第87話 六日目の戦い 7
黄金色の髪が逆立つ程の怒りを見せて、ゾフィーが再びグスターヴと向き合っている。彼女は悠然と足を進め、獣のような咆哮を上げて大地を蹴った。
「アァァァアアアアアアアアッ!」
左手を失った巨漢の男は跳躍したゾフィーが打ち下ろした刃を、薄笑みと共に右手の剣で受け止める。
ゾフィーは受け止められた衝撃を反動として利用し、身体を回転させると素早く着地。そのまま重心を低くして、敵へと接近した。足元を斬りつけてから、背後へ回り込んで逆袈裟に斬り上げる。だが、ここでグスターヴも驚異的な反射能力を示して体を開き、ゾフィーの刃は空を斬った。
再び距離を取る二人。だがグスターヴの息が、やや乱れているようだ。
「フゥゥゥゥ――……」
ゆっくりと息を吐き出し、金髪の少女が距離を詰める。
グスターヴは眉間に皺を寄せていたが、逃げる気配は無かった。
ゾフィーが再び大地を蹴る。瞬間、アデライードが叫んだ。
「待ちなさい、ゾフィー! グスターヴは誘っているのよッ!」
「ハッ、もう遅いッ! これが経験の差ってやつだッ!」
ゾフィーがサーベルを翳して飛び込んでいく。彼女はグスターヴが息を吸う瞬間を狙って、攻撃を仕掛けていた。本来ならば、反撃など出来ないタイミングである。
しかしグスターヴは、迎撃の刃を繰り出した。明らかにゾフィーの動きを読んでいた――ということだ。
当然ながら腕はグスターヴの方が長い。カウンターで繰り出された刃が、黄金色の髪の下にあるゾフィーの額を
だがゾフィーは、こうなることを読んでいた。グスターヴの荒い呼吸がフェイクであると知り、利用したのだ。カウンターの攻撃を躱し、必殺の一撃を叩きこむ為に。
むろんこれは、決して簡単なことでは無い。敵に自らの意図を悟らせない為には、全力で突進する必要があったからだ。その上で敵のカウンターを躱すのだから、並大抵のことではない。
「ハァァァァァァアアッ!」
ゾフィーが裂帛の気合と共に突進しながら身体を捻ると、わき腹と胸に激痛が走った。これを彼女は奥歯を食い縛り、必死で耐える。意識が遠のいた。
瞬間――ゾフィーの頬にグスターヴの刃が掠り、一筋の赤い亀裂が走る。それでも金髪の少女は怯まない。巨漢の口を目掛けてサーベルを突き出し、そのまま身体ごと押し倒す。
――ズゥゥゥゥン。
地響きを立て驚愕に目を見開いたまま、グスターヴが倒れた。この男は自らの時が止まる瞬間まで、敗北が信じられなかったのだろう。まさか自分が、このような少女に倒されるとは夢にも思わなかったに違いない。
ゾフィーはグスターヴの顔から刃を引き抜くと、腹を引き裂き臓物を地面へぶちまけた。芝生が不気味な赤黒さで彩られ、てらてらと異様な輝きを見せている。
「貴様のような獣がッ! ヴィルヘルミネ様をッ! どうするだとッ!? もう一度言ってみろ! え! 言えるものなら言ってみろォォォ!」
アデライードは荒れ狂うゾフィーの背後に回り、羽交い絞めにした。
「止めなさい、その男はもう死んでいるわ!」
「死んだ? 死んだだと!? ヴィルヘルミネ様を愚弄して、一度死んだくらいで許されると思っているのか!?」
ゾフィーがアデライードを振り払い、向き直った。
「あなたは軍人でしょう? 主を愚弄されて怒る気持ちは分かるけれど、任務を優先なさい!」
「任務……任務だと!?」
引きずり出した内臓を踏みつけ、ゾフィーはアデライードを睨んでいる。
――パンッ。
金髪巻き毛の女士官が、少女の頬を平手で叩く。
「ゾフィー=ドロテア。独断専行に不要な一騎打ち――こんなもの、軍人としては愚行だわ。あなたはミーネ様を失望させる為に、この作戦に参加したの?」
ぐっ……と声を詰まらせ、ゾフィーがアデライードを見上げている。
結果としてグスターヴを討ち取れたことは僥倖だが、何も一騎打ちを挑む必要は無かった。それどころか、最初にアデライードと離れてしまったことも情けない。
「……そんな……ことは……」
肩を落として項垂れるゾフィーの頭を、アデライードがクシャクシャと撫でた。
「でも、グスターヴを一騎打ちで討ち取るなんて、やるじゃない」
「そ、それは――レグザンスカ大尉が左腕を斬り飛ばしてくれたからで……わたしだけの力で勝ったわけではない。むしろあの時助けて貰えなかったら、きっと、わたしは死んでいた」
「ほんと、生きていて良かったわ」
「もしかして大尉は……わたしを探して、そんなに血塗れになった……の、ですか?」
「当然でしょう。あなたに死なれたら私、ミーネ様に何て言えばいいのか――ヒヤヒヤしたわ」
「そ、それは……す、すまない。ごめんなさい」
小さくなって、消え入りそうな声で言うゾフィー。
「……でも、経過はどうあれ作戦は成功。あなたの功績も大なのだから、胸を張っていいのよ」
アデライードにもう一度頭を撫でられると、ゾフィーは照れくさそうな笑みを浮かべ、「ありがとう」と呟くように言うのだった。
■■■■
二十一時五十分。各戦線における敵の動きが鈍くなったことに気付いたオーギュスト=ランベールは、隣で夜の街並みを眺める赤毛の令嬢の横顔を見て言った。
「どうやらアデリー達が、成功したようだね」
大聖堂の鐘楼という高所にいるのだから、オーギュスト程の戦術家が状況の変化に気付かない筈が無いのだ。
「――で、あるか」
風で揺れる赤毛を左手で押さえながら、ヴィルヘルミネはオーギュストを見上げている。この時、令嬢の瞳は潤んでいた。心臓もトゥンク、トゥトゥンクと奇妙な鼓動を刻んでいる。
これが普通の乙女であれば銀髪赤眼のイケメンを直視できず、胸を押さえて下唇でも噛んでいたであろう。
だがヴィルヘルミネは違う、普通の乙女ではなかった。これを「疲れ目」と「疲労から来る動悸」と位置づけ、「余、働き過ぎじゃ。過労で死んでしまうぞ」と結論を出し「早く帰りたいものじゃ」などと言っている。
もちろんオーギュストは彼女の言葉の意味を、「勝敗が決した上は、早く帰りたい」と言っているのだと勘違い。なので当然、「流石だ、ミーネ」としか思わないのだった。
「とはいえ――群衆同士の衝突が予想以上だ。こりゃあ、まだまだ帰れないよ」
「はぁ――で、あるな」
心底嫌そうに溜息を吐いたヴィルヘルミネの眼下には、怒号を発してぶつかり合う市民達、それから炎上する家屋等が広がっている。こうした阿鼻叫喚の光景を見て令嬢は、細く美しい眉を寄せ呟いた。
「パンを――……」
「ああ、そうだ、ミーネ。彼等が欲しいのは、毎日のパンだ。決して政治的変革なんかじゃあ無い。だと言うのに……こんな……」
オーギュストは柱に拳を打ち付け、悔しそうに肩を震わせいる。
だがヴィルヘルミネは、ちょっとお腹が減っただけであった。「パンをくれ」と言いたかったのだが……。
「余は、パンを……」
「そうだ、ミーネ! パンなんだよッ!」
何故かオーギュが一人で怒っている。ヴィルヘルミネの頭上に、巨大なクエスチョンマークが降ってきた。
――余、何か悪いこと言ったんじゃろか?
「卿は何を……?」
「ミーネ……これで明日には三つの身分が撤廃される」
「で、あるな」
「たったそれだけの為に、これ程の血が流される必要など、あったのか!?」
「んむ……?」
「こんな革命は、まやかしだ」
「で、あるか」
「俺は今、この国を豊かにしたいと、心の底から望んでいる」
「良いのではないか。余は空腹を――……」
「そうだ、そうなんだよ、ミーネ! 民衆は腹を空かしているッ!」
「だから、余も――……」
「そうだ! ミーネもそう思うだろう! まずは、これを解決すべきなんだ! その為には、こんな革命じゃあ足りないッ!」
「……卿は一体、何を望んでおるのじゃ?」
ヴィルヘルミネは首を傾げ、目を細めて問うた。紅玉の瞳が怪しく煌めいている。ちょっと眠たいからだった。
「この国を、本当の意味で豊かにする。何年掛かるか分からない――けれどそれが、それこそが俺の使命だと今、気付いたんだ」
静かな声で、オーギュストは言った。だが言葉の中に不吉な響きがあって、それが赤毛の令嬢を不安にする。とはいえ、ヴィルヘルミネはアホの子だ。不吉の正体には気付けないから、じっとオーギュストを睨み、考え込んでいた。
しかしいくら考えても分からないヴィルヘルミネは、「フン」と鼻を鳴らして去って行く。
というか彼女はこっそり、パンを食べるつもりだった。最初はオーギュストもお腹が減っているのかと思ったが、「なんかこれ、違うやつだ」と気付いたのである。
とても硬いパンと干し肉でも、無いよりはマシだった。令嬢は、お腹が減ったら眠れないタチなのだ。だから、今のうちに食事を済ませておきたかった。
そんな彼女の後ろ姿を見て、オーギュストは銀髪をかき上げている。
「聞かなかったことにしてくれた、ということか。ま、聞きようによっちゃあ大逆だもんな。流石はミーネ、俺なんかより、一枚も二枚も上手だよ」
もちろん、そんなことはない。全部オーギュストの勘違いなのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます