第80話 グスターヴ師団


 グスターヴ師団がマルス広場に築いた本営の天幕に、百五十キロを超える巨漢が座っていた。左右に金髪の女と赤毛の女を侍らせ、手にした銀杯には並々と葡萄酒が注がれている。

 この男の名はグスターヴ。ランス軍の中将であり、伯爵位を持つ由緒正しい貴族なのであった。


 しかしグスターヴは到底、貴族らしくも軍人らしくも見えない男である。

 軍服の袖を千切り露出させた極太の腕は誰よりも力強く、短く刈り込んだ茶色い髪の下には爛と光る獰猛な黒い眼があり、針金のような髭と相まって彼の容貌は盗賊の首領じみて見えるのだ。

 むろんそれは見掛け倒しなどでは無く、事実として彼は粗野で暴力的かつ冷酷であった。


 グスターヴが杯の中身を飲み干すと、すかさず右側に控える赤毛の女が葡萄酒を注ぐ。


「グスターヴさま、勝利をお祈りしております」


 彼女は昨夜まで貴族の令嬢であったが、今ではグスターブ専属の奴隷になっていた。命を惜しめば、その選択しか無かったのである。泣くことすら許されず、絶望の淵にいながら逃げ出す術の無い彼女の目に、もはや生気など、どこを探しても見当たらない。


「もっと心を込めて言え、ヴィルヘルミネ」

「グスターヴさま、心より勝利をお祈り致しています……」


 掠れ、震える声で赤毛の女が言う。グスターヴは彼女を睨み、「フン」と鼻を鳴らした。


「おい、ヴィルヘルミネ。本物は軍事の天才と呼ばれる女だ――そう、媚びた声は出さんだろう。しっかり似せろよ?」

「は、はい……申し訳ございません」

「ちっ、カスが。ヴィルヘルミネなら、こんなことで謝らんぞ」

「ひぇっ」

 

 グスターヴと言う男は、貴族の誇りを蹂躙することが大好きであった。

 だからこそ「助けて」と叫ぶ彼女の前で父親を殺し、名前すら尋ねず赤毛であることを理由に「ヴィルヘルミネ」と呼んでいる。


 グスターヴの精神は、歪んでいた。


 誇り高き者を蹂躙し、自らに服属させることに無上の喜びを感じるのだ。

 だからこそ軍事の天才と言われるヴィルヘルミネは、格好の獲物であった。若くして才気溢れる大貴族の少女とくれば、蹂躙したくなって当然なのである。


 もう一人も貴族の令嬢で、こちらは金髪であったことから「アデライード」と名付けていた。

 アデライードもランスの俊英と呼ばれ、王族でもある。彼女もグスターヴにとっては、格好の獲物だ。


 要するにグスターブはヴィルヘルミネとアデライードを、今回の戦いで手に入れるつもりであった。その予行演習として、昨夜手に入れた貴族の令嬢に二人の名前を与えたのである。


 そうしてグスターヴが二人の女性を侍らせ楽しんでいるところへ、一人の将校が報告に訪れた。彼は二人の女を一瞥すると、気にするでもなく報告を始めている。

 グスターブが街を制圧した時、好みの女を侍らすことは日常茶飯事だ、気にするには及ばない。


「中将閣下、どうやら敵軍は、フェルディナントの公使館に本営を構えたようです」

「ふん、ま、妥当なところか。で、数は?」

「既に街路を封鎖している数と合わせれば、王都に入った実数は三千五百ってところでしょう」

「ならば宮殿に残った兵は、五百といったところか」

「はい。にしてもヴィルヘルミネとかいう小娘――軍事の天才などと言われていますが存外、大したことはありませんな。こちらの罠に、こうも容易く掛かるなど」

「さあな。案外と、承知の上で兵を動かしたのかも知れんぞ。俺に勝とうと思えば、三千五百でも少ないくらいだからな――グフ、グフフフ」

「では、我等に勝利を収めた後で宮殿へ引き返すつもりであると、閣下はお考えになりますか?」

「各個撃破はヴィルヘルミネの十八番おはこだ。軍事の天才と言うからには、その程度は狙っていても驚かん」

「それは……閣下もシャップ大佐も、甘く見られたものですな」

「ああ、そう簡単に俺は倒せんし、宮殿を襲うシャップも、甘い男ではないのだがな。ま、赤毛の小娘が、どの程度楽しませてくれるか――せいぜ楽しみにしようじゃないか。グフフフフフフ」


 言いながらもグスターヴは、相変わらず酒を飲んでいる。


「おい、ヴィルヘルミネ。貴様は父を目の前で殺した男に酌をしておるが……どんな気分だ?」

「どんな、と申されましても……」

「おい、貴様はヴィルヘルミネだろう。ヴィルヘルミネといえば自国の内乱のおり、歯向かった貴族を皆殺しにしたような女だ。それも八歳でだぞ。そんな女が父親を殺されれば、何としても俺を殺しに来るだろうが」

「そ、そんなこと、わたくしには出来ませんし――そもそもわたくしは……」

「ああ、うるせぇ。一人称は余だって何度言わせんだ、馬鹿女がッ! 畜生、興覚めだ――こんなモン、もういらねぇ……」


 グスターヴが立ち上がった。

 身長こそトリスタンよりも低い程度だが、百五十キロを超える肉体は圧倒的な威圧感がある。

 赤毛の女は思わず後ずさり、尻餅を付いてしまった。

 

「そ、そんな……いらないって、どうなさるおつもりですか……!?」

「ビビるな、ダボが。殺しゃしねぇよ。ただ、兵士共の相手をしてやんな」

「なっ、グスターヴ様、それだけはお許しください! 兵士なんてみんな粗野で下品な男達ばかりで……」

「うるせぇんだよ、親の仇に媚び諂うゴミクズがッ! どうせもうすぐ、本物のヴィルヘルミネが手に入るんだ。てめぇなんぞに用はねぇって言ってんだ! 兵共の相手が出来ねぇってんなら、ぶち殺すぞッ!」


 女の長い赤髪を掴み、地面を引きずってグスターヴが天幕の外へ出た。そのままゴミのように投げ捨てると、二回、三回と赤毛の女は転がっていく。金髪の女はガタガタと震え、涙目になっていた。


「わ、わたくしは……閣下にお仕えして……」

「……テメェも出て行け! どうせ本物のアデライードも、もうすぐ俺のモノになるんだからなァアアア!」


 グスターヴは金髪女の背中を蹴り飛ばす。

 そうして赤毛と金髪の女達が兵士達の波の中へ消えていくと、後には彼女たちの悲鳴だけが響き渡るのだった。

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