第108話 海虎と黒豹


 リンドヴルム号の艦尾には、高級士官用の食堂がある。そこは特別に広いわけではなく天井も決して高くないが、千人もの海兵を乗せる軍艦にあっては随分と豪奢な部屋だった。


 この食堂以上に装飾の凝った部屋は艦長室、司令長官室、そして貴賓室だけである。

 特に貴賓室は王侯が座乗した場合に居室となることから、無用な程に大きく豪奢な部屋となっていた。むろん今は、そこがヴィルヘルミネの居間である。


 しかし今は夕食の時間だ。ヴィルヘルミネも士官用の食堂に顔を出し、新たに幕僚として迎えたエリザ達と食事を共にしていた。

 令嬢の後ろにはカミーユ=ド=クルーズがピッタリと控え、白いナプキンを左手に掛けている。彼は今、令嬢の給仕も担当しているのだった。


 ヴィルヘルミネと共に食堂へ集まったのは艦隊司令のエリザ、参謀長のビュゾー、海兵隊長のラメットといった海軍の幹部達とエルウィン、ゾフィーといった面々だ。彼等の給仕兼護衛として、ジーメンスとユセフも部屋の隅に控えているのだった。


「納得いかないと思わないかね、ユセフ。なぜカミーユ何某がヴィルヘルミネ様を担当し、ボクがデッケン中佐ごときの給仕なのだ?」

「伍長の立場から見れば、中佐だって雲の上の存在だろう」

「階級の問題では無いのだよ。中佐は十三歳になったばかりのヴィルヘルミネ様を色欲に満ちた目で見る、なんと類まれなる変態なのだ! そんな男に傅くなど、ボクのプライドが許さないねッ!」

「なんだ、同族嫌悪というやつではないか……」

「いいや、ボクとヴィルヘルミネ様は同い年だから、いいのだよッ!」


 ジーメンスがやや声を荒らげたところで、「おい」と静かな声が割って入る。


「聞こえているぞ、ジーメンス。ユセフも私語は慎め。フェルディナント陸軍・・の恥になりたくなければな」

「「も、申し訳ありません、デッケン中佐」」


 ピンクブロンドの髪色をした青年が睨むと、途端に少年二人は大人しくなった。

 色々と思う所はあるものの、エルウィンの功績なら良く知る二人だ。今の自分達では何一つ彼に及ばないことを、十分に知っていた。

 

 ジーメンスとユセフは次々に運ばれる料理を、それぞれが担当する高級将校にサーブしていく。二人は料理の豪華さにゴクリと唾を飲みつつ、いつか自分もこうした場で座れるようになるぞ――などと少年らしい夢を抱いていた。


 彼等が運ぶ料理は出航初日ということもあり、生鮮食品をふんだんに使用している。メイン料理は白身魚のムニエルで、パン、魚介のスープなどが所狭しとテーブルの上に並べられていった。


「のう、カミーユ。海軍では毎日、皆がこのような料理を食べられるのか? であるならば、陸軍よりも随分と待遇が良いのう」

「いいえ、ヴィルヘルミネ様。これは高級士官達が戦勝を祈願する意味も込めて、出征初日だけ口にするものです。以後は恐らく、陸軍と変わりない食事かと……」

「で、あるか」


 この一日でヴィルヘルミネとカミーユは、随分と気安い関係になったようだ。令嬢の耳元に口を寄せ、カミーユが囁いている。「明日からは干し肉や干し魚、あとはカチカチのパンばかりですよ。私など今日からそれですから、たまりません……」と。


 ヴィルヘルミネは珍しく微笑を見せて、飲む前のスープを持ち上げた。


「ならばカミーユ、これを毒見せよ。半分くらい飲んでも構わぬぞ」


 むろんこれは令嬢なりの優しさであったが、これを見て一人の青年と二人の少年が眉を吊り上げた。しかし彼等が暴発しなかった理由は、ゾフィーが間に入ったためである。


「あ、毒見であれば、わたしが――……」


 言うなり金髪の親友は令嬢からスープを取り上げ、一口飲んでまた戻した。その後、自分が使ったスプーンを令嬢が口に付けるのを見てから、ゾフィーは終始ニヤニヤしていたのだが……。

 ヴィルヘルミネはこの時、「ま、いいか」程度の感慨しか無いのだった。


 ■■■■


「敵の撃滅に一日、追撃、殲滅にさらに一日とは……少々都合が良過ぎるように聞こえますが」


 エルウィンが白身魚のムニエルを口に運びながら、夜空色の瞳を動かした。視線の先には、凄絶な美貌の艦隊司令長官がいる。彼女があまりにも軽々しく敵の戦力を見積もり、それを撃破すると豪語したからであった。


「おや、デッケン中佐はアタシが大言壮語を吐いているとでも思うのかい? それともグランヴィルの議員達と同じく、南方艦隊アタシたちをナメているのかね?」

「そうではありません、あくまでも一般論を申し上げているだけです。海戦は陸戦に比して、奇策が通じにくいはず。ならば敵との戦力が拮抗している以上、これを打ち破るには相応の損害を覚悟する必要があるのではないかと……」

「へぇ……驚いたね。アンタ海軍のことも、それなりに勉強しているようじゃあないか。いやぁ、大したもんだ」

「茶化さないで頂きたい。この艦にはヴィルヘルミネ様も座乗されておられる。フェルディナントとしては――万が一のことも、あってはならないのです」

「確かにね……アンタの心配は分かった。アタシにしたって、いきなり主君を失うような愚を犯すつもりは無いよ。ラメット代将――説明してやんな」


 エリザが口の端を吊り上げ、海兵隊長のラメットに視線を移す。


「はっ」


 白いナプキンで口元を拭い、体格の良い精悍な男が頷いた。エルウィンよりも一回り程、縦にも横にも大きいだろう。海兵隊長のラメットであった。


「デッケン中佐、我々は、この海域の海賊共を数知れず討伐してきた。そして知り得たことがある。しかしキーエフ軍には、それが無い。だから奴等は我々に殲滅される。それだけのことさ――分かったかね?」


 ラメットの言葉は、説明と言うにはいささか具体性に欠けている。しかし傲然と言い放つ声が余りにも自信に満ち溢れていたから、ヴィルヘルミネは思わず「で、あるか」と頷いてしまった。


 海軍士官達は、そんな令嬢の理解力に感嘆の声を上げ、「流石は軍事の天才――既に理解なさっておられるのか……」などと言っている。大いなる勘違いだ。ヴィルヘルミネはなんにも分かっちゃいなかった。


 ラメットはヴィルヘルミネがエタブルの艦隊司令部を訪れた際、エリザの護衛をしていた男の一人だ。年齢は二十七歳とまだ若いが、彼は艦隊の白兵戦における最高指揮官であった。むろん、代将という地位に相応しい知勇も備えている。


 またラメットは本来、南方人らしい明るい気質だ。冗談も上手く、実際に年寄りから子供にまで好かれている。中でも太陽の下で金髪を掻き上げ白い歯を見せる褐色肌の彼に、心を奪われる女性は実に多かった。


 しかし海戦となれば、話は別だ。容赦なく敵を狩る獰猛な姿がワイルドなギザギザ眉毛と合わさって、海賊たちは彼を「海虎オルク」と呼び恐れている。


 ヴィルヘルミネの見立てでは八十三点とやや低い顔面点数だが、それは単に好みの問題であろう。ワイルドで陽気な男が好きなパリピ系女子なら、彼に九十点を超える点数を付けてもおかしくはない美貌なのであった。


「ラメット代将。もう少し具体的な説明をして頂けると助かるのですが?」

「やれやれ、俺は説明が苦手なんだよ、デッケン中佐。てことで作戦を詳しく説明するのは、参謀長の仕事だろう。なぁ、ビュゾー代将閣下?」

「ふん――突っ込んで敵を叩く。それを作戦と呼ぶのなら、突撃とでも言えばいいのか、え? ラメット代将……」


 スープを啜りながら、参謀長のビュゾーがジロリとラメットを睨む。

 

 ビュゾーもラメットと同じく二十七歳で、類まれなる勇気を見込まれエリザに抜擢をされた人物の一人だ。彼がフリゲート艦の艦長時代、三隻の戦列艦に囲まれながらも一隻を撃沈、二隻を拿捕した武勇伝は、南方艦隊において知らぬ者はいない。


 海賊たちはビュゾーを「黒豹」と呼び、畏怖していた。むろん容姿もラメットに劣るものではなく、ヴィルヘルミネも八十四点と評価している。

 なぜ彼の方が点数が高いかといえば、陰キャである令嬢が勝手にシンパシーを感じたからであった。要するに彼は基本的に三白眼で、陰気に見えるのだ。


「ビュゾー殿。それも説明になってはおられぬが……突撃とは一体、どういうことなのです?」

「よいのじゃ、エルウィン。余にはもう、分かっておるのじゃからして、して」


 うっかり杯に注がれた白ワインを飲んでしまったヴィルヘルミネは、ふんわり上機嫌になっていた。なので何も分からないが、何かが分かった気持ちになっていた。


「そういう事だ。デッケン中佐もその時を、せいぜい楽しみに待っておけ。なぁに、アタシらにしたって強さを見せつけなきゃあならない局面さ、手なんか抜きゃあしないからね、安心しな……フフ、フハハハ!」


 グラスのワインを飲み干して、エリザ=ド=クルーズが締めくくる。

 エルウィンとしては作戦を詳しく聞きたい所であったのだが、聞いたところで自分も海戦の素人だ。仕方がないと諦めて、ほろ酔い加減のヴィルヘルミネを貴賓室へ送ることにしたのだった。

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