第107話 旗艦リンドヴルム


「なるほど、なるほど、なぁるほどぉ~~~そりゃあいい、傑作だ!」


 エリザがニヤリと笑い、ヴィルヘルミネを見つめている。彼女は「余のモノになれ」という令嬢の言葉の意味を、徹頭徹尾勘違いしているのだ。


 そもそも、マコーレ=ド=バルジャンが信頼できる男だとして、ランスの新政府に重責を占める面々が同様とは思えない。例えばトゥール州の開放が成り意気揚々とグランヴィルへ帰還したら、途端に投獄される――という可能性も考慮できた。


 投獄する理由など権力者ならば、いくらでもでっち上げられるのだ。ましてやクルーズ家とは、嘗てランス南部を支配した辺境伯家の末裔である。エリザは出戻りの身であるとはいえ、彼女を餌に本丸であるクルーズ家の力を削ごう――と考える新政府の議員達は多いはずだ。


 ――中央集権を進めようとするなら、なおのことクルーズ家は邪魔だろうからね。

 

 その点ヴィルヘルミネはフェルディナントの最高責任者だから、彼女の言葉は信頼に値する。何より赤毛の令嬢が海軍力を欲しているのだとしたら、「余のモノになれ」とは実に納得できる言葉なのであった。

 何しろ列強各国と肩を並べようというのなら間違いなく港は必要で、それを守る為には海軍力が必須なのだから。


 ――この娘に付いた方がクルーズのお家も安泰、なんて考えるのは、いささか虫が良過ぎるかねぇ……だけど今のランスに尽くすよりは、よっぽどいいか。


「――確かに今更ランスの海軍に復帰するのは、収まりが悪い。だったらフェルディナントに鞍替えするのも、悪くはないねぇ」

「ちょ、ちょっと待ってください、ヴィルヘルミネ様。それじゃあ新政府の立場が――……」

 

 意外と乗り気なエリザに慌てて、バルジャンが冷や汗を掻いている。だが、彼はここでふと思った。


 ――考えてみれば南方艦隊の処遇に関しては、俺に一任されているんだったな。だいいち、どうも今の政府は気に入らん。俺の事だって殺そうとしやがったしな。

 てことはニームを奪還することさえ出来るなら、あとはクルーズ提督の好きにして貰えばいい……のか。


「――と、思ったが、その辺は小官が上手く取り計ろう。その代わりクルーズ提督には、しっかりと協力して頂きたい」

「ちょ、ちょっと待ってくんろ、バルジャン少将! ヴィルヘルミネ様も! フェルディナントに海なんてねぇべさ! それでどうやって南方艦隊がフェルディナントに行けるんだべ!?」


 ワタワタと両手を振り回し、ダントリクが間に割って入る。するとヴィルヘルミネが「湖ならあるぞ。それで足りなければ、海を手に入れれば済む話じゃ!」と、ものすごく良い笑顔で答えるのだった。


「――讃うべきかな、覇王の矜持よ」


 大きく頷き満足気な表情を浮かべるゾフィーを見て、ダントリクはとても頭が痛い。先程のセリフはどう考えても、ヴィルヘルミネの領土的野心を示しているとしか思えなかったからだ。


 ――ああ~~……もしかしてオラ、とんでもない歴史の転換点を見ちまってるんでねぇがか……。


 こうしてヴィルヘルミネはランス南方艦隊十二隻をフェルディナント海軍として迎え入れ、初代第一海軍卿、艦隊司令長官にエリザ=ド=クルーズを任命するのだった。

 

 ■■■■


 十月十二日、エリザ=ド=クルーズは艦隊を率い南海へと乗り出した。ニーム港を奪還する為だ。


 マコーレ=ド=バルジャンは前日に進発しているから、エタブルに残った守備兵は三百人程度である。陸路を行くバルジャンは山越がある為、ニームへ到達するまで六日間を予定していた。


 一方、西からの風に乗れるエリザの艦隊は、二日もあればニームの沖合に達する。だがニーム港を制圧する為には、キーエフの守備艦隊を打ち破らなければならない。その為の時間を考慮した結果、一日の遅れで進発することとなったのだ。

 

 艦隊は百門の砲を搭載する一等戦列艦を旗艦として、二等戦列艦が二隻、三等戦列艦が三隻、それから小型のフリゲート艦が六隻といった陣容である。


 ちなみに旗艦はリンドヴルム。四層からなる後甲板を緑と黄金で装飾した、全長五十メートルを超える巨艦である。ヴィルヘルミネはこれを一目見るなり気に入って、あっさり座乗することを決めてしまうのだった。


 出航後数時間――リンドヴルムは三本のマストに掲げた白い帆にたっぷりと風を孕み、波濤を蹴って海を行く。三層の砲甲板にはズラリと黒光りするカノン砲が並び、掲げられた旗はフェルディナントの一角獣旗ユニコーンであった。


 見渡す限りの大海原をぐるりと眺め、甲板上をウロウロと動くヴィルヘルミネが「ふぁぁぁ」と感嘆の声を上げている。風に靡く赤毛を片手で抑えながら、彼女の目線は忙しなく動く水兵達を追っていた。


「――どうして皆が、これほど忙しく動いておるのか? 答えよ、カミーユ=ド=クルーズ少尉」

「はっ――我が艦隊はニームに駐留する敵艦隊の哨戒線を掻い潜る為、一端南下した後に北上し、攻撃を仕掛ける予定であります」

「うむ、それで?」

「ですから一先ず、艦隊を南方へ向けて回頭させねばなりません。今がそのタイミングであろうかと」

「で、あるか。そのような指示が余の知らぬ間に、卿の伯母上から出ておったのじゃな」

「いえ、閣下もお耳にされたかと存じます。『面舵』というは、右への転進を意味しておりますから」

「ほう――それだけの為に皆が走り回り、これ程の作業となるのか……大変じゃの、船というものは」

「ご理解いただけましたなら、幸いであります」

「で、あるか」


 言いながら、ヴィルヘルミネが指揮杖を手の中でパシリと鳴らす。

 彼――カミーユ=ド=クルーズ少尉は海戦を知らぬヴィルヘルミネの為にエリザが付けた、護衛兼説明役であった。だから令嬢の面倒な質問にもいちいち答えて、微笑を浮かべている。


 もちろんカミーユはエリザの甥ということもあり、黒髪緑眼で赤銅色の肌をした美少年であった。だから令嬢も彼を九十二点と評し、側近くに控えることを許しているのだろう。


 また彼は今年十六歳と、年齢も比較的ヴィルヘルミネとは近い。そういったこともエリザは考えて、彼を令嬢の側に置いたのだ。


 ただ――当然これに不満を持つ者もいる。その筆頭がヴァルダー=フォン=ジーメンスであった。


「くそう! なんでボクのようなエリートが、甲板掃除なんかをしなければならないのだね!」

「まあ……そうボヤくな、ジーメンス。俺達はフェルディナント軍で初めて、海軍の仕事をやっているんだ。彼等のことを知る為にも、これは重要なことだろう?」

「そう言うがね、ユセフ! これはただの雑用なのだよ!? ほら見たまえ、我等が女神を誑かす、カミーユ何某とかいう男をッ! あれは絶対に下心があるに違いないのだよッ!?」

「……カミーユ……ああ、彼は艦隊司令の甥御だろう。それにな、ジーメンス。俺にはお前の方が、よっぽど下心があると思うのだが?」

「なにおう!? 君はヴィルヘルミネ様に魅力を感じないのかね、ユセフッ! 潤んだ赤い瞳に麗しき唇――そして誰よりも白い肌と艶やかな、あのうなじ……! 最高ではないかッ!」

「そりゃあヴィルヘルミネ様は魅力的だが……高嶺の花だ、身分が違い過ぎる。こうしてお傍にお仕え出来るだけで、俺は満足だ」

「ふんっ、勝手にするがいいさ。ボクにとってはライバルが減るだけだから、君の考え方を矯正するつもりなんて無いけれどね。ただ――カミーユ何某ッ! ああ、あいつ、ヴィルヘルミネ様の手を取ってッ! もう絶対に許さないのだからねッ!」

「そうか? あれは艦が傾いたから、助けただけだろう?」

「だったらそれは、ボクがやるべき仕事なのだよッ! ああ、もうッ!」


 などと言い合いながら、甲板掃除を終えたイルハン=ユセフとジーメンスなのであった。

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