激動
第90話 ヴィルヘルミネと愉快な家臣達
金色に輝く世界の中で、赤毛の令嬢が一人佇んでいる。彼女はフェルディナント軍近衛連隊大佐の華美な軍服に身を包み、花吹雪の中にいた。
令嬢の名は、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナント。軍事的天才であり絶世の美女とも名高い、フェルディナント公国の摂政である。親しい者は彼女のことをミーネと呼ぶが、その笑顔を見た者は極端に少ない。
ヴィルヘルミネの紅玉の瞳は覇者の風格を湛え、燃えるような赤毛と怜悧な美貌も相まって、他者は誰しも彼女の内面へ踏み込むことを躊躇する。
また彼女は一人でいることを好み、時折何かを黙然と見つめていることが多々あった。だから令嬢の心は深淵に等しく、本心を知る者はいないのだ。
ヴィルヘルミネは今も大きな木の陰に一人隠れて、二人の美男子を見つめている。一人はピンクブロンドの髪色をした青年で、今一人は銀髪赤眼のイケメンだ。二人は互いの背中に両腕を回し、「ジュテーム」と言い合っている。
――ふぉぉぉおおお! な、なんじゃエルウィン。ランスに染まりおって。オーギュに
赤毛の令嬢は二人の様子に、「ハァハァ」が止まらない。タラリと零れる鼻血を袖で拭い、目をギンギンにして全力で木陰から見守っている。カップル見守り隊の隊長に、たった今就任したのだ。
だがしかし、あまりにもご都合主義な光景であった為、流石のポンコツ令嬢も事態に気付いてしまった。
――あっ、これ夢じゃな。と
そう思うと木の陰に隠れる意味を失い、令嬢は飛び出していく。どうせ夢ならと、最良のカメラアングルを探しての出撃であった。
ヴィルヘルミネは二人の真横に立ち、腰に両手を当てている。もはやここまでくればカメラアングルと言わず、脚本と演出も手掛けたくなったらしい。
「二人とも、キスをせよ。受けはどちらでも構わぬ、己が迸る愛を、好きなよう表現してみせるのじゃ」
にんまりと笑う令嬢は、超強気だ。夢の中であれば、何一つ恐れるものなどない。普段なら噛んでしまうようなセリフだって、実にスラスラと言う事が出来た。
エルウィンは「御意のままに」と答え、頬を赤らめている。これだけで、パンを六個は食えそうだ。
オーギュストは肩を竦め、「やれやれ――ミーネが望むのなら」と微苦笑を浮かべている。まったく、ココナッツバターのような男じゃな――と令嬢は意味不明なことを考えていた。
だが次の瞬間、場面が一気に切り替わる。後ろからエルウィンに抱きしめられて、前からはオーギュストに迫られていた。
「ひぃぃゃぁぁぁあああああああああああああ!」
令嬢が駆け布を蹴って飛び起きると、窓の外は薄暗かった。といって早朝でなく、薄暮である。
帝歴一七八九年八月。ランス軍幼年学校は夏休みに入り、暇を持て余したヴィルヘルミネは寄宿舎で惰眠を貪る日々を送っている。その結果が、こうした倒錯の夢を見る体たらくなのであった。
■■■■
ヴィルヘルミネが怠惰に過ごす一方で、フェルディナントの部下達は様々なことに頭を悩ませている。六月革命の詳細な報告が公使館から齎されると、すぐにもヘルムートが閣僚達を集め、「ランス新政府と王家に対する戦略」を決定する為の会議を開いたからだ。
七月に入り毎日が茹だるような暑さの中、フェルディナントの公宮内にある宰相府の一室に、閣僚達が集まっていた。彼等は大きな長机を囲み、それぞれが手元の資料に目を落としている。
誰もがヴィルヘルミネの功績に感嘆の声を上げ、同時に「大陸制覇」を望む令嬢の壮大な気宇に息を飲んでいた。
閣議が始まったのは、午前八時からだ。夏とはいえ、この時間であれば気温もまだ低い。部屋を閉め切っていても、侍従達が
会議の参加者は宰相ヘルムート=シュレーダー、内務大臣ラインハルト=ハドラー、軍務大臣ニコラウス=フォン=デッケン、交通大臣ヨアヒム=フォン=ロッソウ、参謀総長トリスタン=ケッセルリンク准将といった面々であった。
「ランスの議会は立憲君主派が過半数を占め、ヴィルヘルミネ様は国王シャルルの信頼も厚い。となれば方針がランス王国の属国化だとして、あながち不可能な話ではありません。そこで皆様の忌憚なきご意見を伺いたいのですが……」
宰相のヘルムートが書類を置き、紅茶を一口飲んでから言う。艶のある黒髪を指先で払うと、彼は
フェルディナントの宰相たるヘルムートは、現在二十六歳。未だ若輩と言われる年齢ながら、既に政治家としては老成を思わせる沈着さを備えている。一方で外交官としても辣腕を発揮し、各国にその名を轟かせていた。
「ふむ――流石はお嬢と言うべきだが、見事に立憲君主化への道筋を付けたとなると、リヒベルグの手腕も中々に侮れんな。とはいえ事が事だけに露見した場合、我が国の立場が逆に危うくなるのではないか?」
灰色髪のハドラーが、ハンカチを取り出し額の汗を拭っている。彼は昨夜容態の急変したヴィルヘルミネの父フリードリヒを朝まで診察していたから、睡眠をとっていない。
朝方には幸いフリードリヒが峠を越えたから閣議には出席したものの、未だ白衣のままであった。
「リヒベルグのこと、その辺の抜かりはあるまい。段階的にも属国化していくと言うのなら、ワシとしては、ランスの正確な地図が欲しい。軍が速やかに進める道を知っておれば、いざという時に安心だからな」
「ロッソウ閣下のご意見は尤もですが、しかしランスに地図を所望するとなれば、軍事同盟を結ぶ必要がありましょう」
表情を微動だにせず、二色の瞳を老将に向けてトリスタンが言う。三十歳になっても彼の美貌はいささかも衰えず、蒼と金色のオッドアイには、ますます知性の輝きが灯っていた。
「うむ――ケッセルリンク准将。ワシは、ランスと同盟を結ぶのも一興かと思うておる。そうすれば当然、かの国は地図を寄越さねばならぬしな。拒めば拒んだで、難癖を付ける理由にもなろう」
老ロッソウが不敵な視線をヘルムートに向けている。
軍務大臣のデッケン中将が、頭を振って老将の意見を否定した。
「ロッソウ殿、それは困る。今ランスと軍事同盟などを結べば、列強各国を敵に回すこととなりましょう。それで勝つ算段など、到底ありませんぞ!」
「良いではないか、どうせ制覇せねばならぬ大陸であろう。相手から宣戦布告をしてくるならば、受けて立つまでのこと」
「彼我の戦力差をお考え下さい。今の我が国の力では、プロイシェ一国でさえ手に余るのですぞ!」
「なに、デッケン殿。力の差を、卿が気に病むことは無かろう。それを知恵にて補う為に、参謀総長たるトリスタン=ケッセルリンクがいるのだからな。ははは……」
余裕の表情で紅茶を飲み、老ロッソウは不敵な視線をトリスタンへと送る。
「やれと言われれば、どのような敵とも戦いましょう。ですが今この時期に周辺全てを敵に回して勝利を収めることは、ヴィルヘルミネ様の存在を考慮してもなお、苦しいと言わざるを得ません。戦略上の不利を抱え、あえて戦術上の勝利を積み重ねて覆すなど、不毛なことかと存じます」
トリスタンは苦笑した。三十歳になったばかりの自分が、老齢の域に達した将軍を窘める様が可笑しかったからだ。
単に面白味という点で言えば、全世界を敵に回して戦うのも良いだろう。ただしその愉悦が破滅とセットであることを考慮すれば、自重せざるを得ないことなのであった。
「政略的にも、そんな
ハドラーの明け透けな物言いに、他の閣僚達も笑っている。「「違いない」」
「分かっておる。ワシだって、その程度の分別くらいあるわ。ただな――皆と違ってワシは老い先短い身。このあと、どれだけミーネ様のお役に立てるのかと考えれば、焦りもするのだ」
弱気な言動を口にするロッソウに、皆の視線が集まった。言われてみれば、彼が戦場に出られるのは、あと数年といったところだろう。慰めの言葉など口にすべきでは無いし、だからといって今、送り出すには早すぎる。
少しの沈黙のあと、ヘルムートが静かに言った。
「ランスの地図は欲しいが、さりとて列強と事を構えたくはない――というのが諸卿の意見ということで、よろしいですかな?」
問いに全員が頷くのを見て、黒髪の宰相は会議の終了を告げた。
「よろしい。後のことは万事、私にお任せ頂こう。むろんヴィルヘルミネ様の大陸制覇という夢を実現する為に、最善の手を打たせて頂く。なるべくロッソウ殿の希望にも沿うよう、考えましょう」
こうした閣議を経て、フェルディナント公国はランス王家に対し、「軍事同盟」を申し出た。むろん国王シャルルは二つ返事で、これを承諾している。
一方でランス政府に対しては「食料品における関税の撤廃」と「北部湾港の一部租借」を要求し、見返りとしてフェルディナントは反革命派貴族の受け入れを拒否することで合意を得た。
つまりフェルディナント公国は六月革命によって生まれた新政府を認めつつ、ランスの王権を守護する立場をとったのだ。
これこそ後世においてヘルムートの二重外交と呼ばれるものであり、フェルディナントを列強各国の敵に回さず、巧みにランスの詳細な地図と通行権を得る手段なのであった。
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