第113話 敵艦見ゆ
人垣の中からヒョッコリと顔を出し、状況を観察する一人の人物がいる。くすんだ金髪と光の加減によっては金色に見える瞳が特徴的な、少し臆病な少年だった。
彼の名はヴァルダー=フォン=ジーメンス。学業の成績も優秀で武技にも秀でているが、何よりヴィルヘルミネが選んだイケメンである。また彼はイルハン=ユセフと幼年学校において、学科を共にする学友でもあるのだった。
――ユセフのやつ、何でカミーユと仲良くなっているのかねッ!?
現在のジーメンスはユセフとカミーユがお互いを庇い合っているから、何だかモヤモヤとしている。だから「打たれたい」とか「踏んで下さい」などと二人が令嬢に嘆願している件について、深く考察することが出来なかった。
――いや、それよりも……ボクを差し置いてヴィルヘルミネ様に踏まれるなんて、許せないのだよッ!
「待ちたまえ、キミ達! 今回の黒幕は誰あろう、このボクなのだよッ! つまりヴィルヘルミネ様に叩かれる栄誉を得るべきは、このボクなのさッ! フッフフフフッ!」
ジーメンスは力強く足を前に出し、全身全霊で声を張り上げる。
ユセフとジーメンスも互いを庇い合うことを止め、彼に顔を向けた。
カミーユは「あ、こいつのこと、すっかり忘れていた」という呆けた表情で、ユセフの方は「何言ってんだ、お前アタマは大丈夫か?」という不審気な表情を浮かべている。
そんな中ジーメンスは流麗な動作でヴィルヘルミネの前へ進み出ると、優雅に一礼した。それから跪き、胸に刺した一輪の薔薇を恭しく差し出している。
「おお、我が麗しき愛しの姫よ! まずはこの薔薇を、お受け取り下さいッ!」
「……いらぬ」
にべもなく断り、令嬢は首を左右に振っている。ジーメンスは少しだけションボリしたが、この程度でめげる彼ではかなった。胸に手を当て朗々と、まるで功績を誇りでもするかのように自らの罪を白状したのである。
「フッ……此度の決闘をカミーユ=ド=クルーズに持ち掛けたのは、誰あろうボクであります。今回は彼がフェルディナントの至宝たるヴィルヘルミネ様を、お守りするに相応しき男であるかどうか。それを我が尖兵たるイルハン=ユセフに試させた次第。そして結果はご覧の通り――さ、ヴィルヘルミネ様、どうかボクを足蹴にして下さい!」
その瞬間、ヴィルヘルミネの横に立つ金髪の親友が、蒼氷色の瞳をギラリと閃かせ――……。
「ユセフがいつ貴様の尖兵になったのかは知らんが――まぁ、良かろう」
「え、いや、ゾフィー様には言ってな……グヘェェェッ!」
ジーメンスは凄まじい勢いで繰り出されたゾフィーの膝蹴りを喰らい仰け反り、腹部にめり込むパンチで身体をくの字に折り曲げて、最終的には足を掛けられ仰向けに倒された。
「やっぱり貴様の仕業か、ジーメンス。ユセフがこのような騒動を、一人で起こす筈が無いと思っていたのだ」
冷然たる眼光でジーメンスを見下ろすゾフィーに、「は、はは……」と苦笑を浮かべるジーメンス。このような状況でありながら、全ての急所を躱して見せる彼の格闘センスは飛びぬけている。
逆に言えばそれを知っているから、ゾフィーは一切の手加減をしていなかった。
「ちょ……ゾフィー様、違います。ボクはヴィルヘルミネ様に叩かれたかったんで――ぐぇッ!」
だからゾフィーに容赦はない。今度はお腹を踏みつけられて、変な声が出てしまったジーメンス。彼はそのまま引き摺られ、ユセフ、カミーユと三人並んで仲良く正座をさせらるのだった。
■■■■
「なぁるほどねぇ……護衛としての実力がカミーユにあるのかどうか、それを確かめたかった――という事かい」
三人から事情をそれぞれ聞いて、エリザは呆れたように言った。
発端はジーメンスが忠誠心を爆発させて、カミーユに決闘を挑んだこと。それを友情により、イルハン=ユセフが代替した。カミーユは受けて立っただけで、むしろ被害者ともいえる立場だろう。
しかも公には「訓練」ということになっているのだから、これ自体は咎めるに及ばない。
ただし訓練にしては行き過ぎがあったことと、騒動にまで発展したことは問題であった。
だが、それもヴィルヘルミネの叱責により解決したと考えて良いはずだ。
とはいえエリザは立場的に、何も言わない――ということも出来なかった。何故なら令嬢にカミーユを付けたのは彼女であり、ジーメンスはこれに異を唱えたのだ。
軍隊とは上官に対する絶対服従が原則であり、この規律を乱す者は違反者である。ましてや、このような形で下位者が上位者の決定に疑問を抱き実力行使に出るなど、あってはならないことなのだ。
しかも陸軍の下士官に過ぎないジーメンスが、海軍の司令官に異を唱えた。これを放置すれば、海軍の権威にも関わってくるであろう。フェルディナント軍へ移籍して早々、海軍を陸軍の従属組織にするつもりなどエリザには無かった。
しかし――エリザは悩んでいる。そもそもヴィルヘルミネが護衛も説明役も欲していなかったのなら、自分が出すぎたことをしたことになるからだ。その場合、自身の不見識を令嬢に謝罪しなければならないだろう。
「閣下には護衛など不要だったようで、小官も出すぎたことを致しましたな。申し訳ありません」
結果、エリザはまず先に謝罪を述べた。
「よい。カミーユは説明役として、十分に役立っておる」
「で、あれば――小官の決定に異を唱えた二名には、罰を与えねばなりませんな……」
令嬢は片眉をクイッと上げて、僅かに考えた。
「罰か」
「御意」
「異を唱えたという意味では、決闘を受けたカミーユにも問題がある。罰を与えるのなら、三名同時じゃ」
「……と、申しますと?」
「考えてもみよ、カミーユは受けずとも良い決闘を受けたのじゃ。卿なり余なりに報告をすれば、それだけでジーメンスとユセフは罰されたであろうにな」
「ふむ、仰る通りですな」
「ゆえに艦隊司令――卿の命に背いた三名には、余が直々に罰を与える。なに、というて――大したことでは無い」
一端言葉を切って、赤毛の令嬢は跪く三人に視線を移した。
「卿等は、これより三人で一つの営倉に入れ。追って指示があるまで寝食を共にし、同じ時を過ごすが良い――……フフ、フフフ。要するに、仲良うせよという事じゃ」
令嬢は口元にニンマリとした笑みを張りつけ、様々な妄想に勤しんでいる。エリザから「罰を与えねばなりません」と言われた時、瞬時にこの制裁を思い付いたのだ。つまり「密室にイケメン三人、入れてみよう!」ということである。
元々ジーメンスとユセフは彼女の見込んだカップルだ。そこに新要素であるカミーユを投入する。三つ巴だ、きっと化学変化が起こるに違いない。
令嬢にとってはもう、パンに美味しいチーズを塗って食べるようなものだ。満腹になっても、きっとまだまだ食べられる。完全無欠の名案だった。
「しかしヴィルヘルミネ様。カミーユを閣下のお傍から外すとなると、護衛はともかく説明役がおりませんが……」
エリザが困ったように頬を掻きながら、令嬢に忠告をする。
「ならばエリザ――卿が常に余の側におれば良いのじゃ」
「小官が?」
「んむ……卿がカミーユよりも弱いとは思えぬし、海の知識に乏しいとも思えぬ。余としては、名案だと思うのじゃが?」
口の端を歪めて自分を見上げる令嬢を見て、「参ったね」とエリザ=ド=クルーズは肩を竦めている。
ヴィルヘルミネとしてはエリザが美人過ぎるから、お近づきになりたいだけだ。丁度いいから、この機会に距離を縮めようと考えている。
しかしエリザの方は令嬢の魂胆が分からないから、三日月のような口で笑うヴィルヘルミネが不気味であった。
――アタシを監視でもしようってのかね……ま、いいさ。
翌日、ヴィルヘルミネには自分以外の女性と仲良くなって欲しくないゾフィーが、エリザに「訓練」と称した「決闘」を挑んでいる。しかし結果は二十合ほど木剣を合わせた後、ゾフィーの敗北で決着が付いた。
「船の上じゃなければ、あと十合は打ち合えただろうね」
葉巻を口に咥えたままで、黒髪の女提督は悠然とゾフィーを見下ろした。
この時ゾフィーは「アデライードならエリザに勝てるだろうか?」と考えて、大嫌いだったはずの彼女の顔を思い浮かべ、苦虫を二匹同時に噛み潰したような顔で悔しがっている。
だから「もう一度!」と叫び、金髪の少女はアデライードの剣筋を思い出しながら、幾度も幾度もエリザに挑み掛かった。
立ち上がる度に強くなるゾフィーに苦笑しながら、エリザも根気よく訓練に付き合っている。
更に翌日のこと。
「今日こそ、一本取ります!」
ゾフィーは昨日に続いて気力十分、エリザに挑み掛かった。
「おやおや、随分と剣筋が鋭くなっているねぇ……こりゃあ気が抜けないよ」
晴れ渡った青空の下で、金髪の美少女と黒髪の美女が木剣を交わす。舞い散る二人の汗が陽光に煌めく様を見て、ヴィルヘルミネは「眼福、眼福」と目を細めていた。
令嬢だけは場違いにも甲板にパラソルを置き、椅子に座って蜂蜜水を飲みながら戦いを観戦していたのだ。そんな時のこと――……。
「二時の方向に艦影、戦列艦多数ッ!」
マストの上にある見張り台から、水兵が叫ぶ。
瞬間、エリザの表情が険しくなり、瞬く間にゾフィーの手から木剣を叩き落す。それから令嬢の足元へ跪き、頭を垂れた。
「――敵艦であろうと存じます。如何なさいますか、閣下」
「如何とは?」
「閣下が兵を指揮なさるも良し、小官が指揮を執るも良し、ということでございます」
「で、あるか。ならば用兵は全て卿に任せる、早々に撃滅せよ」
エリザは顔を上げ、一瞬だがキョトンとした。まさか軍事の天才が、一切の作戦指揮を任せるとは思わなかったのだ。けれどこれも天才の器量かと考え、傲然とした笑みを浮かべて言い放つ。
「――そいつぁ良い判断だ、ヴィルヘルミネ様」
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