第81話 六日目の戦い 1
まさか敵将が自分にエロいことをしようとしている、などとヴィルヘルミネは夢にも思っていない。そもそも彼女の場合、自分が男性にとって本当に魅力的だとは考えてもいないのだ。
――皆、余が公爵令嬢じゃから、おべっかばっかり言いおって。
このように屈折した思考が赤毛の令嬢の根底にはあり、それが為に彼女の恋愛観は倒錯してしまった。結果として女子は女子と、男子は男子と恋愛するべきなのじゃ! と深く思うに至ったのである。
とはいえ結婚観については貴族の令嬢らしく、家と家の結び付きが重要なことを理解しており、いずれ誰かの嫁になるのじゃろ――という程度には考えていた。
もっとも、その際に顔面点数九十点以上の男は望むべくもない――と諦めてもいる。だからこそ今、彼女は様々な人々に点数を付け、遊んでいるのだ。
「どうせ将来は、好きでもない男と結婚させられるのじゃろ。とはいえ、余なんぞを嫁に迎えねばならぬ男も、災難じゃがの」
ゾフィーには、こんな愚痴をこぼしたことも幾度かあった。むろんゾフィーは、このように答えたが。
「ヴィルヘルミネ様はわたしの嫁、誰にも渡しませぬ!」
「ゾフィー……言っておる意味が、ちょっと分からぬのじゃが、じゃが……?」
ともあれヴィルヘルミネの場合、ある程度政治的条件が整った相手が現れれば、婚約に否は無い。アホの子とはいえ、その辺は普通なのである。
かつてボートガンプ侯爵の息子を激しく拒絶したのは、あくまでも幼かったからだ。今の彼女は、いつか来るべき「その時」を待つ為、少しでも楽しく過ごそうとしているだけのことであった。
つまりヴィルヘルミネは今、モラトリアム期とも言えるのだ。
やがてはフェルディナント家を背負って立ち、跡を継ぐべき公子を産まねばならない。それが公爵家に生まれた女の責務だと自覚していればこそ、今の彼女が形成されているのだった。
要するに赤毛の令嬢は、周囲に軍事の天才だなんだと言われていることさえ、「おべっか」「お世辞」の類だと考え、「言い過ぎじゃ」と思っている。
だからこそヴィルヘルミネは、「まったくもう」と思いながらも総司令官になったりしているのだ。大貴族の令嬢としては、臣下のおべっかに応えてやるのも務めだと思っていたから。
しかしながら、周囲のそれは本心からであった。
傍から見れば彼女は戦争の天才にして絶世の美少女であり、一国を担う偉大な指導者なのである。
だからこそ周囲とヴィルヘルミネの間に、大きな齟齬が生じているのだった。
■■■■
さて、そんな赤毛の令嬢だが、現在は作戦会議の真っ最中である。
早速バルジャンとダントリクをフロレアル宮殿へ向かわせると、今度は賊将グスターヴを討ち取る作戦の開示を求められていた。
「非才の身である僕には、どうも話が掴めません。グスターヴを少数で打ち破る方法があるとのことですが、出来れば詳しく説明をして頂けませんか」
エルウィンが困ったように眉根を寄せて、夜空色の瞳をヴィルヘルミネに向けていた。余りにも輝かしいイケメン具合に思わず胸がキュンキュンしたが、彼の公式カップリングはトリスタンである。ヴィルヘルミネは零れそうになる涎を我慢して、キッと宙を睨んでいた。
――いや、非公式ながら、エルウィン×オーギュもいいのじゃ!
元より彼女の頭の中身はスッカラカン。入っているモノといえば、腐臭を放つカップリングの妄想ばかりである。
そんなヴィルヘルミネが策を問われたところで、気の利いた答えが返せる訳もなく。周囲の期待に満ちた輝く瞳が、磨き抜かれた槍の穂先の如くヴィルヘルミネの心に深く突き刺さっていた。
――って、余、イケメンに萌えている場合ではないのじゃ! ……さりとてグスターヴを倒す方法など知らぬ! 皆、何を余に期待しておるのじゃ! うすらトンカチどもめ!
だが今の令嬢は、それほど慌てていない。何故ならアデライードが全ての答えを知っているからだ。となればヴィルヘルミネは金髪巻き毛の美女を指さし、言うだけであった。
「アデリー……皆に説明をせよ」
「はっ」
頷き、アデライードは大きな地図に指を這わせていく。ヴィルヘルミネはそんな彼女を「美しいのぉ」などと思い呑気に眺めていた。なお、その他の思いは「負けたら逃げよう」である。
「マルス広場の背後にあるパンテオン宮殿には王家の者しか知らない、秘密の抜け道があります。これを使えば群衆や敵兵に阻まれること無く、敵の本営を急襲できるでしょう」
ヴィルヘルミネは、いかにも「知っていた」というように大きく頷いている。しかし言われてみれば、尤もなことであった。
そもそもフェルディナントの宮殿にも、抜け道はあるのだ。君主の居城に抜け道が無いはずがない。その意味では赤毛の令嬢がこれに思い至ることは、周囲の者にとっても当然のことなのであった。
「なるほど。となると夜襲が無難だが……しかし、それでも危険は大きいぞ」
「デッケン先輩の言う通りだ、アデリー。いくら敵の背後に出ても、すぐに囲まれるだろう。長時間は戦えない」
エルウィンの不安に、オーギュストも同調している。非公式ながら彼等をカップリングしたヴィルヘルミネは、大きく頷いていた。
「そうだな……仮に時間を区切って戦うにしろ、一度失敗すれば二度目は無い。ここ――敵の本営にグスターヴが居なければ、お手上げになるだろう」
エルウィンが地図の一点を指さしながら、「うーむ」と唸っている。バルジャンが別動隊を率いて出て行った為、今は彼がこの場の首席幕僚となっていた。
「危険な任務じゃの。誰が指揮を執れば、成算が高いか?」
「当然、私がやります。もとより抜け道は、私以外知らないでしょうし」
ヴィルヘルミネの問いに、アデライードが微笑を浮かべて答えた。エメラルド色の瞳には、燃えるような闘志が宿っている。国家や王妃への揺るぎ無い忠誠心が、彼女の心を鋼のように強くしているのだ。
しかしヴィルヘルミネは首を左右に振り、「それは、いかん――」と言いかけた。
そんなところへもう一人、黄金色の髪をした親友が立ち上がったから――ヴィルヘルミネは否定の言葉を飲み込んで……ごくり。
「ヴィルヘルミネ様、これは勝敗を決する重要な任務。それをこんな、ランスの生ッ白い女狐だけに任せてはおけません。当然、わたしも行かせて頂きます」
蒼氷色の瞳に苛烈なライバル心を滾らせて、ゾフィーがアデライードを睨んでいる。
「ゾフィー=ドロテア。あなたも……」
「勘違いするな、レグザンスカ大尉。わたしはヴィルヘルミネ様の勝利の為に、貴様に付いて行くだけだ。信用出来んからなッ!」
「そう……でも、危険な任務になるわよ?」
「わたしは軍人――になる者。危険など、元より承知の上に決まっているだろ、バカバカしい」
こうしてヴィルヘルミネは言い出したら聞かない二人の美女を護る為、ようやく言葉を捻りだす。
「――ならば、援護するのじゃ」
オーギュストが目を見開いて、ヴィルヘルミネを見る。そして問うた。
「援護と言っても、どうやって?」
「砲――砲に決まっておるじゃろう」
「夜間でしょう。しかも市街地で、どこから撃とうって言うんだい?」
ヴィルヘルミネは、当然ながら何も考えていない。
けれど必至で地図を眺め、やがて令嬢は一点を指さした。
「へぇ、なぜ、そこを?」
「ここが一番高い場所にある。今のうちに弾道計算をしておけば、十分に砲撃出来るじゃろ」
「確かに。だが、これは……はははッ! これはいい、なら、援護は俺に任せて貰おうか」
ヴィルヘルミネが咄嗟に指差したのは、歴史ある大聖堂であった。
この鐘楼へ大砲を持ち込み、敵の本営へ撃ち込むことが出来れば、大きな支援となるだろう。しかしこれは聖域を侵すことにもなり、ランスの身分制度を根本から破壊する行為にも他ならないのだ。
だが、ヴィルヘルミネにそんなことは関係ない。というか、何としてもゾフィーとアデライードの二人を守りたいのだ。なので彼女は作戦開始時刻を二〇〇〇時と定めると、断固として砲撃支援を決定し、一同は解散するのだった。
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