第124話 ニーム沖海戦 8
十六時三十分、太陽が西の水平線に沈みかけ、空に藍色の度合いが増した頃――
「ユセフ、ジーメンス、このままでは埒があかないッ! ラメット提督の加勢に入ろうッ!」
カミーユは敵旗艦の後部船楼へ通じる扉を死守する敵将ウィーザーを睨み、叫んだ。
ウィーザーはラメット代将と壮絶な斬り合いを演じながらも、息を乱していない。一方でラメットは上がる息を必死で抑えているが、見る者が見れば明らかに劣勢であった。
「ダメだ、カミーユ。ボクらが参戦しても、ラメット閣下の邪魔になるだけだと思うよ」
「俺も同感だ――敵を降伏させてラメット代将を救うなら、何か別の方法を探すべきだろう」
両脇で首を左右に振る兄弟を見て、カミーユは剣を握る手に力を込めた。二人に言われるまでもなく、そんなことは分かっている。だからこそ自身の無力さが、どうしようもなく悔しいのだった。
■■■■
既に抵抗する敵の数は百人を切っている。にも拘らず彼等が降伏しないのは、敵将であるウィーザーに全幅の信頼を置いているからだろう。
ウィーザーは後部船楼を背に、約百人の部下を半円形に並べた防御陣を敷いていた。その中で自身は最前列に突出し、全体を指揮しつつ南方艦隊のラメット代将と剣を交えている。
むろん指揮官同士の一騎打ちなど、両将ともに本意では無かった。しかしこうなってしまったのには、原因がある。ウィーザーの武勇が並外れていたからだ。
当初は作戦通りラメットも、敵将を捕らえる為に部下達を向かわせた。そうして兵士達は予定通りウィーザーを囲み、降伏勧告をしたのだ。
しかし少壮の提督は超然と勧告を拒絶し、自身を囲む南方艦隊の兵士を悉く斬り伏せてしまった。そうした行動を三回ほど繰り返して、ようやくラメットも重い腰を上げたのだ。
――どうもこれは、部下どもの手に負えんな。
こうしてラメット代将は一騎打ちを挑み、同時に降伏を呼び掛けた。以来、既に打ち合いは五十余合に及んでいる。
ラメットも敵の実力がこれ程とは思わなかったから、瞠目した。しかも傍から見れば互角に見える一騎打ちだが、実のところラメットが六対四で負けている。
息が乱れているようには見せていないつもりだが、それでも気付く者は気付くだろう。当然、対戦者なら言わずもがな――だ。
――さて、負けるからと言って逃げるのも癪に障る。とすると……
ラメットは元来、陽気な女好きである。だから間違っても一騎打ちで名誉の戦死など、遂げようとは思わない。
――恥を忍んで一斉射で殺すしかない、か……
そうした判断に基づき、ラメットは一歩下がって敵との距離をとる。だが彼も一人の戦士だ。目の前の勇将を惜しむ気持ちが湧き上り、乾いた咽喉から言葉を絞り出した。これで説得に応じなければ、殺すしかない――そう覚悟を決めて。
「――アンタ程の人が今まで、どうして無名だったんだ? それがキーエフって国のやり方なら、報われねぇな……こっちに付きなよ。ヴィルヘルミネ様なら、アンタを悪いようにはしないぜ」
敵将の呼びかけに、ウィーザーは一騎打ちの最中にも関わらず肩を竦めた。ラメットの意図を正確に汲み取ったのだ。「この男は俺を惜しんでいる」――と。
「こっちで名を知られていないのは、ずっと陸の上にいたからだろうよ。北方――……エーランドあたりの奴等なら、恐怖と共に俺の名を知っている。だからこそ艦隊司令官などという過分な地位を、陛下より賜ったのだ」
「エーランド……ヴァイキングの末裔どもか」
「ああ、そうだ。もっとも戦ったのは、もっぱら陸だがな。それよりもヴィルヘルミネ様の方こそ皇帝陛下の恩顧を忘れ、何ゆえ我等に弓引くの愚を犯されるのか……?」
「フン……詳しい事は知らんが、宮殿の奥でふんぞり返って命令を下すだけの皇帝が、気に入らんからだろうさ」
ことさら軽薄に思える口調でラメットが言う。ウィーザーは眉根を寄せたが怒るでもなく、首を左右に振っていた。
「皇帝陛下が宮殿におわし玉座にあってこそ、帝国統一の象徴として盤石足り得るのだ。
「分かってねぇな――……ウィーザー提督。世界は今、大きな流れの中で変わろうとしているんだ。その中心にはヴィルヘルミネ様がいて、つまりはキーエフの皇帝が大陸の覇権を握った時代は、遠からず終わるだろう。要するに、もう皇帝の御心が安んじられる時代じゃねぇんだよ!」
「――……だから、何だ?」
「だからこっちに付いた方が、得だって話さ。なぁ、アンタの腕なら安心して推薦できる。降伏してヴィルヘルミネ様に頭を下げろ。それで済むんだ」
「やれやれ――……俺が損得で陣営を選ぶ男だとでも? どうも貴官とは、話が合わんようだな」
「話を合わせて貰わんと、救える命も救えなくなる……」
「すまんが、俺は命など惜しんでいない」
「――……強情な男だ」
ラメットは大きく肩で息をして、
「一騎打ちの負けは、素直に認めよう。だがな、ウィーザー提督、今更いくら頑張ってもアンタに勝ちはねぇ。そして俺はアンタの強さを惜しむ。最後だ、降伏してくれねぇか――……」
「ん――……流石の俺も銃には勝てんと言いたいところだが、そういう展開も予想済みだ。ま、これを見ても撃てると言うのなら、撃ってみるといいさ」
ウィーザーはコートのボタンを外し、自らの腹部を見せた。そこには、びっしりと身体に括りつけた爆薬の束が見える。彼に従う兵も同じくコートの内側に、爆薬が巻き付けられていた。
「なんとしても、降伏はしねぇってか……」
「ま、そうさな。ここに至っては仕方がない。少しでも多く、お前達を道連れにして逝きたいんでな。遠慮はいらんぞ、撃つも良し、斬り掛かってくるもよし、だ。さぁ、第二幕を始めようじゃあないか」
不敵な笑みを浮かべるウィーザーの後ろで、船楼の扉が開く。出てきたのはいかにも不健康そうな男で、今も「コホコホ」と咳をしている。
「参謀長、なぜ出てきた!?」
「最後くらい、お供させて下さいよ……コホ、コホ……親父」
「馬鹿を言うな、貴様は寝ていろ! 戦える身体ではあるまいッ!」
「それを言うなら、親父……病人より先に死のうなんて、順番がおかしいでしょう?」
「……くっ、バカ野郎ッ! 貴様ら、どうして参謀長をベッドに縛り付けておかなかったッ!?」
参謀長に従う十人程の兵達は指揮官の叱咤にもめげず、しっかりと顔を上げたまま言った。
「親父が死ぬのを、黙って見てなんかいられません! 俺達も、お供させて下さいッ!」
「お……お前達……ッ!」
ウィーザーの目の端に、じんわりとした涙が溜まる。
ラメットも新手の出現に舌打ちしているが、攻撃命令は出せずにいた。
何となく双方の陣営に、弛緩した空気が流れている。
この瞬間、ジーメンスの右目がキラリと光った。
「朗報だよ、カミーユ隊長、ユセフ。敵司令官の弱点、見抜いたりッ! 彼はね、自分の命は惜しまないが、仲間の命は絶対に惜しむ。
フフ――だからね、今からボクが敵参謀長の下へ行き、彼を拉致してくるよ。そこで君達には、その援護を頼みたいッ!」
ユセフとカミーユは、何だかんだでジーメンスに全幅の信頼を置いている。彼が「やる」と決めたのなら、四の五の言わずに全力でサポートをするだけだ。
「分かった、気を付けろよ、ジーメンス」
カミーユは軽くジーメンスの肩を叩き、飛び出した。跳躍して
「了解した――……全員の気が逸れている今がチャンスだ、急げよ」
ユセフは重心を落として走り出し、参謀長を守る敵兵の足を払って転ばせた。
「任せたまえッ!」
ジーメンスは人垣の陰から一気に駆けて、参謀長へと迫っていく。そして
「ぐあッ!」
長身痩躯の参謀長が身体をくの字に折って、苦悶の表情を浮かべている。ジーメンスはすぐさま身を翻し、彼を肩に担いで逃げ出した。
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