第102話 お茶会


 ヴィルヘルミネは九月十二日、フロレアル宮を訪れた。赤毛の令嬢とアデライードの出兵を知った王妃マリーが二人との別れを惜しんで、「会いたい」と言った為だ。


 現在ランスにおいて王室一家の地位を保証するのがフェルディナント公国の武力である以上、マリーにしてみればヴィルヘルミネが王都を離れること自体が恐ろしい。

 ましてやキーエフ軍を呼び寄せたのは自分だ――という自覚があるから罪滅ぼしの気持ちもあるし、懺悔しようと思ったのだ。


 真夏と言うには涼しく秋と呼ぶには蒸し暑い午後、中庭にある大理石の四阿あずまやで、赤毛の令嬢とアデライードが国王夫妻と共に白い丸テーブルを囲んでいる。

 ここが暫く王都を留守にするヴィルヘルミネとアデライードの為に王妃が開いた、お茶会の会場であった。


 周囲を警護するのは十数名の近衛兵だけで、他の貴族や武官が居る訳でもなく小ぢんまりとしている。贅沢なものがあるとすれば、供されている飲食物くらいであろう。


 たとえば白磁のカップの中に揺れる紅茶は、東南の植民地から運ばれた最高級の茶葉で作られたもの。菓子は王妃マリーがウェルズから呼び寄せた職人が作るパウンドケーキ、といった具合に。


 もっとも庶民から見れば、これでも腹立たしい程に贅沢だ。しかしキーエフの帝室に生まれランスの王妃となったマリーにしてみれば、質素に過ぎるお茶会というものであった。


 それもこれもマリーは、「革命のせい」だと思っている。加えて今回の戦争だ。これでまた、民衆は飢えることだろう。そうと知っているからマリーも、こうして質素倹約に務めている「つもり」なのだった。


 むろん、民衆には彼女の真意など分からない。だから毎日外国人のパティシエが作る菓子を食べ、植民地から取り寄せた紅茶を飲むマリーは、日に日に憎悪の対象となっていくのだが……。


「ごめんなさいね、ミーネ。わたくしが兄上様に手紙を出してしまったの。このままではランスという国が変わってしまう、秩序が壊れてしまう――……どうか助けて下さいまし、って。そのせいであなたが巻き込まれるなんて、わたくし全然思わなかったのよ」


 豪奢な白いドレスに身を包み、蜂蜜色の髪を高く結い上げた王妃マリーは、ヴィルヘルミネに会うなり開口一番こう言った。


「お気に、なさらず。余、ではなくて、わたくしは……戦いに行くわけではありませんから」


 ヴィルヘルミネは肩口の大きく開いた菫色のドレスを着て、赤毛を編み込み後頭部で団子状に纏めていた。艶のある白い肩や細い首筋に、十二歳とは思えない色香が備わっている。


 けれど赤毛の令嬢は別段、そんなものを狙っていたわけではない。ただ暑いから、なるべく首や肩を外気に触れさせたかっただけである。


「だけどミーネは、ヴァレンシュタイン公爵をトゥールから追い出す為に行くのでしょう。だったら戦わないなんて、不可能なのじゃなくて?」


 頬に手を当て、物憂げに王妃マリーが言う。二十を過ぎても十代の瑞々しい美しさを保つ王妃を見つめ、ヴィルヘルミネは「ええのう、プルプルの肌じゃのう」などとオッサンじみた感慨を抱いていた。


「ヴァレンシュタイン公が撤兵に応じてくれるのなら、デルボアを戦争犯罪人として処刑するというカードもミーネ様は持っておいでです、マリー様。ですから相手が交渉の席にさえ着いてくれれば、話し合いによる解決も可能かと……」


 ヴィルヘルミネの代わりにアデライードが答えた。

 彼女も今日は浅葱色のシンプルなドレスを着ている。美しい金髪は緩く三つ編みで纏め、背中へと流していた。ただし腰に細身の剣を吊っているから、それだけが異質である。


「あら、そうなのね、アデリー」


 王妃マリーがはしばみ色の目を大きく開いて、喜色を露にしている。彼女は王家に敵対するかの如きデルボアが、心底嫌いであった。


「そう言うがな、デルボアのヤツは新政府内の権力闘争に敗れた挙句、切り捨てられるというだけのことであろう。廃物利用でヴァレンシュタインを退けられるのであれば、連中にとっては願ったり叶ったりではないか」


 面白くもなさそうに、国王シャルルがフォークで刺したパウンドケーキを口へと運んでいる。彼は取り立てて権力欲が強いわけでは無いが、あからさまに蔑ろにされる現状が不満であった。


「そうね、陛下の言う通りだわ。次は誰が革命政府の主席になるのかしら?」

「大方の予想では、マクシミリアン=アギュロンではないかと」

「あら、そうなの、アデリー? どうしてかしら」

「第二席はデルボアの腰巾着のような男でしたから、今度の件で民心を失いました。そこで必然的に第三席であったアギュロンが繰り上がった、という話です。ただ――……」

「ただ?」

「どうも第七席のポール=ラザールが、アギュロンに資金援助をした――という噂もございます。あくまでも噂ですが……」


 ――カチャリ。


 この時、ヴィルヘルミネはパウンドケーキを切ろうとしてフォークとナイフを落としてしまった。デルボアが失脚へ至るまでのシナリオは、ヘルムートの筋書き通りである。

 だが一方でアギュロンの躍進は、そのシナリオから外れていた。むしろヘルムートはポール=ラザールに政権を奪取させようとしていたのだ。しかし、そうはならなかった。


 報告書によればポール=ラザールが時期尚早であると現場で判断した為だとされていたが、これに関してはリヒベルグが警鐘を鳴らしている。


「道具が自らの考えを持つなど、不要のことである。処分すべし」


 過激すぎるリヒベルグの進言に対し、ヘルムートは首を縦に振らなかった。理由としては彼が軍人ではなく、政治家であったことだろう。ラザールがランスの政権中枢にいることを思えば、おいそれと使い捨てる訳にはいかないと考えたのだ。


 ともあれ裏事情を知っているヴィルヘルミネは、「やべぇ」と思い動揺したのである。


「――ところでミーネ様。ヴァレンシュタイン公と話し合うのが目的とはいえ、彼等が我が国に対して軍事力を行使し、侵攻していることは事実。街道を南東に向かえば、やがては彼等の哨戒線にもぶつかるでしょう。万が一戦闘になった際は、如何なさるおつもりですか?」


 令嬢の動揺を悟った訳では無かろうが、アデライードが新たな質問をぶつけてきた。ヴィルヘルミネは手の平をじっと見つめ、細い眉を顰めている。

 

 ――新しいフォークとナイフが欲しいのじゃ。


 ヴィルヘルミネはアデライードの質問を聞いていなかった。というか、聞く気が無かった。

 ビックリしたけど陰謀をバラさない為には、無言を貫くのが一番と思っている。その思いだけで頭の中はいっぱいだった。


 ついでに新しいフォークとナイフを貰って、パウンドケーキが食べたいという欲望で心を満たしていく。完璧だ。もうバレないぞ……。


 こうして赤毛の令嬢は立ち上がり、四阿の外にいる侍女へと手を伸ばす。「新しいフォーク、くれ!」と言いたかった。でも、ここは国王夫妻の目の前だ。いつもの口調では喋れない。だから、ひたすら手を伸ばした。声が出せず、何故か人差し指だけをピンと伸ばして。


「その方角は――……南。南へ向かうと? まさかミーネ様は、ヴァレンシュタイン公を迎撃しないおつもりですか?」

「……う?」


 振り向くと、アデライードが驚愕に目と口を見開いている。

 令嬢はフォークとナイフが欲しいだけなので、今は確かに「迎撃などしない」おつもりだが。


「そうか……その手があった。それならば兵力が敵の三分の一でも、十分に渡り合える! 流石はミーネ様ですッ!」


 何故かアデライードが、感涙に咽び泣いている。何かを勝手に閃き、勝手に理解をしてくれたようだ。


 そんなアデライードを横目に、新しく貰ったフォークとナイフを使って令嬢はケーキを頬張った。美味しさに口元を綻ばせ、小さく頷いている。

 

「んむ、んむ」

「なるほど――……ミーネ様はマリー様とキーエフの繋がりを慮って、何も仰らないのね」


 アデライードの勘違いは加速して、斜め上を飛びぬけた。だから彼女は舌鼓を打つヴィルヘルミネに微笑み、「分かっています」と軽く片目を閉じたのだ。緑玉のような瞳が、令嬢の前で煌めいた。


「マリー様にその気が無くとも、うっかり書いた手紙で作戦内容をキーエフに伝えられては、たまらない」

 

 アデライードは内心に納得し、ヴィルヘルミネに言う。


「でしたら私も、微力を尽くしましょう」


 こうして九月十五日、ヴィルヘルミネを軍事顧問に迎えたバルジャン師団は南へ向けて進軍を開始する。もちろん、その方向にヴァレンシュタインはいないのであった。

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