第85話 六日目の戦い 5
アデライードに率いられて、歩兵中隊二百名がパンテオン宮殿の玄関ホールに集まっている。ここは大掛かりな舞踏会も催される場所だから、それだけの人数を収容してもなお、十分な空間があるのだった。
ゾフィーは高い天井に吊るされた煌びやかなシャンデリアを眺め、「ふぅ」と小さく息を吐く。
――フロレアルと同等の宮殿が、これほど近くにもあるのだからなぁ。そりゃあ民衆も、王家には金があると思って当然だろう。
フェルディナント公爵家もいくつかの宮殿を有してはいるが、これほど壮麗な建物は一つとして無い。大国と小国の差は歴然で、それを目の当たりにしたゾフィーは胸の内に奇妙な蟠りを覚えていた。
しかしフェルディナント公爵家は、それが為に質実剛健という印象を持たれている。だから民衆の支持を集めるのだと考えなおし、金髪の少女は一人勝手に「むふん」と満足気に胸を反らしていた。
そんなゾフィーの目の前で、アデライードが黒を基調とした執事服を着た男と話をしている。彼はロマンスグレーの髪をした初老の紳士で、ヴィルヘルミネが見たらキュンキュンするであろう程のイケオジであった。
「――……皆には普段通り行動するよう、通達を致しました」
「ご協力感謝します、セリエール侍従長」
「いやいや、礼には及びませぬよ、アデライード様。にしても、たったこれだけの人数で敵将を討ち取るなど、出来ることなのでしょうか?」
「敵は本営を最後尾に置いているから、守りが薄いのです。それに加えて大聖堂からの砲撃で混乱している今が、格好の機会といえるでしょう。あなた方が我等の到来に狼狽せず、粛然と行動してくれたことも大きい。ですから、必ず勝ちます」
目の前の紳士を安心させるように大きく頷くアデライードを見て、ゾフィーは「ふん」と鼻で笑っていた。
――言うほど簡単ではないから、わたしが来たのに。
しかしセリエールとかいう名の侍従長が、不安に駆られて敵に寝返りでもしたら大変だ。だからあえてアデライードは悠然と構え、笑みすら浮かべているのだろう。そのことを金髪の少女も理解しているから、何も言わないのだった。
現在、宮殿には維持、管理を目的として数十人の侍女や侍従が働いており、このセリエールは彼等を統括する立場である。ここから敵を攻撃す為には、彼の協力が不可欠なのだった。
グスターヴがパンテオン宮殿に手を付けなかったのは、まだ国王と交渉する意思があったからだろう。フロレアル宮殿を制圧して国王を手中に収めた後、この宮殿へ移送するつもりなのかも知れない。
だとすれば、グスターヴがこれを守る形でマルス広場に本営を置き、陣を構築した理由も納得できる。勝利を収めた暁には王国の守護者として、国王と共に堂々と宮殿へ入るつもりなのだろう。
自作自演も甚だしいが、しかしこうした混乱の最中にあって武力と国王を共に手に入れ革命を叫べば、民衆を追従させるのは容易いことだった。
そう思うからこそアデライードはセリエールに事情を話し、皆にいつも通りの行動をするよう要請をした。宮殿に変化があれば、グスターヴはすぐさま警戒するに違いない。それをさせない為なのであった。
■■■■
侍従長との話を終えたアデライードが、窓際でしゃがみ敵の動向を監視しているゾフィーの横に膝を付いた。
「お待たせしました。状況はどうかしら?」
「味方の砲撃によって、敵がこちらへ後退しつつあります」
「順調そうね。流石、オーギュだわ。砲兵を扱わせたら、右に出る者がいない」
アデライードが銀髪の同僚を想い、顔を綻ばせる。対してゾフィーは眉を吊り上げ、蒼氷色の目を不愉快そうに細めていた。
「大聖堂からの砲撃は、ヴィルヘルミネ様の発案でしょう」
「ええ、そうね。でも――オーギュがいなければ、とても実行は出来なかったでしょう?」
「ぐっ……そうだが……そんなことよりレグザンスカ大尉、本当に協力を要請するだけで大丈夫なのですか? 彼等の中の誰かが一人でも裏切れば、わたし達の命運は尽きるのですよ」
大聖堂からの砲撃を受けて宮殿の前庭に撤退し、隊列を整え始めたグスターヴ軍の様子を窓から見つつ、ゾフィーが問うた。
「大丈夫、彼等は裏切らない。仮に裏切りを考えているとしても、その前に決着を付ければいい話でしょう」
「そんな、簡単に……」
「簡単よ。そんなことも出来ないようなら、生きていたって何の役にも立たない。ここで死んだ方がマシだわ」
確かに、現時点で裏切りの不安を胸に抱いても、攻撃に迷いが生じるだけだろう。
ゾフィーは自分が付いてきたのは、何の為であったかを考え僅かに赤面する。
当初はアデライードの指揮に従い、その上で確かな武勲を上げて見せ、自らの力を誇示しようと考えていたのに。いざ蓋を開けてみれば、不平を口にしてしまった。己の不甲斐なさを恥じ、ゾフィーは小さく頭を下げる。
「余計なことを……言いました」
それから彼女も銃身に弾を込め、
「でもね、ゾフィー=ドロテア――あなたは無理に戦う必要なんて無いわ。帰るというのなら、止めないけれど?」
窓の端から目だけを出して敵の様子を探りながら、アデライードがゾフィーに言う。冷たい口調だった。
「わたしが役立たずだとでも言いたいのですか?」
「まさか。幼年学校におけるあなたの成績は、十分に知っているわ。私の再来なんて呼ばれていることも、ね――でも……」
片目を閉じで、アデライードが悪戯っぽく笑っている。ゾフィーは眉間に皺を寄せながら、言葉の続きを待っていた。
「この戦いにあなたが命を賭けなければならない理由が、わたしには見出せないの」
「それはこれがランスの内乱だから、わたしには関係が無いと?」
「そうよ。あなたは留学生で正規の軍人でもなく、それどころか国賓に準ずる立場でもある。ミーネ様も心配なさっていたようだし……」
ゾフィーは下唇を噛んで、しばし言葉に詰まった。アデライードの言わんとしていることの意味が、分かってしまったのだ。
――わたしはまた、空回りしているのだろうか。ヴィルヘルミネ様に心配されて、アデライードには力量不足を疑われている。なんて無様なんだ、わたしは……!
蒼氷色の瞳に決意を込めて、ゾフィーはアデライードを睨んだ。
「お気遣いなく。この程度の
「そう――……でも」
「そもそも、わたしは平民の子。ヴィルヘルミネ様に拾って頂かなければ、今頃はバルトラインの街路で野菜でも売っているような身の上。むしろ王族であるあなたの方が、命を大切になさって然るべきでしょう」
ゾフィーは少し不貞腐れたように、早口で言った。
翡翠色の瞳を大きく開き、少し驚くアデライード。それから彼女はゾフィーの耳元へ口を近付け、そっと自身の出自を語り始めた。
「ゾフィー=ドロテア。私は公爵家の娘で王族でもありますが――でも実は庶子なんです。だから父も母も嫌いで、家出をしょっちゅうしていたのですよ。そんな時です、王妃様に拾って頂いたのは。
――だから立場は違うけれど、何となくあなたの気持ちが分かるわ。つまり自分を拾ってくれた方の為に、命を賭けたいのよね?」
二度ほど目を瞬き、瞳に驚きの色を加えたゾフィー。コクンと頷いた彼女が何かを言いかける前に、ドドォンと轟音が響き渡る。砲弾が前庭付近に落ちたのだ。瞬間、アデライードが凛とした声で命じる。
「全軍突撃ッ! 目標はグスターヴただ一人と心得よッ!」
アデライードとしても、自分とよく似た少女が言いかけた言葉が気になった。
けれど今は戦いの最中。だから金髪巻き毛の若き女士官はゾフィーの肩をポンと叩き、「期待しているわ」と言って立ち上がる。
ゾフィーは言葉よりも行動で答えようと思ったから、「了解」と頷き駆け出すのだった。
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