第86話 六日目の戦い 6


 宮殿の大きな玄関扉が開かれて、二百名の部隊が一斉に飛び出した。数万にも及ぶ敵軍の中枢へ攻め込もうというのだから、誰もが硬い面持ちだ。けれど緊張を吹き飛ばすために裂帛の気合を発し、皆が一丸となって敵へと向かっていく。ゾフィーもその中にあって、アデライードと並び走っていた。


 ――少しくらい理解されたところで、何が変わるという訳でもない。訳でもないが……。


 ゾフィーはそんなことを考えながら、引き金を引いた。それと同時に心の中に生じた柔らかな感情を切り捨て、表情を引き締める。


 ――ええい、今は考えるなッ!


 弾丸が目の前の敵兵に当たり、男がガクリと膝を折る。地面に突っ伏した男の額から赤黒い血と脳漿が溢れ、宮殿の前庭を濡らしていく。絶命していた。


 ゾフィーが一人目を倒すと同時に、アデライードも敵を二人ほど屠っている。彼女は馬上戦闘の名手であったが、銃剣戦闘も十分に達人の域に達しているようだ。


 それを横目で見たゾフィーは、負けられないと一人突出してしまう。激しいライバル心を燃やして戦場を疾駆する彼女は、いつの間にかアデライードとはぐれてしまっていた。


 しかし、そのことが敵に災いを齎したとも言えるだろう。ゾフィーの銃剣技における師は、老ロッソウだ。ハルバードを得意とする彼の銃剣技は、芸術の域に達している。これを継承しつつある金髪の少女は、敵から見れば死神の弟子に他ならないのだった。


「ちっ……雑魚を倒している場合ではないのにッ!」


 それでも、ゾフィーは舌打ちをしている。いくら敵兵を倒したところで、本来の目的であるグスターヴに出会わなければ意味が無い。銃剣を素早く敵の脇腹に突き刺しながら、ゾフィーは苛立たし気に叫んでいた。


「グスターヴ、どこだ! 出てこいッ!」


 呼んで出てくるくらいなら、苦労は無い――そう思うゾフィーだったが、叫ばずにはいられなかったのだ。


「グフ、グフフフ……可愛らしい声で呼ばれては、出て行かない訳にはいかないなぁ……え、おい」


 叫んでから敵を三人ほど銃剣で突き殺すと、ゾフィーの前に大きな男が立ち塞がった。千切られた袖口から見えるのは、少女の足よりも太い隆々とした筋肉だ。男は血に濡れた軍刀サーベルを手にし、針金のような顎髭をしごいている。


「呼んでみるものだな……貴様がグスターヴか!?」

「いかにも、いかにも……貴官は誰かな?」

「わたしはゾフィー=ドロテア=フォン=フェルディナント! その命、もらい受けるぞッ!」

「ほぉ、お前が……、グフ、グフフ――殺しはせん。可愛がってやるから、さっさと掛かってくるがいい」


 銃剣を構えるゾフィーを見下ろし、グスターヴが笑っている。戦場にありながらこの男は、目の前に立つ金髪の少女に欲情しているのだった。


 ■■■■


「閣下! そのような小娘の相手など、している場合ではありませんぞッ!」


 ゾフィーと正対しているグスターヴの背後から、一人の士官が進み出た。首だけを巡らせ、不快そうに片眉を吊り上げ巨漢の中将が凄んでいる。


「ああん?」

「まずは味方の混乱を収めませんと、この機に乗じて敵が総攻撃を仕掛けてくるやも知れませぬ!」

「だからさっき、周辺の部隊をこっちに呼べと言ったろうが。五百もいりゃあ、ここの形勢は逆転する」

「しかし……」

「しかし、じゃねぇ。この奇襲が大部隊だとでも思っていやがるのか? こんなもん、今を凌げばどうとでもなるんだよ」

「であれば猶のこと、お下がり下さいッ! このような小娘の相手を、閣下自らがなさる必要はないでしょうッ!」

「分かってねぇな、馬鹿野郎――こんな小娘だから、俺がやるんじゃねぇか。グフ、グフフフ」

「何と言われましても、お下がりをッ!」


 言うなり士官が軍刀サーベルを抜き放ち、ゾフィーに迫ってくる。突進から突きの二連撃だ。初撃を囮にして、二撃目がゾフィーの喉元を襲う。中々の手練れであった。


「あっ! 俺の獲物を――殺すのは勿体ねぇんだよ……馬鹿がッ!」


 グスターヴが眉根を寄せている。部下の勝利を確信しているようだ。

 しかしゾフィーは落ち着いて敵の一撃目をバックステップで躱し、二撃目を弾き上げる。青白い火花が散り、それが収まる前に素早く銃剣を旋回させた。


「がっ……!」


 短い悲鳴が士官の口から発されて、首から噴水のように鮮血が飛び散った。ゾフィーは最小の動作で動脈を傷付け、敵を屠ったのだ。


「次は貴様だ、グスターヴッ!」

「へぇ……やるじゃねぇか、嬢ちゃん。可愛い蝶が舞い込んだと思ったら、蜂の類だったか……グフフフフ」


 地面に倒れ伏した部下を見下ろし、それからゾフィーへと視線を向けるグスターヴ。彼は、あろうことか腹を揺すり笑っていた。血濡れの軍刀サーベルを肩に担ぎ、左手を伸ばして指を鳴らしている。


 敵の余裕に満ちた態度を見て、金髪の少女はムッとした。勢いよく地面を蹴り、跳躍する。一足飛びに敵の間合いへ入り込み、弛んだ腹から臓物を引きずり出してやるつもりだった。


 ゾフィーはしなやかなバネをきかせて、グスターヴへと一気に迫る。敵の腹は、大きくて分厚い。狙いを定めるまでも無かった。

 ましてや豹を思わせるゾフィーの素早い動きに、鈍重そうなグスターヴが付いて来られるとは思えない。


 突き出された左手を掻い潜ぐるようにして、金髪の少女が敵の懐へ潜り込む。そこで銃剣を一閃――したところで彼女の視界が暗転した。背中に強い衝撃を感じたと思ったら、地面に這いつくばってしまったのだ。背中と胸が、軋むように痛い。


「グフフフ! 左手を突き出されておっては、掻い潜るより他に手が無かろう! 反射神経の良さは褒めてやるが、そんなものに頼り戦っていては、二流止まりだぞ。グフフフ」


 太い指に煌めくようなゾフィーの金髪を引っ掛けて、力任せにグスターヴが持ち上げる。だらりとした腕から銃剣が滑り落ち、金髪の少女は力なく片目だけを開けていた。


「貴様に教授される謂れなど――ない」

「強がりを言うな」

「強がりなものかッ!」


 一撃で戦闘力の大半を失ったゾフィーだが、しかし諦めた訳ではない。彼女は瞬間的に腰の軍刀サーベルを抜き、敵の左腕を切りつけた。


 グスターヴは素早くゾフィーの髪を離し、極太の腕を引く。僅かに掠った刃が、猛将の腕を傷つけた。彼の指の間から、金糸のようなゾフィーの髪が幾本か、パラパラと風に流されていく。


「やるではないか、ゾフィー=ドロテア」

「褒めるな、下衆。耳が腐る」


 片膝を付いた状態で、ゾフィーが相手を見上げている。精一杯の虚勢だ。背中が痛み、呼吸も苦しい。最悪の場合、肋骨が折れているものと思われた。


「俺はなァ、相手がじゃじゃ馬であればあるほど、燃えるタチなんだぜ……」

「――貴様の趣味など、知ったことか」


 痛みを堪えて、ゾフィーが再び飛び込んだ。敵は相変わらず半身になって、左手を突き出している。

 

 ――二度も同じ手を、喰らうものかッ!


 屈辱と嫌悪感に顔を歪めながら、ゾフィーが剣を振るう。今度は振り下ろされた左腕を躱し、駆け抜けざまに胴を払う。銀光が煌めき、半月を描いた。しかし空を斬る。


 どうやら、これも読まれていたらしい。男は巨体に似合わぬ速度で身体を捻り、ゾフィーの背後に回っている。その上で切り殺すでもなく襟首を掴み、彼女を宙づりにした。


「は、離せッ!」


 浮き上がってしまった足をジタバタとさせて、ゾフィーは逃れようと藻掻いている。悲しくて悔しくて、涙が出そうだった。逃れようと藻掻くほど、脇腹も痛みを増していく。


 グスターヴの剣がゾフィーの衣服の一部を割き、彼女の白い腹部が露になった。


「き、貴様、何をッ!?」

「戦場で男に捕らえられた女がどうなるのか――そんなの、分かり切ったことだろうよ」


 ゾフィーはギュッと目を閉じ、いっそ死んでしまおうと、手にした軍刀サーベルを自らの首元へ近付ける。こんな男に身を穢されるなど、耐えられないことであった。

 瞬間、銀の閃光が走る。神速の剣がグスターヴの左腕を斬り飛ばし、ゾフィーを解放したのだ。

 

「ゾフィー=ドロテア。あなたがここで死ぬのは、犬死にね」


 そんな言葉と共にゾフィーの襟首にあったグスターヴの手が、ボトリと音を立てて地面に落ちた。

 恐る恐るゾフィーが振り向くと、そこには全身を返り血に染めて、赤黒く変色した軍服を身に纏うアデライードが立っている。


 ゾフィーは安堵感と屈辱から、両手で顔を覆ってしまった。膝を折って、地面に蹲る。


 グスターヴは自らの失った腕を一瞥し、軍刀サーベルを再び構えた。並外れた胆力によってか、まるで痛がる素振りを見せていない。


「グフ、グフフフフ――……やってくれたじゃねぇか、アデライード=フランソワ=ド=レグザンスカ。俺にこんな傷を付けたんだ、相応の代償を、お前自身の身体で払って貰うぜェェ」


 左腕からボタボタと血を零しながらも、笑みを浮かべる髭面の巨漢は脅威でしかない。

 しかしアデライードは軍刀サーベルを振り刃に付いた血を払い落とすと、落ち着いた声で言った。


「あなたのような男性は正直、好みではありません」

「つれない事を言うなよ、アデライード。お前も、そこのゾフィーとやらも、そしてヴィルヘルミネも纏めて、俺が可愛がってやるからよォォ……!」


 グスターヴは今、決して言ってはならぬことを言った。

 つい先程まで両膝を地面に付き、己の無力さに打ちひしがれていた少女の目に、業火のような殺意が灯っている。


「おい、そこの下衆。今なんと言った?」

「あ? 嬢ちゃんは後で可愛がってやるから、寝ていろって」

「ヴィルヘルミネ様を可愛がるだと? 豚が人の言葉を囀りやがって。いま屠殺してやるから、そこを動くなよ」


 ゾフィーは立ち上がり、奥歯を噛みしめた。全身を貫く怒りが、痛みを麻痺させている。必ず殺すと覚悟を込めて、彼女は白刃をグスターヴへと向けていた。

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