……」

「良かった、本当に良かった――……俺のメアリー」

「や、やめないか。ア、アンタのモノになんて……アタシは……」


 否定しながらもメアリーは無傷の左腕をホラントの背中へ回し、目を瞑っている。

 ここに至り二人の関係を悟った赤毛の令嬢は、色々とやる気を無くし燃え尽きるのだった。

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