第88話 戦神の姫巫女


 アデライードがヴィルヘルミネのいる大聖堂へ報告に訪れたのは、二十三時十分のことであった。彼女は気絶したゾフィーを背負い、現れたのだ。

 

 ゾフィーはグスターヴを倒した証として彼の首を斬り落とし、それを抱えて帰途についたのだが、重傷を負った身だ。暫く歩くと気を失い、倒れてしまった。そんな彼女を何も言わず、アデライードは背負って来たのである。


 赤毛の令嬢は顔面蒼白でぐったりとしたゾフィーを見て、とても驚いた。

 アデライードの指示で部屋の隅に毛布が敷かれ、その上に金髪の親友が寝かされると、ヴィルヘルミネはゾフィーが死んでしまったのだと思い、恐怖に顔を引き攣らせている。


 令嬢は全身をフルフルと震わせつつ、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しなく動いていた。ゾフィーの生死を確認することが怖いのだ。

 そんな恐怖心からか手にした元帥杖をブンブンと振っているので、これを激怒していると勘違いしたアデラ―ドが平身低頭するのも当然のことであった。


「大切な妹君を傷付けてしまい、まことに申し訳ありません――ミーネ様」

「……む……傷じゃと?」

「はい。おそらくは肋骨と胸骨に、傷を負っているものと考えられます」

「で、あるか!」


 深く頭を下げるアデライードからすぐさま視線を切って、ヴィルヘルミネは横たえられたゾフィーの枕元にしゃがみ込む。右手を伸ばして親友の頬に触れ、手を握り、温もりがあることを確認すると、赤毛の令嬢は紅玉の瞳を涙で潤ませた。


「なぜ無茶ばかりするのじゃ……まったく」

「すみません……ミーネ様。私が付いていながら……」


 アデライードが振り返り、ヴィルヘルミネに言う。

 オーギュストはアデライードの肩に手を乗せ、頭を振っていた。


「アデリーのせいじゃ、ないんだろ。そんなことは、ミーネもちゃんと分かっているさ」

「しかし……」

「ともあれ、俺は君が無事で良かったよ」

「……オーギュ」


 肩に置かれたオーギュストの手を握り、アデライードが微笑んだ。二人の間に流れる空気は明らかにアレな雰囲気であったが、今のヴィルヘルミネはゾフィーしか見ていない。なので全く何も気付かず、金髪の親友に声を掛けていた。


「ゾフィー、ゾフィー……しっかりせよ」

「……うっ……」

「大丈夫か、ゾフィー!」


 ゾフィーの瞼がピクピクと揺れ、黄金色の睫毛が震えていた。最愛の主君に声を掛けられて、どうやら金髪の親友は意識を取り戻したらしい。


「……ヴィル……ヘルミネ様……わたし……敵将グスターヴ、討ち取りましたよ」


 薄っすらと目を開けたゾフィーが、左手を持ち上げた。丸い影がヌッと上がり、それを見たヴィルヘルミネは眉を顰めている。暗がりでよく見えないから、それを令嬢はマジマジと見てしまう。


 それは厳つい髭を蓄え、目をカッと見開いた男の首であった。大きく開いた口は何かで貫かれたのか、前歯が無く喉の奥に黒々とした穴が開いている。

 思わずギョッとしたヴィルヘルミネは、「ふぁっ!?」と声を発していた。深夜に厳めしい男の生首など、心臓に悪い。


 ただでさえ今日はしょっちゅうトゥンクトゥンクしているのに、またも心臓の鼓動が跳ね上がってしまった。でもまあ、そういうことかとヴィルヘルミネは納得し、「今日は本当に怖いから、ドキドキが止まらんのじゃ」などと思っている。全部がごちゃ混ぜの令嬢だ。


 とりあえず生首なんか怖いので、ヴィルヘルミネはすぐに「捨てる」よう命じようとした。だがアデライードがヴィルヘルミネの横にしゃがんで、胸を張り生首の解説を始めてしまう。


「これがその、グスターヴの首です。ゾフィーが一騎打ちで討ち取ったんですよ、見事なものでしょう」

「いや……アデライード殿の助力が無ければ、わたし一人では到底……」

「何言ってるの、ゾフィー。あなたは立派に戦ったわ」

「だけど……」

「これは、あなたの手柄よ。もっと誇りなさいな」


 身体を起こして反論を試みるゾフィーのおでこを、アデライードが軽く指で弾く。すると照れたように親友が頬を赤く染めるから、二人の仲はかなり改善されたのだろう。それどころか、仲の良い姉妹のようにさえ見える。

 ヴィルヘルミネは「ごちそうさまです」と胸を熱くして、生首のことはすっかり忘れてしまった。


 こうしてホッコリしていたところで赤毛の令嬢は、自分の脇に置かれた生首を見てしまう。

 内心では「ヒィィィィィ!」と絶叫を上げたヴィルヘルミネだが、相変わらず表情は変わらない。ただ、慌てて立ち上がろうとしたところで、思わずジタバタと動いてしまった。

 その結果、グスターヴの生首をドンと蹴り上げ、ゴロゴロゴロと転がしてしまう。


「自分に敵対した相手は、たとえ死んでも許さないってな。やれやれ、ミーネは本当に恐ろしい女性だよ」


 足元に転がってきたグスターヴの生首を拾い上げ、オーギュストが苦笑していた。彼から見れば、手を焼かせたグスターヴの首を、怒りに任せて令嬢が蹴り上げたように見えたからだ。


「そんなことは無いのじゃ、オーギュよ」


 ヴィルヘルミネはこれを否定しようと必死で口角を持ち上げ、微笑みを浮かべている。これがまた横にした三日月のように見えるから、周囲の兵達を含めてオーギュストまでが震え上がるのだった。


 ■■■■


 大聖堂を出たヴィルヘルミネはグスターヴの首を掲げ、敵軍に降伏を呼び掛けている。

 威風堂々としたヴィルヘルミネの姿はグスターヴ師団の残存兵に重圧を与え、グスターヴの身体を失った頭部は恐怖心を植え付けた。結果として彼等は早々に降伏し、事態は収束へ向かったのである。

 

 後世、この日のヴィルヘルミネを描いた絵画は無数に制作された。しかし大別すると、その全てが二つのパターンに分かれていることに気付くだろう。


 一つ目は戦神の如く剣を取り、白馬に跨って民衆の先頭に立つ英雄然とした美しい姿だ。これには天使と共に描かれた絵もあるし、戦乙女ヴァルキリーの中央に描かれたヴィルヘルミネの姿もあった。


 そしてもう一方は、闇の中で燃え盛る炎を背景にして、グスターヴの死体を右足で踏みつけ薄笑みを浮かべる死神のような姿だ。実際ヴィルヘルミネの背後に、死神を描いた画家もいた。


 ただ、どちらのパターンにも共通することがある。

 それはヴィルヘルミネが真紅の髪を風に靡かせ、口元に微笑を浮かべて、切れ長に見える紅玉の瞳で遥か遠くを見据えていることだ。


 もちろん最初の一枚を描いた者は、この日のいくさに参加をしていた。だから最初の一枚から画家たちはインスピレーションを得て、思い思いのヴィルヘルミネを描いたのだろう。ゆえにこそ、その表情に共通点を見出すことが出来るのだ。


 このように絵画においては神々しく見える令嬢だが、実際はただのポンコツであった。

 なにせ切れ長に描かれた目は眠さに耐えかねてショボショボとしていただけだし、薄笑みを浮かべていた口は、深夜の謎テンションのせいである。


 ともあれヴィルヘルミネは、こうして他国においても巨大な武勲を立てた。

 そして彼女は「常勝のヴィルヘルミネ」「戦神の姫巫女」と渾名され、列強各国も彼女の一挙手一投足を、無視できぬ状態になっていくのである。

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