第110話 カミーユ=ド=クルーズ

 

 イルハン=ユセフとカミーユ=ド=クルーズの決闘は、深夜にも関わらず多くの人々に見守られていた。もともと血の気の多い海兵達は、この手の騒動が大好きなのだ。


 だが決闘といっても、決して刃物で戦う訳ではない。

 ここは海賊ではなく海軍だから相手を殺してしまえば当然、犯罪である。ゆえに、こんな場合に備えて一定のルールが設けてあるのだ。


 そもそも軍隊という場所は陸海問わずに皆、血の気が多い。だから互いの優劣を競う場合、自主訓練として試合形式で処理されるのが常だった。

 という訳で今回は剣闘試合として、二人は反りのある木剣を手に持ち甲板上で対峙することになったのである。


舶刀カトラスなど、使ったことも無いが……」


 船乗りが好んで使う武器を手渡されたユセフは一瞬だけ首を傾げたが、しかしなるほど、短い分だけ障害物の多い船上で戦うには適した武器だと納得した。


銃剣バヨネットを模した木槍もあるが――……陸者おかものには、そっちの方がいいかな?」

「これでいい。そんなものを使って、うっかり少尉殿を突き殺したらたまらんからな。それで提督に恨まれでもしたら、目も当てられん」


 不敵に笑うユセフの姿に、周囲の野次馬が手を叩いて喜んだ。「分かってるじゃねぇか、黒ガキ! そいつは提督の甥御様だ! 傷付けちゃならねぇ! 手加減してやんなきゃなッ!」


「ちっ……うるさい野次馬だ。それに最近のガキは、年長者の親切心を足蹴にしやがる」

「随分と口が悪くなったな、少尉。それに近頃の年長者は、年少者を蹴落とすのに手段を選ばんようだ。実際の所この武器の方が船上では有利だ――ということくらい俺でも気付くぞ」

「ふん。こっちの腰巾着も、可愛気など無いようだな」


 こうしてイルハン=ユセフとカミーユ=ド=クルーズの剣闘試合は、始まったのである。


 ■■■■


 イルハンは周囲を見回し、マストや索具といった移動の邪魔になるモノの位置を頭の中に叩き込んでいく。だいたい何歩でぶつかるか、あるいは利用して相手を追い詰めるにはどう動くべきか――誰かと対峙したとき、そういった計算を巡らせることは幼年学校へ入って以来の癖になっていた。


 むろんカミーユも脳内で同様の作業を行っているが――当然ここは彼のホームである。地の利がカミーユにあるのは、自明の事であった。


「掛かってこないのなら、こちらから行くぞ。なに――甲板掃除に支障を出さない程度には手加減をしてやるつもりだ、安心しろ」


 波で船が横に揺れた瞬間、勢いよく床を蹴ったカミーユがイルハン=ユセフに襲い掛かる。

 揺れのせいでイルハンは踏ん張りがきかず、たたらを踏んで身体を後ろへと反らした。刹那に振り下ろされた木剣を避けるには、余りにも体制が崩れ過ぎている。


「――ちィッ!」


 ユセフは自ら仰向けに倒れ込み、木剣を躱した。そのまま両足で相手の足を挟み込み、ぐるりと腰を捻る。右足を取られたカミーユは咄嗟のことに対応が出来ず、床に投げ出されてしまった。見事な攻防一体の体術だ。


「やるじゃねぇか、黒い小僧ッ!」

「ヒュウ!」


 ユセフのトリッキーな体術に、周りの水兵や士官達が喝采を送る。指笛も響き、いつの間にやら賭け事も始まっていた。


「――ボクは当然、ユセフに賭けるとも。百ルーブルでいいかね?」

「おい、白いガキんちょ……ちゃっかり賭けに参加しようとするんじゃあねぇよ……お前、ロクな死に方しねぇぞ……」


 しかし残念ながら一口も噛めなかったジーメンスは、「くそう!」と地団太を踏んでいる。もはや本来の目的を見失っているようだ。どうやら未来の名将も、今はまだ迷走期にあるらしい。 


 いや――彼はどれほど過酷な戦場においても軽口と冗談を忘れなかったというから、元来が楽天的で愉快な性格だったのだろう。

 ともかく海軍の将兵に「ロクな死に方をしない」と言われながらも、いつの間にか彼らと肩を組み、ラム酒を回し飲みしているのだから。


「どいつもこいつも……!」


 眉間に皺を寄せて、カミーユが唾を吐き捨てた。一度は倒されたものの、彼はすぐさま立ち上がったのだ。当然その間にユセフも立ち上がり、お互い距離を取り睨み合っている。


「何を苛立っているのだ、少尉……?」

「兵共の見世物になっているんだ、苛立ちもするッ! こんなこと、認められるかッ!」


 再びカミーユが踏み込んだ。先程よりも鋭さを増していることから、前回は本当に手加減をしていたのだろう。


 ――なるほど。怪我をしないよう、俺に気遣いをしてくれていた……か。


 しかし、手加減をしていたのはユセフも同様だ。しかも船上という初めての場所で、戸惑ってもいた。

 だが今度は違う。まだ本気は出さないが、「揺れ」を一度経験した以上、二度と同じ失敗を繰り返すことは無い。


 ――右、左、左、下、上。


 木剣同士が幾度もぶつかり、鈍い音が辺りに響いていた。少年たちの息も次第に荒くなっていき、容易に勝負の決着は付きそうに無い。どうやら二人の技量は互角のようだ。

 

 そんな中ジーメンスは顎に手を当て、「カミーユ何某――ユセフと互角に打ち合うなんて、中々やるじゃあないかね……」などと感心している。もはや完全に他人事であった。騒動を巻き起こした張本人だというのに、呑気なものである。


 だがこの場合、むしろ感心されるべきはイルハン=ユセフの方であった。何しろ彼は揺れる船の上で戦うことも、反りのある木剣で戦うことも初めてなのだ。


 そうした事が分かるから決闘を見守る水兵達は皆、イルハン=ユセフの技量に惜しみない拍手を送っている。一方、そんな少年に手こずるカミーユ=ド=クルーズは、士官達の冷笑に耐えねばならないのだった。


「しょせん士官学校で中の下の成績なんて、こんなもんだろ……」

「陸軍のガキが言う通り、少尉は七光りなのさ。ここじゃあ誰もが遠慮しているから、優秀に見えるだけのことで……」


 カミーユの耳に、こんな誹謗中傷が聞こえてくる。あるいは幻聴かも知れないが、そうだとしたら原因は分かっていた。

 

「私だって、エリザ=ド=クルーズの甥に生まれたくて生まれた訳じゃあ無いッ!」 


 強すぎる叔母の下にいることが、カミーユには苦痛だった。同じ姓を持つ者として叔母と比べられることが、耐えがたかった。部下達の期待が、叔母の期待が、代将たちの期待が重く圧し掛かっていた。


 優秀であらねばと思えば思う程、つまらない失敗をする。だからいつの間にか、本気でやることを辞めたのだ。本気でなければ失敗はしない。仮に失敗したとして、本気じゃないからと言い訳が出来るのだ。

 それにクルーズの名を持つカミーユに勝ちを譲らぬ者など、ここにはいなかった。忖度だ。


 いつの間にか、叔母の庇護下に居れば安泰だと思うようになった。だから適当に礼儀を保ち、仕事をこなし、生きていたのだ。居心地も良かった。


 ――だから、こんなところで本気で戦うなんて、バカバカしいことだ。適当に負けを認めて、本気じゃあ無かったと言えばいい。けれど兵共の顔は……まるで私を見透かしているかのような……いや、見透かしていやがったんだ……あいつらッ! 表面ばっかり良い顔しやがってッ! くそっ、くそっ、くそっ!

 

「――おい、腰巾着その二。悪いがもう、手加減してやれそうにない。死なないよう、防御に全力を尽くせ」


 翠玉の瞳が夜の闇に輝き、イルハン=ユセフを怪しく射貫く。対して引き締まった肉体を持つ大きな少年は、重心を落として獰猛な笑みを浮かべている。


「奇遇だな――俺も敗北は許されない身だ。そっちが本気でくるのなら、俺も本気になるしかない……」


 木剣を捨て、左右の拳をゴキリと鳴らす。イルハン=ユセフにとっては慣れない舶刀カトラスよりも素手の方が、よほど強力な武器になるのであった。

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