第99話 アギュロンの台頭、混迷のバルジャン


 九月五日の早朝。バルジャンは官舎の玄関先で五人の警官に睨まれ、嫌な予感に身を震わせていた。


「バルジャン准将閣下であらせられますな?」

「う、うむ?」

「急ぎ議事堂へ来て頂きたい。十人委員会の連名により、査問会への召喚命令が出されております」

「査問会? 何だ、それは……?」

「予備裁判のようなものだとお考え下さい」

「裁判? 私は何も悪いことなど、やっていないぞ!?」

「でしたら、その旨を委員の皆様方に堂々とお話になれば宜しいでしょう」

「いやしかし、私は口下手でな。そうだ、弁護士を呼んでもいいか?」

「いいえ、閣下お一人で――とのことであります」

「私一人……だと?」


 バルジャンは、査問などと言うシステムを知らない。何事かを断罪されるならば、軍法会議なり裁判なりで呼び出されるはずだ。その際は弁護士を付けることも出来るし、そもそも罪を犯した覚えなど無いのだから、バルジャンには委員会に呼ばれる理由が全く分からなかった。


「この査問会とやらは、法的にどのような意義、意味を持つのかな? なぜ一人で来いなどと言うのだ?」

「お答えしかねます、閣下」


 シャツの中に手を入れてボリボリと腹を掻くバルジャンに、黒い制服を着た警官がキビキビと答えている。


「行きたくないんだが?」

「来て頂けぬとあらば、国家反逆罪を適用せよ、とのことであります」

「げっ……は、反逆て……。ひ、髭を剃る時間くらいは、待ってもらえるのかな?」

「はっ、その程度であれば」


 バルジャンは突き出された命令書を眺めつつ、考えた。

 

 ――畜生、拒否権無しかよ!


 国家反逆罪に問われた場合バルジャンが頼れる外国の要人は、ヴィルヘルミネだけである。彼女には何かしらランスに対する思惑があるような気もするが、しかし根っからの悪人とは思えない。いざとなれば助けてくれるのではないか――なんて思うが……。

 

 髭を剃るフリをして裏口から逃げ出せば、ヴィルヘルミネのいる寄宿舎まで行けるはずだ。その後、上手く口裏を合わせて貰えば亡命も可能だろう。


 ――でもなぁ……万が一途中で捕まったら、国家反逆罪。死刑だよなぁ。いやいや、ちゃんと出頭したら、流石に死刑にはならんだろ。せっかく英雄になったのに捕まって死刑なんぞ、冗談じゃねぇや。


 という訳で髭を剃り、バルジャンは議事堂へと向かうのだった。


 ■■■■


 会議室の高い天井には荘厳な天使の絵が十体ほど描かれ、円卓を前に座る十人の議員を見下ろしている。出来上がったばかりのフレスコ画であった。

 描かれた天使と下に座る委員の役職には関連性があり、だからこそデルボアは肝煎りで絵の完成を急がせたのだ。当然デルボアの頭上に描かれているのは、大天使長の絵であった。


 けれど今、デルボアの顔には生気がない。自らの権勢を輝かせる為に作った部屋で、どういう訳か彼は他の議員達の顔色を窺っていた。


 バルジャンは円卓の手前に立ち、チラリと周囲に目を向ける。窓から入る晩夏の陽光が、緑色を基調とした室内の調度を新緑のように輝かせていた。

 

 ――なんだよ、こりゃあ。身分制度を撤廃した輩が貴族趣味丸出しとは、どうしようもないな。特にデルボアの野郎。


 ともあれバルジャンは踵を鳴らし、十人に敬礼を向けた。謎の招聘であっても、目の前にいるのは現在この国における最高指導者達だ。長い物には全力で巻かれる主義の彼が、媚び諂うのは当然であった。


「マコーレ=ド=バルジャン、ただいま到着いたしました」


 バルジャンの正面には、デルボアが座っている。そこから序列に従い、右、左、右、左と並んでいた。円卓とはいえ、上座は存在するのだ。


 到着したバルジャンに声を掛けたのは、デルボアの左隣に座っていたマクシミリアン=アギュロンという男であった。彼は公正党ジャスティスの党首であり、現政権における第三席である。

 

「よく来てくれました、バルジャン将軍。早速ですが現在、我が国を取り巻く状況はご存じですか?」

「むろん、存じております」

「あなたは現状を、どのように見ていますか?」

「はっ、質問を対キーエフとの戦況という意味に限定させて頂ければ、極めて不利であると申し上げるより他、ありません」

「もう少し、意味を広げて頂きたいのだが……」


 アギュロンの問いは、少し意地が悪い。軍人は公式の場において、現在の政治状況を口にする権限が無いのだ。バルジャンの額に汗が浮かぶ。

  

 ――なんだよ、こりゃあ。言っちゃいけないことを言わせて、俺を吊るし上げようってのかぁ?


「どういう意味でしょうか――アギュロン閣下」


 冷や汗を浮かべるバルジャンを見て、アギュロンがクスリと笑う。


「すまない、将軍。査問会――などと称して君を呼んだ理由は、君の真意を知りたかったからだ。要は非公式なのだよ、これは。

 つまり、この場で君が何を言っても罪には問われないし、陰湿な人事で閑職へ回すことも無い。それどころか私は――いや、ともかく安心して、自分の考えを語って欲しい」


 バルジャンが固唾を飲む。覚悟を決めるのに、二秒ほどの間があった。


「では――私見を申し上げる形になり恐縮ですが、ここでキーエフ帝国に負け続ければ、プロイシェ、ウェルズ、リスガルドの三国にも付け入る隙を与える可能性があります。また、革命政府に対する民衆の信頼が著しく失墜することにもなりかねず、その場合は――……」

「その場合は、なんだね……続きを言ってごらん、バルジャン将軍。アギュロン殿の言ったことは真実だ、遠慮することは無いのだよ」


 白手袋を嵌めた気障な男が、紅茶を飲みながら金色の瞳をバルジャンへと向けた。席次は低いが、何やら得体のしれない不気味さがある。ポール=ラザールであった。


「民衆に背かれれば、革命政府は維持できません。その場合は――王政復古もあり得るかと」


 デルボア以外の九人が大きく頷き、全員がバルジャンを見た。


「マコーレ=ド=バルジャン。君は王家の為に戦う軍人か、それともランスの為に戦う軍人か?」


 アギュロンがバルジャンに問うた。漆黒の瞳に秘めているのは、鮮烈なまでに煌めく正義の意志だ。


 ――やべぇぞ、これ。答えを間違えたら殺されるやつだ! アギュロンのヤツ、何を言っても良いとか言ってたけど、マジやべぇ! 


 バルジャンは背筋に冷や汗を掻きながらも、答えに窮した。正直、どっちの為でもねぇよ! と思っていたからだ。しいて言うなら自分の為に、彼は戦っていた。


 二十代で准将になり将軍と呼ばれ、そこそこモテ始めて、金だってある。もう満足だ、戦いたくない。軍人も辞めたかった。世界的にきな臭くなってきたから、そろそろ退役して悠々自適に暮らしたいのだ。


「……なぜ、答えない?」


 アギュロンの声に、冷気が宿る。


「私はこれまで、ランスの為に戦ってきました。しかし、私が真に愛するのは平和であります。ですから……」

「なにかね?」

「軍を退役し――……」


 バルジャンは上目遣いでアギュロンを見た。超怖い顔をしている。痘痕の残る顔が、まるで鬼のように見えた。やっぱり本音は言えそうに無い。


「退役したら―……農業でもやりたいなぁと思うのですが、あは、あははは。今はともかく、ランスの為に戦いましょう! ええもう、全力で!」

「ふぅ……それでこそ、ランスの英雄だ。王家などランスにとって、もはや添え物に過ぎません」


 バルジャンの答えに、アギュロンも大きく息を吐く。彼も緊張していたのだ。


「では、バルジャン少将。あなたに任務があります」

「は!? 少将!? 自分は准将でありますが!?」


 アギュロンのセリフに、バルジャンが素っ頓狂な声を上げた。


「ですから、この任務に伴い昇進するのですよ、バルジャン少将」

「は、はぁ……その、任務というのは……?」


 もはやバルジャンには、嫌な予感しかしない。出世は恩給が増えるから嬉しいが、だからといって今この時期というのが、超絶に怪しすぎた。というか、今の答えでどうやら共和派にされてしまったらしい。


「あなたには少将の職位と共に、一個師団の指揮権を与えます。これで年内に、トゥール州の奪還を果たして頂きたい」

「え、あ、は? 一個師団でトゥールの奪還――でありますか!? ちょ、待ってください。それって不敗の誉れも高いシチリエ大将が、五万の大軍で挑み敗れたというヴァレンシュタインに勝てっていうことですか!? 一個師団って言うと、一万ちょっとの兵で!?」


 いきなりのことに面食らい、軍人の体裁も吹っ飛んだバルジャンである。


「大丈夫、今回は軍事の天才――ヴィルヘルミネ様も同行して下さいます。名目は特使ですが、実質は軍事顧問と考えて頂いて差し支えないかと。他の人員も、あなたが自由に選んで結構です。ですからどうか――……」

「――やりましょう!」


 ドンと胸を叩くバルジャンは、「なぁんだ、ヴィルヘルミネ様が居るなら大丈夫」と考えた。他の人員も選べるなら、オーギュスト=ランベールとアデライード=フランソワ=ド=レグザンスカ、あとは保険でダン坊を連れていけば完璧である。


 ――勝って帰って退役だ。もうこんな怖いこと、冗談じゃあ無い。嫁を探して田舎に家を買って、人を雇って農業するぞ! なぁに、勝てば俺も中将だ。その恩給なら、なかなかのモンだろうよ!


 バルジャンが決意も新たに、双眸を輝かせた。委員達は彼を頼もしそうに見つめているが、もちろん、その内心を知る由も無い。「流石は護国の英雄」などと称えている。

 

「では明日デルボア議長より、正式な辞令が発行されます。よろしいですね、議長」

「う、うむ」


 アギュロンに睨まれ、額の汗をハンカチで拭いながらデルボアが頷いた。


 バルジャンは「あの狸おやじ、腹でも壊しているのか?」と不思議に思ったが、実はこの時、既に彼は失脚していたのだ。

 シチリエ軍の壊滅と勝手きわまるキーエフへの宣戦布告が、デルボアの政治生命を急速に縮めた結果なのであった。

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