第89話 革命 エピローグ ~六月革命~


 人間がどれ程の惨劇を演じようと、天が哀惜の念から涙を流すことなど無い。昨日の一日で一万人にも達する死者を出したというのに、ランスの王都グランヴィルは今、雲一つない青空が広がっていた。


 家族や友人を失った人々は、どこまでも広がる蒼天を見上げながら滂沱の涙を流している。しかし一方で「三身分の撤廃」に沸き返る人々は互いに肩を寄せ合い、歌い、祝杯を挙げていた。

 国王シャルルが夜明けと共にフロレアル宮殿にて「三身分の撤廃」を宣言すると、そのニュースが瞬く間に王都を駆け巡ったからだ。


「革命の勝利だ!」

民衆おれたちの勝ちだ!」

「俺達の国に乾杯!」

「輝かしい未来に乾杯!」


 勝利を祝い祝杯を挙げる人々は、広場の脇にうず高く積まれた死体の山から目を背けている。そんな彼等を見ながらバルジャンは馬を進め、部下から死者数の概算を聞かされ溜息を吐いていた。


「一万人を超えるのは、確実かと」

「おいおい……大砲なんかで吹っ飛ばされたヤツをさ、二人とか三人って数えていないか?」

「その可能性もありますが、ですがマルス広場で死傷した者はグスターヴ師団の人員だけですので、大した数にはならんでしょう」

「じゃあ何か? 軍人以外が、そんなに死んだってことか……?」

「グスターヴが処刑した貴族の子弟、縁者だけでも二千人に及びますからね」

「あの野郎……どうして、そんなに!?」

「どうやら民兵の訓練と称して、銃剣で突き殺していたようですな。そのように兵達が証言しております」

「ムナクソの悪い話だ……ちくしょう。で、あとの八千人は?」

「夜間に群衆同士が激突したことが、大きな原因でしょう」

「グスターヴ一人を討ち取る為に、ヴィルヘルミネ様が民衆を犠牲にしたってことか?」


 言いながらバルジャンは、夜露に濡れて癖の付いた栗色の髪をクシャクシャと掻き回す。考えたくは無いが、ヴィルヘルミネがわざと民衆を殺したように思えなくも無かった。

 けれど仮にそうだとして、事態は解決されたのだ。赤毛の令嬢を責めるには及ばない。


 ――ましてや俺なんぞ、逃げ出そうとしたんだもんな……。


 こう考えて、心の内に出来たおりから目を背けるバルジャンだ。そんな彼に、隣で馬を進めるダントリクがヴィルヘルミネを庇うように言った。


「でも中佐、正面からぶつかる訳にもいがねかった訳だし、お陰で兵員の損害は軽微だべ」

「ダン坊――そうだとしても、だ。ヴィルヘルミネ様なら、もっと別のやりようもあったんじゃないかと思えてな」


 ダントリクが庇ったことで、バルジャンの滓は広がった。それは赤毛の令嬢に対する僅かな不審となって、彼の心を覆っていく。


「じゃあ、どういう意味だべ?」

「そうだな……ヴィルヘルミネ様は、なぜ作戦開始時刻を二十時に設定した? なぜ、民衆同士をぶつけたんだ? 俺には、あの方が何かを狙っていたような気がするんだよ」


 バルジャンは手をヒラヒラと振り、部下を下がらせた。勝利の立役者たる赤毛の令嬢を批判するような言動だから、ダントリク以外に聞かせたくなかったのだ。

 黒髪眼鏡の少年は、唇の片端を僅かに持ち上げて答えた。


「……そりゃあ、ヴィルヘルミネ様は国王派の貴族達が一定数殺されるのを、待っていたに決まってるべ。のちのち邪魔になりそうな者を排除したんさ。んで群衆を噛み合わせて見せたのも、国の中に対立のしこりを残す為なんだべ」

「何の為に……?」

「当然、ランスにおけるフェルディナントの利権を、確固たるものにする為だろうな」

「まさかヴィルヘルミネ様は、ランス王になりたいとか……?」


 言いながら、バルジャンは「それでも良いか」と思っていた。けれど釈然としないのは、ヴィルヘルミネが民衆にこれ程までの犠牲を強いたこと。彼女であれば別のやり方も、あっただろうと思うのだ。


 もちろん、これはバルジャンの買い被りだし、ヴィルヘルミネは逃げる為に群衆を使おうと思っただけのこと。非道と言われれば確かに非道だが、令嬢は彼等を死なせるつもりなど毛頭無かった。


 ただアホの子なので想像力の欠如から作戦を実行してしまい、結果として大勢の人が死んだのだ。なので後に「一万人も死にました」と言われ、「ヒェェェ」と言いながら呪われないよう神に祈ったほどである。祈りの勢いが余って僧侶になろうとしたら、エルウィンに思いっきり止められた。これもアホだからだ。


 だがしかし、ここに居る二人はヴィルヘルミネを神の如き存在だと信じて疑わないから、話はどんどんと拗れていく。


「んだな。あるいは女王になるって選択肢も、視野に入れてるかもしれねぇだ」

「やっぱりか……」

「ただ……こうも考えられるだ。ヴィルヘルミネ様がいたからこそ、たった一万人の死者で革命が成った、とも」

「まさか……そんなことは無いだろ?」

「いんや――だって考えてみてくんろ。グスターヴ中将が王都に居座ったままなら、きっと内戦が始まったと思うだ。そうなったら死者は十倍、あるいは二十倍になってもおかしくねぇべ」

「……なら結局ヴィルヘルミネ様は被害を最小限に抑える為、あえて一万人を犠牲にしたってことか」

「んだなや。だからあの方は、軍事の天才なんだべさ。でも……」


 ここで一端言葉を切って、ダントリクが頬を指で掻きながら照れ臭そうに笑った。


「――そういうやり方を良しとしない英雄の方が、オラは好きだな」

「ああ、確かにな。ランスが自由と平等の国になるってんなら、そんな英雄が居てくれた方がいい」

「もう、いるでねぇか。ここに――……」

「あ?」

「オラな、これでも中佐のこと、とても尊敬しているんさ。気付かなかったべか?」

「は、ははは……」


 照れ臭そうに後頭部に手を当て、バルジャンは内心に思う。「いやいや、お前の方が明らかに英雄の資質、あるからねッ!」と。

 同時にヴィルヘルミネが、いつかランスに牙を剥く日があるのかも知れないと考えて、ブルリと身震いをするバルジャンなのであった。


 ■■■■


 午前十時、民衆のボルテージは最高潮に達していた。国王の「三身分撤廃宣言」を受けたデルボアが議事堂に戻り、三部会を改め「国民会議の発足」を宣言したからだ。

 これはランスの政治を主導するのが、これからは民衆の代表になるという宣言に他ならない。少なくともデルボアはそのように説明をしたし、民衆もそう受け取っている。


 とはいえ軍事的に勝利を収めたのは、あくまでも国王側であった。だからデルボアは王権に対して制限を設けることに関し、大きく譲歩をしている。

 しかし一方でグスターヴの残した傷跡は大きく、今まで通り国王の権利が今後も行使され得るかと言えば、甚だ怪しい状況になってしまった。


 何故なら、グスターヴが国王派の貴族を大量に虐殺したからである。

 いくら三部会が国民会議に名を改めたと言っても、議会に国王派が多数を占めていれば王権は盤石だ。しかし王都に残留していた殆どの国王派貴族が殺された今となっては、国民会議に議席を占める議員の殆どが元第三身分となってしまった。


「これでは余が何を望もうとも、何一つ叶わぬであろうよ……」


 そう言ってシャルルが玉座の肘掛けを、血が滲むほど握り締めたのも当然のことである。

 しかし一方で議会は力無き王だからこそ、存在を許容したとも言えるのだ。皮肉なことに権力を持っていた貴族達が排されたからこそ、国王の存在が容認されたのだ。


 またランスの既得権益者であった貴族達は、いよいよ国を見捨てて親族のいる他国への亡命を加速させていく。その上で民衆派から利権を取り戻そうと、亡命先の貴族や国王に協力を要請するのだから、ランスの状況は革命後も逼迫するばかりなのであった。


 とはいえ議会が完全に国王を無視したかといえば、そうではない。

 ヴィルヘルミネが国王に付いていることは明白であり、ランス軍の中にも彼女の信奉者が多いからだ。ましてフェルディナント軍の統帥権も持つ令嬢であるから、彼女が国王派である以上、議会も国王を無下に扱う訳にはいかなかった。


 つまりヴィルヘルミネは、ランス国王の最後の砦となったのだ。


 なおエルウィンは、こうした状況を速やかに本国へ報告している。宰相ヘルムートに今後の方針を問う為であった。

 その際ヴィルヘルミネの意図を「ランス王国の属国化」だと報告し、何をどう間違えたのか「究極的にヴィルヘルミネ様が目指しておられるのは、大陸の制覇」であると伝えたのだ。


 余りにも酷いエルウィンの大間違いが、バルジャンの不安を具現化していくこととなる。

 こうしてヴィルヘルミネが全く望まないのに、フェルディナントは富国強兵へといよいよ舵を切り、大国への道を歩むのであった。

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