第119話 ニーム沖海戦 3
見事に敵の旗艦へ接舷を果たしたエリザは、すぐさまラメットを指揮官とした斬り込み隊を突入させた。むろん、そこにはカミーユが率いる小隊も含まれている。
ジーメンスは二隻の一等戦列艦を繋ぐ不安定な梯子に足を掛け、後ろに続く褐色肌の友人に声を掛けた。彼は右手に
「いいかい、ユセフ! ボクたちの任務は敵将を捕虜にして降伏させること! あくまでも目標は生け捕りだ! 殺してはいけないよッ!」
「分かっている、ジーメンス。そんなことより、きちんと前を向いて走れ。梯子の下は海だという事を忘れるな」
ユセフは後ろを振り向きながらもしっかりとした足取りのジーメンスを見て、心の中で舌を巻く。前々から思っていたが、彼の格闘や運動のセンスは天賦のものだ。もしも彼が本気で訓練に励めば、一体どれほどの勇者になるのだろうか。
――ゾフィー様にも匹敵する才能だと思うのだがな……。
親友に畏敬の念を抱かれているとも知らないジーメンスは、梯子の上を軽やかに走りながら手にした薔薇を口に咥えて、親指を立てている。
「分かっているさ、我が友ユセフ!」
ユセフは「まあ、買い被りかもしれんが……」と考え直し苦笑を浮かべながら、ジーメンスとは違い慎重を期して、しかし素早く梯子を渡るのだった。
やる気に満ち溢れた義兄弟の二人を目の端に捉えながら、カミーユ=ド=クルーズは真っ先に敵艦へ足を踏み入れた。敵が殺到する中、彼は声を張り上げ弟達に命令を下す。
「ユセフ、ジーメンス! 敵艦に乗り移ったら、まずは舵輪を破壊しろ! 艦の機動力を奪い、戦意を喪失させるんだッ!」
「分かっているとも、カミーユ隊長!」
「了解した!」
カミーユは殺到する敵に対して、凄まじい勢いで斬り込んでいく。すぐにジーメンスとユセフも彼の隣に並んで、小隊の先頭に立った。
カミーユ小隊は斬り込んだ中で、どうやら最強の戦闘力を誇っているようだ。彼等の進む先には必ず血の花が咲き、血風が吹き荒れている。
「ヒュウ――やるねぇ、ガキども」
肩に舶刀を担いで悠然と敵艦に乗り込んだラメットが、ニヤリと笑って口笛を吹く。視線はカミーユ小隊へと向けられていた。
ジーメンスの
ユセフはいち早く舵輪を見つけ、走り込んで操舵手に斬りかかる。黒狼のような素早さだ。水平に払った一撃目は敵にバックステップで躱されたが、それも彼が
ユセフの攻撃を躱した敵は、唸りを生じた銀の閃光に冷や汗を掻きながらも、腰から何とか剣を引き抜いた。
「か、簡単にやられて、たまるかよッ! これァ親父の船だ! 手出しはさせねぇぜ!」
「ちっ……やはり実戦で使い慣れんものを使うと、ボロが出る」
小さく舌打ちをして、ユセフはすぐにまた斬り掛かった。今度は先程よりも深く踏み込み、袈裟掛けに斬る。敵の操舵手は鎖骨から腰まで大きな傷跡を残し、絶命した。
「剣など抜かず、素直に逃げれば死なずにすんだものを……だが、この艦隊の指揮官は、部下に忠誠を尽くさせるに足る人物だということか」
ともあれ敵旗艦の舵輪を破壊したカミーユ小隊は、一つ大きな武勲を立てたのだった。
■■■■
ジーメンス達の活躍を旗艦の甲板から眺め、ゾフィーが肩を震わせている。何しろ彼女は自分でも気づかぬうちに「強さ」を追い求めていたから、敵中へ飛び込んだ彼等が羨ましくて仕方がないのだ。
いつだったかヴィルヘルミネがゾフィーに、「ゾフィーは戦闘民族じゃな」などと言ったことがある。もちろん金髪の親友は首を傾げ、「どういうことですか?」としか答えなかったが。
ともかくそんなゾフィーだから、今も敵艦に乗り込みたくて仕方がないのだ。なので彼女はヴィルヘルミネに「ぴえん」とウルウルした瞳を向け、物騒な懇願をしている。
「あの、ヴィルヘルミネ様。わたしも敵艦に……」
「ダメ」
しかし秒で断られ、ゾフィーは憤慨した。
「ダ、ダメって、ヴィルヘルミネ様! まだ何も言っていません!」
「どうせ、斬り込みたい――とか言うんじゃろ?」
「そ、そうですけど……でも、わたしが行けばそれなりに戦力にはなりますしッ!」
「ダメったらダメなのじゃ。ゾフィーは六月革命で敵と戦って、大怪我をしたばかりではないか」
ヴィルヘルミネが細い眉毛をピンと吊り上げ、けれども困ったような表情で言う。ゾフィーのこととなると普段は無表情な赤毛の令嬢も、こうした変化を見せるのであった。
「今回は怪我をしないよう、敵を必ず一撃で倒しますから……」
「そういう問題ではないのじゃ。あまり危ないことはするなと言うておる。ゾフィーは、ここに居ればよい」
「……ッ! あ、危ないことはするなって……ヴィルヘルミネ様! ジーメンス達は良くて、どうしてわたしはダメなのですかッ!?」
「む……なんじゃ。ゾフィーは、余に文句でもあるのかの?」
ジロリと紅玉の瞳を金髪の親友へ向ける、太々しい顔のヴィルヘルミネ。真意は本当にゾフィーの身を案じているのだが、表情だけを見ると完璧に悪徳貴族のそれであった。
「文句なんてありませんッ! わかりましたッ! どこにも行きませんよ、もうッ!」
白く秀麗な頬をぷくっと膨らませて、ゾフィーがヴィルヘルミネに背を向ける。
令嬢に「行け」と言われれば、どんな死地でも喜んで行くだろうゾフィーだが、「行くな」と言われたら、こんな風に不貞腐れてしまうのだった。
そんな金髪の少女に、軽く肩を竦めてエリザが声を掛ける。
「ゾフィー=ドロテア、そう腐るんじゃないよ。敵艦隊に知恵のある奴がいるのなら、ここもすぐに激しい戦場になるだろうさ」
「どういうことです、提督。ここにはヴィルヘルミネ様が居るんですよ、戦場になるなんて……」
ゾフィーは長身の女提督を見上げ、眉根を寄せた。
「ゾフィー=ドロテア、アレを見てみな。敵艦隊の動きが、一部おかしいだろう?」
エリザが細めた漆黒の両目には、敵の単縦陣から外れてこちらへ迫る二隻の戦列艦が映っていた。女提督の予測によれば、あれはこちらの意図に気付いた敵であろう。目には目を、歯には歯を、ということだ。
「こちらに、向かっている?」
「ああ、そうさ。アタシらが敵の指揮官を狙うように、敵もこっちの大将を狙う。あんまり海軍らしくない戦い方だが、敵にもそういう考えの出来るヤツがいたってことさ……こりゃあ面白くなってきたよ」
「大将って、それは……」
ゾフィーは椅子に座ってウトウトし始めたヴィルヘルミネを見つめ、乾いた唾を飲み込んだ。
「むろん、ヴィルヘルミネ様さ」
つまり敵の狙いはヴィルヘルミネの身柄であり、赤毛の令嬢はこれから大ピンチになる、ということだ。ゾフィーは心に緊張の糸を張り巡らせ、迫る二隻の艦影を睨んでいる。
「ヴィルヘルミネ様……」
しかし当の令嬢は身体から抜け始めたアルコールのせいで、急速に眠気を増したらしく。ユラユラと前後に身体を揺らし、「ぷぇ?」と半目で首を傾げている有様なのであった。
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