第122話 ニーム沖海戦 6


「おやおやぁ~? 暫く見ないと思っていたが、ブラッディ血まみれ・メアリーじゃあないか。どうした、職にあぶれて海賊から海軍にでも転職したのかい?」


 黒髪の女提督が敵兵二人の首を同時に刎ね飛ばしながら、ヴィルヘルミネとメアリーの間へ割って入る。元女海賊が超強気な令嬢の実力を測りかねたせいで、予定よりも拘束に時間を掛けてしまったからだ。

 

「くそっ。水兵だけじゃ、流石にアンタを止められないか。でも、ま、そういう事だよ、エリザ=ド=クルーズ。これもひとえに、アンタのお陰さ。ありがた過ぎて、今すぐにもブチ殺してやりたいよ」


 赤い瞳に怒気を滾らせ、メアリーはエリザを睨んだ。けれど彼女に対する恐怖心が胸の奥底から湧き出し、右頬を痙攣させている。


「へぇ……ありがたがって感謝を示すなら、菓子折り持って挨拶に来るのが筋ってもんだろう、え、ブラッディ・メアリー。それが鉛玉ってんなら今度こそ、アンタにゃあの世への片道切符を握らせてやろうじゃあないかッ!」


 エリザがメアリーに飛び掛かる。舶刀カトラスが唸りを生じ、元女海賊の赤毛を数本斬り飛ばした。メアリーは上体だけを素早く引いて間一髪、何とかエリザの斬撃を回避して――

 

「ふんっ……何だい、相変わらずでたらめに速いね、畜生ッ! アンタなんかと戦っていられるかッ! ホラント代将、出番だよッ! 自信があるんだろッ! そこの化け物をちょっとでいい、足止めしといておくれッ!」


 そのまま身を翻し、メアリーは令嬢の横へと回り込む。追いかけるエリザは、しかし長身の男に阻まれた。


「おうッ! エリザ=ド=クルーズ! メアリーの邪魔はさせないぞッ!」


 横合いから剣を突き出し突進してきたホラントを、エリザは身体を捻り迎撃した。剣は横に弾いたものの突進の勢いは止まらず、ホラントは肩からエリザへと突っ込んでいく。


 長身といえども、エリザの体重はホラントよりも遥かに軽い。激突の衝撃で彼女は、宙に浮き上がってしまった。しかしエリザは華麗に空中で身体を一回転させると、着地と同時に眉間へ皺を寄せて相手を睨み据える。


「おいおい、痛いじゃないか……どこの馬の骨なんだい?」

「キーエフ海軍代将のホラントだ、見知りおけ」


 名乗ると同時にホラントは、エリザへ追撃を仕掛けた。見事に入った当て身にも怯まず、黒髪の女提督が薄笑みを浮かべて船刀カトラスを構えているからだ。

 勝てる気がしない――というのがエリザと対峙したホラントの正直な感想であった。悲しいかなメアリーが彼女を「化け物」と呼ぶのも、理解できてしまう。


「ホラント、無理はするんじゃないよ!」


 メアリーが再びヴィルヘルミネに迫りながら、恋人に助言する。そこへ険悪な流し目を送り、エリザが口の端を吊り上げて笑った。


「そういうことだ。死にたくなければ、そこをどけ」

「どくものかッ! そっちこそヴィルヘルミネを殺されたくなければ、さっさと降伏しろッ!」


 ■■■■


 メアリーがヴィルヘルミネを確保するまでは――と覚悟を決めて、ホラントが舶刀カトラスを振るう。ここで勲一等の功績を立てれば、自分とメアリーの輝かしい未来が開けるのだ。そう信じているから、彼は今こそ実力以上の強さを発揮している。


 打ち下ろし、打ち上げ、突き、払う。

 薙ぎ、斬り上げ、身体を回転させて背面からの斬撃、そして足払い。


 その度に唸りを上げる舶刀カトラスが、夕日を浴びて朱色になった大気を切り裂いていく。僅かでも手を緩めれば、すぐにも目の前の女は反撃をしてくるだろう。


 いくらホラントが実力以上の強さを発揮していても、エリザの反撃に晒されれば数合と打ち合えない。すぐに斬り伏せられるだろう。だからこそ止まれず、彼は、ひたすら攻撃を繰り出すしかないのだった。


「キーエフにも勇者はいるもんだね。ったく……時間が無いってのにさ」


 エリザは正面のホラントの剣を捌きつつ、横目でヴィルヘルミネの様子を伺っている。再びメアリーと対峙してしまった令嬢を助ける為だ。

 けれど彼女の目には、勇敢にも自ら剣を抜き放つヴィルヘルミネの姿が映るのだった。


 ――どういうことだい?

 

 エリザは驚きに目を瞬かせ、それからすぐに笑みを浮かべた。


 ――ああ、そうか。ヴィルヘルミネ様がゾフィー=ドロテアよりも弱いってこたぁ……ないわけだ。ハハ、ハハハ。


 もちろん盛大な勘違いだが、一方でこれは根拠のない勘違いでも無かった。なんとヴィルヘルミネの構えは実に自然で、かつ隙が無いように見えたからである。


 それもそのはず、ヴィルヘルミネは軍事訓練を趣味とする令嬢。だから銃剣の訓練も刀剣サーベルの訓練も、形だけは十分に積んでいるのだ。

 

 しかし――あくまでも訓練を積んだだけで、実際に人を突いたり斬ったりしたことは無い。何なら対人訓練の経験も無く、要するに彼女が出来るのは「構え」と「型」だけなのである。


 けれど今は、それで十分であった。


 ジリッと令嬢が足を一歩前に出し、メアリーが引く。あらゆる攻撃に対処できる構えのヴィルヘルミネに対し、メアリーは我流であった。だから隙の無い剣術の構えを前にすると、エリザに敗れた記憶が鮮明に蘇るのだ。


「ヴィルヘルミネ様。状況はもう、お分かりでしょう? この船の上にいる兵の数は、こちらが圧倒的に多いのです。さ、無理をなさらず、剣を収めて降伏なさい。決して、悪いようにはしませんわ」

「卿こそ、降伏せよ。その髪、瞳の色、容姿――……戦で散らすには惜しいのじゃ。そうさな、余の影武者とならぬか?」

「――……は? アンタこの状況から、あたし等に勝つつもりかい? そのうえ影武者って、バカにするのも大概にしなよ……」


 メアリーは目を細め、じっと赤毛の令嬢を見つめていた。

 確かに切れ長の目、薄いが整った唇、そして赤毛と二人には共通点がある。けれど、だからこそメアリーはヴィルヘルミネの申し出を侮辱だと受け取っていた。


 ――出来るワケないだろう、アンタみたいな超絶美少女の影武者を、あたしみたいなアバズレがッ! くそっ、バカにしやがってッ!


「勝つつもりも何も、全ては(エリザの)想定通りのことじゃからの。ゆえに、余は卿に降伏を勧めておるのじゃが」


 自信満々に胸を反らして言う令嬢は、この事態がエリザにとっての誤算だと知らなかった。なので「ま、こういう経過を経た上で、きっと勝つのじゃろ」というポジティブシンキングが可能なのだ。

 もちろん普段の臆病さをアルコールでねじ伏せているという点も大きいが、ともかく彼女は今、目の前の美女を全力で篭絡しようとしているのだった。


 しかしこうした令嬢の無様な勘違いに、エリザとメアリーが同時に目を見開いている。


 ――ま、まさかアタシの作戦の不備を最初から見抜いて、この展開を予測していたっていうのかい!?


 エリザの背筋を、冷たい汗が伝った。軍事の天才の前では自分の才能など、大火の前の焚火に過ぎないのだと思わざるを得ない。


 ――あ、あたしが、こんな小娘の掌の上で踊らされていたって言うのかい? 冗談じゃない、冗談じゃないよッ! まだ勝ち筋は、こっちにあるはずなんだッ!


 メアリーの白い頬が憤怒によって赤く染まり、紡ぎ出す言葉に震えが乗った。


「おい、おいおいおい……全部分かっていたなんて……そんな馬鹿なことがあるかい? 冗談じみているのは、顔だけにしておくれ。アンタは今、現に追い詰められているじゃあないか……」


 ――がーん。余の顔、冗談じゃったのか……。


「余、余の顔は……」


 三者三様、全員が勘違いをしている。実に奇妙奇天烈な状況であった。


 ヴィルヘルミネは「余、そんなに不細工じゃろか……そりゃあメアリーは美人じゃけども」と瞬時に落ち込んだ。構えに揺らぎが生じ、令嬢の翳した剣先が僅かに落ちる。

 これを好機と捉えたメアリーが、神速をもってヴィルヘルミネへと突進した。


「ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナント。ああ、アンタは確かに美しい。けどねッ――その自信が命取りになるんだよッ!」

「――ファッ!?」

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