第115話 心の絆
フェルディナント艦隊は艦尾を見せて逃げる敵を追撃し、北上をしている。その間に分散していた敵は続々と合流し、兵力差が逆転しつつあった。
だというのにエリザは余裕の笑みを浮かべて、操船に関わる水夫以外に二時間余りの休息を与えている。彼女曰く、「敵が見えている以上、慌てる必要はない」とのことであった。
元来が呑気なヴィルヘルミネは、「そういうモンかの?」と素直に納得し、その間にジーメンス達を開放しようと船倉まで降りて行く。まる二日ほど三人には共同生活をさせたから、彼等の変化が非常に楽しみであった。
「どうなっておろうの?」
二歩下がって後ろを歩くゾフィーに、ヴィルヘルミネは静かに問うた。当然だが金髪の親友は令嬢の言葉を、「反省の有無」であろうと解釈している。だから彼女の回答は、三人が反省したであろうことを前提にしたものであった。
「二日も暗い部屋に閉じ込められれば、彼等も考えを改めるでしょう」
「で、あるか」
大きく頷く赤毛の令嬢は親友の言葉を自分に都合良くとらえ、妄想が爆発寸前になっていた。
――フハハ。考えを改め、三人でイチャイチャしておれば重畳じゃ!
■■■■
薄暗い室内に外からの灯りが入り、カミーユは目を細めた。彼の隣ではジーメンスとユセフが腕を上げ、目に入る光を和らげているようだ。
「卿ら、どうじゃ?」
光の中央に立つヴィルヘルミネが、鋭い声で問う。逆光で顔が見えない。しかしそれは、まるで光を背負う大天使のような神々しさに満ち溢れていた。
すぐさまカミーユは片膝を付く。この二日、ジーメンスからヴィルヘルミネの素晴らしさを滔々と語られ、ユセフの忠義心に心を打たれた彼のこと。彼女に抱いた恋心は、もはや崇拝の域にまで達していた。
もちろんカミーユの左右両隣でも同じく、ジーメンスとユセフが片膝を付いている。
「この度は上官の命に背き騒動を起こしましたること、深く反省致しております」
「二度とカミーユを試そうなどとは、思いません。エリートの名に懸けて!」
「……申し訳ありませんでした」
カミーユ、ジーメンス、ユセフの順で、彼等は令嬢に謝罪の口上を述べた。
「そんなことは良い。三人は仲良うなったか――と、余は聞いておるのじゃ」
実際、ヴィルヘルミネにとっては反省や謝罪など、どうでも良かった。重要な点は三人が血よりも固い絆で結ばれ、イチャイチャすることである。
だから赤毛の令嬢は眼光も鋭く三人を見下ろし、不愉快そうに腕を組んでいた。
「心を一つに出来たか――……と、ヴィルヘルミネ様は問うておられる。
お前達は、未来の国軍を背負って立つ者。そこに亀裂があっては国が纏らぬと考えておられるからこそ、ヴィルヘルミネ様はお前達に、このような処分を下したのだ」
赤毛の令嬢の横に立ち、ゾフィーが補足した。前半部分は概ね正解だが、後半部分はヴィルヘルミネにとって、思いもよらぬことであった。「ぷぇ!?」という顔をしている。けれど逆光だから三人は彼女の表情が分からず、斜め後ろに立つゾフィーも令嬢の素っ頓狂な顔を見ていない。
だが、ヴィルヘルミネが頭にクエスチョンマークを量産するのも無理からぬこと。国軍のうんぬんなど、赤毛の令嬢は考えたことも無かった。「トリスタンを参謀総長にしたから、百年は安心じゃろ」というのが彼女の軍事に対する基本方針なのである。
ただしこれはこれで、素晴らしい人事であった。凡人である軍務大臣をよく補佐して、トリスタンはフェルディナント陸軍の再編を殆ど一手に担ったと言っても過言ではない。
平時から師団を編成し、少将をもって師団長とする。ただし師団には参謀本部から参謀を送り、中央の作戦計画を逸脱しないよう師団長を支えるシステムは、トリスタン=ケッセルリンクがヴィルヘルミネの為に生み出したものなのだ。
つまり赤毛の令嬢がいかに天才でも、全軍を手足のように扱えなければ戦争には勝てない。だから各師団が彼女の手足たりえるように、参謀本部のシステムを作り上げたのだ。
一方で各師団は独力でも戦争を遂行できるよう、複数の兵科を組み込んだ上で優秀な将官を師団長の任に当てた――というわけである。
そうしたシステムの中で将来を担う人材だとゾフィーに言われたカミーユは、感極まって肩を震わせていた。天才の手足たることを許された、と感じたのだ。もちろんジーメンスとユセフも両目に熱い涙を一杯にして、下唇を噛んでいる。
彼等は昨夜、誓ったのだ。「必ず三人が共に、ヴィルヘルミネ様から元帥杖を授かろう!」と。
むろん元帥杖とは国王以上の者にしか、臣下に授けることが出来ない。だからキーエフ帝国にとっては、不穏な意味も込められた誓いなのであった。
ともあれ、この時は「ヴィルヘルミネ様も、その時を待っている」と考えることが出来たから、三人は純粋に嬉しかったのである。
「――もちろんです、私達は、義兄弟の契りを結びましたから!」
カミーユは左右にいるジーメンスとユセフを交互に見て、ようやく口を開いた。彼は自分が最年長ということもあり、一同を代表しようと思ったのだ。他の二人も納得しているのか、首を縦に振っている。
「三人一緒に元帥杖を頂く」という点を伏せたのは、ヴィルヘルミネの立場を慮ってのことであった。
「よろしい。卿ら、随分と信頼し合うようになったではないか。フフ、フハハハ……」
赤毛の令嬢は、思わず仰け反った。鼻血が出そうなほど、「義兄弟」とは甘美な言葉だ。「契り」という言葉も、心に潤いを齎す泉のような響きを持っている。まさに今日がヴィルヘルミネの、ときめきメモリアルになりそうであった。
「はい。我等、陸海の違いはあれど、ヴィルヘルミネ様をお護りしたいとの気持ちは同じ。であれば兄弟ではないかと――……そう考えたのであります」
「うむ、うむ」
感無量といった様子で、ヴィルヘルミネは何度も何度も頷いている。別に自分のことを護るうんぬんはどうでも良いが、とにかく義兄弟という言葉の響きが気に入っていた。
「そこでヴィルヘルミネ様に、一つお願いがございます」
「願い、じゃと?」
「はい。次の戦で我等三人、共に戦い武功を立てたいと存じます」
「武功、とな?」
「はい。我等は共に武門の身。なれば罪を償うに功をもって為すべしと、話し合いました」
「ふむ――具体的には、どうするつもりなのじゃ?」
「はっ。ヴィルヘルミネ様の許可がいただけますならば、敵艦隊との決戦に際し、ジーメンスとユセフの二人を一時的に我が小隊へ編入し、共に戦いたく存じます」
ヴィルヘルミネは僅かに首を傾げ、考えるそぶりを見せた。
艦隊戦といえば、基本は砲戦である。しかも令嬢の乏しい知識によれば、艦隊同士が単縦陣ですれ違い大砲をぶっ放す、という殴り合いだった。
しかしジーメンスとユセフは歩兵科であり、大砲の扱いに長けている訳ではない。だとすればカミーユの小隊に彼等が編入されても、役に立たないのではないかと令嬢は危惧していた。
「ふむ……卿の小隊に編入させても構わぬが、二人は役に立つかのう? 武功を立てられなければ、意味も無いじゃろうに……」
「それはもう、心配いりませぬ!」
ジーメンスとユセフも「お願いします!」と、頭を何度も下げている。三人にウルウルとした瞳で見られたら、イケメン大好きヴィルヘルミネが願いを退けられる筈も無かった。
「よかろう。ならば此度の
「「「御意」」」
これが、後世なにかと比較されることの多い三人の、「船倉の誓い」と呼ばれる出来事の正体である。
なお、兄弟の序列は長兄カミーユ、次兄ユセフ、末弟ジーメンスだ。
「なんでなのかね!?」
ジーメンスはひたすら反発したが他二名に押し切られる形で、彼は末弟になったのであった。
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