第114話 ヴィルヘルミネの英断


 南方艦隊がキーエフ艦隊を発見した同時刻、同様にして彼等も南方艦隊の視認をしている。午前九時五十分の事であった。


「二時の方向に戦列艦多数!」


 報告を受けたキーエフの分艦隊司令官は、艦長室で優雅にコーヒーを飲んでいた。それを一気に噴き出して、「何だと!?」と慌てて立ち上がる。


 ランスの南方艦隊が逃げ出して以来、この辺りに軍艦はいなかった。海賊たちが出没することはあるが、彼等の船は多くても三隻、しかもフリゲート艦程度のサイズでしかない。


 ましてやヴァレンシュタイン大将が破竹の勢いで勝利を重ねている最中、どこの誰がキーエフ軍の前に軍艦を率いて現れたのか。思わず「非常識な!」と奇妙な感想を抱いた司令官は、そのせいでコーヒーを噴き出したのである。

 

 しかし彼も三十代で代将の地位を得て、分艦隊司令になった程の男。口元を袖で拭うと、すぐに気を取り直して部下に詳細を問い質す。


「識別は!? 所属、艦種は分かるか!? 何隻いる!?」

「数は今のところ不明ですが、先頭に南方艦隊の旗艦、リンドヴルムと思しき艦影がありまして……」

「ならば南方艦隊であろう! 偵察にでもやってきたのか……!? まあいい、全艦に通達! すぐに臨戦態勢をとれ!」


 歯切れの悪い部下に苛立ち、分艦隊司令は机を掌で激しく叩いた。


「それが、その……リンドヴルムが掲げているのが、一角獣旗ユニコーンでありまして……」

「なに?」


 顎に手を当て、不精に伸びた髭を撫でる分艦隊司令。ギロリと鋭い視線を部下へ投げかけ、彼は暫し思案した。


「確かに一角獣ユニコーンの紋章か? ランス貴族で似たような紋章の貴族ではないのか? いや、考えていても埒があかん、さっさと紋章官に確認をさせろ」

「あの、閣下。その前に停船命令は出さずとも良いのですか? 仮に一角獣旗ユニコーンだとすれば、相手がフェルディナント艦隊の可能性も――……」

「バカモン! フェルディナントは内陸の国だぞ! どうして戦列艦を持っておるのかッ!」

「も、申し訳ございませんッ!」


 部下が慌てて敬礼をし、退出しようとするのを分艦隊司令は止めた。


「……いや、待て。何か事情があるのかも知れん。一応、停船命令を出しておこうか」

「はっ!」


 指示を与えられた部下が、弾かれたように退室する。相手が敵だった場合、一刻を争うのだから当然だ。

 分艦隊司令は自らも甲板へと上がり、望遠鏡を手にした。戦うにせよ退くにせよ、現状を自らの目で確認するのは船乗りの常識だからだ。すぐに彼の周囲には、幕僚達が集まってきた。


「やはり……あれは南方艦隊だな……」

「そのようですが、しかし旗は、フェルディナントのもののようです」


 分艦隊を率いる身ともなれば、敵と想定している海軍の艦種は全て頭に入っている。むろん幕僚も同様だ。実際、参謀長も司令官の判断に同意している。


「例えばだが、参謀長。ランス南方艦隊が我等を油断させる為に、フェルディナントの旗を使う――という可能性は考えられるか?」

「考え難いでしょう。そもそもフェルディナントは内陸の国ですから、ここにいる筈がありません。それならばリスガルド海軍の旗を翻す方が、まだしも信憑性があるというものです」

「だとすれば本物ということになるが――……」

「ですが、それもまた不思議なことかと」


 そうしているうち紋章官の報告があり、リンドヴルムに翻る旗がフェルディナントを示すものであることが確定した。しかも一角獣旗を使用できるのは、国公か近しい親族だけとされているとのこと。

 分艦隊司令は眉根を寄せて、「ううむ」と唸らざるを得なかった。むろん相手は停船命令にも応じず、見る間に迫ってくる。


「考えたくは無いが、相手はヴィルヘルミネ率いる一個艦隊――ということになる。対してこちらは半数以下とくれば、勝負にならん! 退くぞッ!」


 この海域はニームの南方四十キロの地点で、分艦隊の任務は哨戒であった。だから彼の艦隊が戦わずに退いたとして、任務自体は十分にこなしたことになるだろう。

 

「し、しかし閣下! ヴィルヘルミネ様に敵意があるとは限りません。それでも退くというのは、いささか礼を失するのでは……」

「バカモン! 停船命令を無視する艦隊が、参謀長は味方だと思うのか!? 礼に則った挙句に艦隊を拿捕でもされれば、俺は皇帝陛下に何と申し開きをすればいい!?」

「しかしフェルディナントの旗を掲げている以上、彼等が我等を攻撃するなど、あり得るのでしょうか!?」

「そう思うか、参謀長? そもそもフェルディナント公国は帝国に内在する敵だと、俺は陛下からお聞きしたことがあるのだがな」

「まさか……!?」

「そもそもランスに対する防壁としての役割から、帝国はフェルディナントを切り離せずにいたのだ。むろん、そのことはフェルディナントも重々承知のことであろう。だから機会さえあれば、かの国は自主独立の為にも戦うだろうさ」

「では、我等がランスへ攻め入ったのを機会に、フェルディナントが帝国から離脱すると……? その結果が現在だと、閣下はそう申されますか!?」

「そうなっても不思議はない、という話だ。その最初の犠牲者になりたくなければ、さっさと後退しろ! 言い訳ならば後でいくらでもできるが、死ねば終わりだからなッ!」

 

 ■■■■


 敵が反転離脱する様を見ながら、赤毛の令嬢は甲板で椅子に座り、蜂蜜水を飲んでいる。彼女は余裕過ぎる表情で肘掛けに乗せた腕を曲げ、手の甲で顎を支えながらニンマリと笑っていた。相変わらず、どんな場合でも絵にだけはなるヴィルヘルミネだ。


 目の前で回頭し艦尾を見せて去って行く敵艦隊を見れば、赤毛の令嬢でも敵が逃げ出したことくらいは分かる。ついでに言えばヴィルヘルミネは、けっこう軍事が好きなのだ。なので、たまには天才っぽいことを言ったりもする。


「……敵は逃げ出したようじゃが、各個撃破の機会を逸したのではないか、提督?」


 今も切れ長の目で横に立つエリザを見上げ、それっぽい事を言っていた。


「いいえ、閣下――これで良いんですよ。逃げだした敵は、遠からず味方と合流するでしょう。アタシ達の意図を知ろうとするにせよ、戦いを挑んでくるにせよ――キーエフの海軍は数を集めるのが好きですからね」

「ふむ……しかし艦隊戦において数で上回られてしまうのは、いささか不味いのではないか?」


 ヴィルヘルミネは今更ながら、艦隊戦が怖くなった。陸戦と比べて圧倒的に大砲の数が多いのだ。自分自身も砲兵科に進んでいるから、大砲という武器の威力も射程も十分に分かっている。


 ここは一つ十隻くらいで一隻を囲んで、チマチマ戦い勝てないものか――などと令嬢は考えていた。浅ましいことだ。

 とはいえ、そうした用兵思想自体は間違っていない。けれど現状の戦力で実現させるには無理がある、というだけのことだ。


 要するにヴィルヘルミネの卑怯で臆病という特性が、期せずして彼女に奇策を考えさせる土壌となっている。だから視点が普通の軍人とは少し違うものになり、これが彼女を天才と錯覚させる要因にもなっているのだろう。


 実際、エリザも令嬢を「軍事の天才」だと思っている。だから彼女が言う「各個撃破戦法」にも理解を示した上で、「基本的には、多数で少数を叩く戦法ですよ」と説明したのだった。


 この時のエリザの表情が不敵に過ぎたのだけれど、元来がポンコツの令嬢は「で、あるか」と華麗にスルー。凄みのある女提督は、これをヴィルヘルミネの器量の大きさだと勘違いして感心するのであった。


「ところで一角獣旗ユニコーンは、掲げたままでもよろしいのですかな?」

「んむ――よい」


 こうした会話も、エリザの中でヴィルヘルミネに対する信頼感を増幅させる。何しろキーエフ海軍に対し、堂々とフェルディナント海軍として戦えという意味に受け取れるからだ。

 つまり責任は全て自分が取る、というヴィルヘルミネの意思表示だと思えたのである。


 もちろん小国であるフェルディナントが大国キーエフに牙を剥くのだから、政治的には大問題だ。その点をエリザも心配しなくはないが、しかし摂政たるヴィルヘルミネが「よい」と言うのだから、これ以上何かを言うのは、無粋というものだろう。


 もちろん赤毛の令嬢は、大局的なことなど一切考えていない。「せっかく海軍を手に入れたのだから、我が家の旗を掲げて戦うべし、べし!」という程度の脳内であった。


 とはいえ大陸の軍事情勢を踏まえれば、今こそフェルディナントがキーエフの支配を脱する絶好の機会ではあったのだ。ゆえに赤毛の令嬢は英断を下したと言われ、また、この一事こそ彼女が「政戦両略の天才」と呼ばれる切っ掛けになるのだった。

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