第83話 六日目の戦い 3
エルウィンが攻撃を始めた十五分後、フロレアル宮殿への攻撃も開始された。グスターヴ中将が切り離していた別動隊によって、である。
この別動隊は、ヴィルヘルミネ軍がグスターヴ軍本隊に食いつく時を待っていたのだ。
このことが示すようにグスターヴ軍も王都グランヴィルにおける戦いを、陽動にしようとしていた。
つまり彼等にとっては戦端が開かれたことに意味があり、ヴィルヘルミネ軍にとっては戦端が開かれた場所に意味があった――ということである。
要するに現時点において双方の陣営は、どちらも自らの作戦がうまく運んでいることを信じ、これを遂行しているだった。
グスターヴ師団の別動隊を指揮する人物はシャップという名の大佐で、長年、師団長の副官を務めていた男である。
シャップもまた師団長であるグスターヴに勝るとも劣らない残忍性を持っていたが、しかし優秀な指揮官であることも否定し得ない事実なのであった。
シャップはグスターヴより、年齢が二つほど下の三十四歳。極度に痩せた長身の男であり、家に帰れば妻と息子、そして娘がいる家庭人でもあった。むろん家族に対し彼の残忍性が発揮されることは、無い。
シャップはヴィルヘルミネがグスターヴ軍本隊に夜襲を仕掛けたことを音によって知り、フロレアル宮殿への攻撃を開始したのである。それはヴィルヘルミネが、もはやこちらへは戻れないと確信したからであった。
「四方から攻め立てよ。ここでシャルルに逃げられては、何の意味も無いからな」
冷徹な眼光で宮殿を睨み、シャップが命令を下す。すると一人の部下が進み出て、一つの確認をした。
「宮殿のお宝は、どうするんです?」
「手を付けるな。下手に持ち出せば、師団長に殺されるぞ」
「じゃあ、女共は?」
「殺さないなら、適当に遊んでいい。どうせ師団長が欲しがるのは、赤毛と金髪の娘だけだからな」
「みんな聞いたか! 宝はダメだが女はいいってよォォォ! 行け行けェェ! 殺せ、奪えェェ!」
こうしてシャップの命令は実行に移された。しかし彼等は盗賊などではなく、れっきとした軍隊だ。故に行動は迅速であり、無駄がない。従って瞬く間にフロレアル宮殿を包囲し、攻撃を始めることが出来たのだ。
シャップがグスターヴに与えられた兵力は、三千であった。彼はこれを四つに分けて、宮殿の四方を囲ませている。正面の門前に九百の本隊を置き、他の三方は七百ずつを配置していた。
また彼は王の逃亡を阻止する為、必要以上の松明を掲げている。それを可能としたのは、彼がヴィルヘルミネと本隊が激突する時刻が夜であると、読んでいたからであった。だから、松明を事前に用意することが出来たのである。
こうした点も、シャップが軍人として有能であることを示す証左であろう。
だが――それらのことを全て、ダントリクは読んでいた。だからこそ彼はバルジャンを森に潜ませ、敵の攻撃開始を見計らって、今、「頃合いだ」と告げることが出来たのだ。
「敵は宮殿を囲む為に、兵力を分散しただ。見たところ、本隊は一千に満たないべ。対してこっちは一千五百だ」
「おお……冴えてるぞ、ダン坊! 本当に言った通りになりやがった! これなら勝てるッ!」
バルジャンは兵達の靴や銃に布を巻き、音を一切させぬよう敵軍に近づいていた。その上で息を潜め、近在の森に身を潜めていたのだ。
ましてや今夜は闇夜であり、敵軍は松明を煌々と焚いている。ならば背後から近づくことも、決して不可能ではない。
こうしてフロレアル宮殿の門前でも、戦いの火蓋は切って落とされるのだった。
■■■■
「砲撃を開始せよ」
二十時三十分。群衆同士の激突が激しさを増した頃、ヴィルヘルミネは聖職者より接収した大聖堂の鐘楼にて、砲撃開始を命じていた。これを復唱し、砲兵に伝えるのはオーギュストの役目である。
「砲撃を開始せよ。だが――間違っても宮殿に弾を落とすなよ。着弾観測、しっかりやれ!」
鐘楼に設置した三門の砲を見て、忙しなく弾丸を込める砲兵の肩を軽く叩きながらオーギュストは言った。
今回、砲撃による支援の一切をヴィルヘルミネはオーギュストに任せている。流石に鐘楼から広場へ砲弾を撃ち下ろすなどという戦術は、イレギュラーに過ぎたのだ。「弾道計算をせよ」などと言ってみたものの、赤毛の令嬢には到底できない計算なのであった。
なにしろ今回の場合、彼我の距離が近すぎる。大砲の仰角をいくら調整しても、砲弾が飛び過ぎてしまうのだ。
結果として令嬢の部下達がどのように弾道を計算しても、大聖堂から広場を狙うことは出来なかった。
もちろんヴィルヘルミネも計算をしてみたが、仰角を目いっぱい下げてもやはり砲弾は飛び過ぎてしまう。だから令嬢は途方にくれて、「ダメじゃのう……」などと言っていたのだが……。
しかしオーギュストが、これを簡単に解決してしまった。
「火薬の量を変えればいいのさ」
「確かにそうかも知れぬが、オーギュ……そんな方法、士官学校でも習わぬじゃろう?」
「習わないからやらない――では人類の進歩も発展もない。違うかい、ミーネ」
片目を閉じて見せるオーギュストに、何故かヴィルヘルミネは赤面してしまった。彼の柔軟な思考に感動し、思わず「素敵!」と思ってしまったのだ。
もともと優秀な士官で「超イケメン」と思っていたところへ、このサプライズ。その後ヴィルヘルミネが彼の後姿をつい目で追ってしまうようになったのは、腐っていても乙女なので当然のことであろう。
「弾着!」
「――もう少し右だ。混乱させろ」
「弾着!」
「よし、出てきたな」
下士官の声に合わせ、オーギュストは覗き込んだ望遠鏡を動かしている。そしてヴィルヘルミネに向き直ると、彼は言った。
「グスターヴの所在を確認した。ヤツが弾の下敷きになってくれれば楽だったが――流石に見事な手並みだ。パンテオン宮殿の前庭に退きつつ、こちらの所在を確認されたよ」
「――で、あるか」
ヴィルヘルミネは腕組みをして、大きく頷いている。思わずイケメンから目を逸らしたのは、じっと見ていたことが恥ずかしかったからだ。ともあれ、ここまでは計画通りであった。
「次弾装填!」
「――次弾装填!」
「発射!」
「発射!」
絶え間なく砲撃が続き、爆炎が上がっている。
「のう、オーギュ。右にずれたのは、何故じゃ?」
「風の流れだ。夜になって、南からの風が吹き始めたからだろう。計算したのが昼間だったからね――天候を予測しておくべきだった。ま、修正可能な範囲だったから、もう大丈夫だよ」
「で、あるか。卿は凄いの……」
砲撃に関する全てがオーギュストの掌の中にあると思えば、素直に関心するしかない。それと同時に、ヴィルヘルミネの胸が奇妙に騒めいた。
もともと赤毛の令嬢は、大砲に自信を持っていたのだ。特に弾道計算に関しては、その辺の大人に負ける気などまったく無かった。
それが目の前のイケメン、銀髪赤眼のオーギュストには完膚無きまでに負けて、いっそ、すがすがしかったのだ。
この時ヴィルヘルミネは生まれて初めて、誰かとゆっくり対話したい、という願望を抱いていた。しかもその相手が九十九点のイケメンだから、胸が思わずトゥンクしてしまったのだ。
今まではイケメンはイケメンという種族だと思い陰から見守るだけだった令嬢が、オーギュストの中身に興味を持ってしまったのである。
――オーギュは、どうやってこうした知恵を身に着けたのじゃろう?
令嬢の抱いた感情は、素直な憧れであったかも知れない。だが憧れとは大体において、初恋に直結するものなのである。
しかしヴィルヘルミネはアホの子だ。この感情が何であるのか分かるはずも無く、オーギュストを見る度に高鳴る胸を押さえ、違和感に苛まれるのであった。
――あれ、余、胸が苦しい。まさかこんな時に、病であるか!? いや、違う。これはゾフィーとアデリーが心配なのじゃ。心配し過ぎて胸がドキドキなのじゃ……ああ、恐ろしや!
赤毛の令嬢は望遠鏡を覗き込み、空いた手で胸元を押さえている。レンズの先はパンテオン宮殿の玄関口であり、そこから金髪の親友が飛び出してくるはずなのだ。
つまりヴィルヘルミネはゾフィーに対する心配とオーギュストに対する憧れを、ごちゃ混ぜにしてしまったのである。
令嬢が自身の感情に向き合う日が来るのか――それはまだ、誰にも分からないことなのであった。
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