第101話 ヴィルヘルミネの安請け合い


 医師が到着する頃には、ヴィルヘルミネも十分に落ち着いている。そもそもの原因がエルウィンにお姫様抱っこをされたことであったから、ベッドに寝かされた時点で発熱のピークは去っていた。


 到着した医師は平然とした令嬢の姿を見て、しきりに首を捻っている。


「目を見せて下さい」

「んむ」

「問題ありませんね。では、口を大きく開いて下さい」

「んむ」

「大丈夫ですね。次は胸の音を少々、聞かせて頂いても?」

「んむ、脱げばよいのか?」

「はい、お手数ですが……」


 ヴィルヘルミネが衣服に手を掛け、脱ごうとする。もともと大貴族である彼女は、侍女に着替えを手伝わせることも多い。だから下位の者に裸身を晒すことも、とくに抵抗がない性質たちであった。


 何なら「別に卿等に裸を見られたとて、どうでもよい。牛や馬に肌を晒して恥ずかしがる人間など、いないじゃろが」と平然と言うだろう。


 逆に言えば、牛や馬が人間に興味を持つとも思っていない。つまり彼女は相変わらず、自分がモテるとは認識していないのだった。

 

 だが、そんな令嬢の姿にエルウィンは慌てて頭を振り、声を荒らげている。


「ダ、ダメです」

「エルウィン――何故じゃ? 診察じゃろう?」

「ダメなものは、ダメなのです。どうしてもというのなら、女医を連れてきて頂きましょう。女性の身体は、女性が見るべきだ。お、男が見るなんて、我慢できません!」

「……むぅ」


 ヴィルヘルミネは、唸った。 


 ――そう言えばエルウィンは同志だから男は男と、女は女と恋愛をすべきと考えているはず。となると確かに余の胸を見て良いのは、女だけじゃな。しかし……こうまで怒るとは、ちと解せぬ。


 エルウィンは凛々しい眉を吊り上げて、初老の医師の真横で憤慨している。何しろ彼は自分以外の男に、断じてヴィルヘルミネの裸を見られたくないのだ。


 ヴィルヘルミネは考えた。そうして奇跡的に令嬢とエルウィンの利害が一致する。


 何故なら令嬢は仮病なので、きちんと診察されたらボロが出てしまう。それにヴィルヘルミネはこの時エルウィンに関して、新たな誤解を生じさせていた。


 ――なぁんだ、エルウィン。余と同じというか、こやつ……百合好きだったのじゃな! 女性の身体は女性が見るべきなどと……ムププププ!


 だから令嬢は、「分かったのじゃ、みなまで言うな」と小さく頷いている。もちろん、何も分かっていないのだが。

 という訳でヴィルヘルミネはエルウィンに乗っかり、捲ろうとしていた服を元に戻す。


「考えてみれば、そうじゃの。余も、もうすぐ十三歳。男子たる卿に肌を晒すのは、ちと恥ずかしい。女医を呼べ」

「……女医を今すぐに、というのは難しいので。ならば腕の脈を診させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「んむ、それならば構わぬ」


 結局ヴィルヘルミネの診断結果は、「過労による発熱」となった。

 医師が煎じた薬湯を、おっかなビックリ令嬢が飲み終える。仮病がバレやしないかと、実はドキドキしていたのだ。


「万が一また熱が上がりましたら、いつでもお呼びください。今度は女医を連れて参ります」


 医師は薬を飲み終えた令嬢に深々と頭を下げて、部屋を辞す。ハドラーには及ばないが、良い医者なのだろうな――とヴィルヘルミネは思っていた。

 相手が初老だったから、おじいちゃんっ子の令嬢は、どうしたって採点が甘くなるのだ。


 こうして令嬢の顔色が常と同じに戻るとピンクブロンドの髪色をした青年も、やっと平静さを取り戻した。彼はヴィルヘルミネの体調を心配するあまり、ずっと気が動転していたのだ。

 

 医師の去った部屋でエルウィンはベッドの側に椅子を寄せ、ヴィルヘルミネの枕元に座った。

 授業を終えた幼年学校の生徒達が騒ぐ声が、窓の外から聞こえている。時刻は既に、午後四時を回ろうとしていた。


「宰相閣下より、手紙が届きました。ミーネ様にはランス軍と協力し、トゥール州を奪還して頂きたい、との由にございます」

「――なんじゃと?」


 ようやく本題に入れる、エルウィン=フォン=デッケンなのであった。


 ■■■■


 ベッドの上で半身を起こした赤毛の令嬢は、エルウィンがサイドテーブルに置いた小箱を見つめている。あれは公都バルトラインにある菓子店のものだと、目敏いヴィルヘルミネには分かっていた。


 令嬢の視線を感じて、エルウィンは箱を開ける。


「バルトラインで、ヒルデガルド嬢が店を出したそうです。ヴィルヘルミネ様にはぜひ食べて頂きたいお菓子とのことで、宰相閣下が手紙と共に早馬で届けて下さいました」

「ヒルデガルド……」


 ヴィルヘルミネの中で、汚辱に塗れた記憶が蘇る。あの女のせいで、ヘルムートを好いていると勘違いされたのだ。その上ヘルムートとあの女が今でも繋がっていると思えば、何となく腹も立つ。


「ですが病とあっては、食べることも出来ませんね」

「あ、いや……その……せっかくヒルデガルドが余の為に用意したのじゃからして、して……」


 とはいえ、お菓子に罪は無い。それどころか昼食を食べ損なった令嬢は、空腹の只中にある。早速日和ひよったヴィルヘルミネは、両手を突き出して箱の中身を所望した。


「本当に食べても大丈夫ですか?」

「うむ――薬のお陰で、もうすっかり元気じゃ」

「では、どうぞ」


 小箱の中には桃色の袋が三つほど入っていて、その中にクッキーがある。袋の一つをヴィルヘルミネに渡して、エルウィンはもう一つを遠慮なく自分の手に乗せた。それからヘルムートの手紙を、掛け布の上に置く。


 赤毛の令嬢はポリポリとクッキーを食べながら、手紙を読んでいる。そこにはキーエフがランスの南東部に触手を伸ばしつつあることと、それに対して現在フェルディナントが行っている対策が記載されていた。


「――ヘルムートめ、余にキーエフ軍をトゥールから叩き出せと言うておるぞ」

「はい。既にその為の根回しも終えています」

「待てエルウィン。卿は知っておったのか?」

「はい。だから最初に申し上げたではありませんか。ミーネ様にはランス軍と協力し、トゥール州を奪還して頂きたい、と」


「むぅ」と唸り、ヴィルヘルミネは侍女を呼んだ。「レモンティー」と病人とは思えぬものを所望して、クッキーを頬張り続ける赤毛の令嬢である。昼食を食べ損ねたから、クッキーがやたらと美味しかった。悔しいがヒルデガルドの店は、きっと流行るだろう。


 そんなことを考えていたら、軍事的なことを考えるのが面倒になった。もう全部エルウィンに丸投げの令嬢である。


「協力とは、余は具体的にどうすれば良いのじゃ?」

「はっ……既にバルジャン殿が少将に昇進し、一個師団をもってトゥール奪還の任に当たることが内定しております。そこでミーネ様はキーエフ軍に対する特使としてバルジャン殿に同行なさるよう、手配をしております。また軍事顧問としてバルジャン殿の師団をミーネ様が、実質的に動かすことも可能かと」


 侍女から紅茶を受け取りつつ、事も無げに答えるエルウィン。


「ふぅん」


 令嬢も、ボンヤリと頷いている。だが、「あっ、待てよ、これ全然勝てないやつ」と思った。


 ヴィルヘルミネは唯一、算術だけが得意だ。というかキーエフ軍が三万、ランス軍の一個師団が一万弱であるという点さえ知っていれば、別に算術が得意でなくとも分かることであった。


 しかも相手は、あのヴァレンシュタインである。領地は東西と離れているが、同じ公爵家だ。面識だってあるし、何なら父は彼のことをとても評価していた。


 ――確か、古今稀に見る名将じゃと言うておったぞ……父上は。


「エルウィン――それにヘルムートも……皆、余に無茶を言うておる。相手は我が方の三倍の兵を率いるヴァレンシュタインじゃぞ? そんなもの、剣で神話に出てくるドラゴンを退治せよと言うておるようなものじゃろうが」

「何を仰るのですか、ミーネ様。ヴァレンシュタイン公が神話のドラゴンならミーネ様は、それを退治なさる戦神であらせられます」


 真剣な面持ちで自分を見つめる夜空色の瞳が、とても忌々しい。ヴィルヘルミネは思った。

 

 ――余が戦神のワケなかろ、寝言は寝て言うのじゃ! 綺麗なだけで、貴様の目は節穴かッ! と。


 とはいえ配下に崇拝されてこその君主。それを理解しているヴィルヘルミネは、悪戯に自らを貶めたりはしなかった。


「ふん」


 鼻を鳴らしつつ、令嬢は何とか自分が戦わなくて済む方法を考えている。


「それにミーネ様のお立場は、特使です。トゥール州を取り戻すことさえ出来れば、必ずしもヴァレンシュタイン公を討伐する必要はありません。

 逆に言えば戦うとしたらそれは、彼を交渉の場に引き出すための方策――となりましょうか」

「そうか。そういえば、余は特使であったか」

「はい。むしろ我が国とヴァレンシュタイン公国の利害は一致する部分が多いと、宰相閣下も申しておられます。ですから案外戦う必要などなく、話し合いによって快く撤兵して頂けるかもしれませんよ」


 ――戦わないなら、行こうかな。そう言えば余、ヴァレンシュタイン公に頭を撫でて貰ったことあるし、公はイケメンだから好きじゃし、大丈夫じゃろ、きっと。


「ふん――なら、良かろう」


 こうして令嬢は特使となり、バルジャンの実質的な軍事顧問になることを承知してしまう。もちろん安請け合いして後で困るのは、誰あろうヴィルヘルミネ自身なのであった。

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