第79話 ポンコツ同士の化かし合い


 現状の流れに困っていたのは、ヴィルヘルミネだけではない。実のところバルジャンも、内心で冷や汗を掻いていた。

 ヴィルヘルミネが軍事的に負けるとは思わないが、敵に国王を押さえられたら、国家としてはアウトだからだ。


 そこへきてアデライードの発言により、バルジャンはヴィルヘルミネの意図が分からなくなっていた。


 思えばヴィルヘルミネの場合、必ずしも国王を助ける必要はない。別にシャルルの家臣でもなければ、従属君主でもないからだ。


 いっそ国王を手中に収めたグスターヴの身柄を確保できれば、より一層有利な状況で交渉が出来る。

 むしろグスターヴを介してランス王家の生殺与奪の権さえ握れるのだから、軍事の天才と呼ばれるヴィルヘルミネであれば、こちらこそ最善手だ。


 だからこそ己の策を確実にする為、賊将の所在を確かめるよう、ヴィルミネは言ったのではないか。そんな疑念がバルジャンの内には膨れ上がっていた。


 バルジャンが真に恐れるのは、政治体制の完璧な変革だ。

 何しろ彼は王都防衛連隊の連隊長代理。職務とはいえ革命派を弾圧したこともあり、政治体制が過激な民主主義に変貌を遂げれば、瞬く間に悪役だ。きっと民衆の標的にされて、最悪の場合は断頭刑である。


 もちろんヴィルヘルミネなら自分を見捨てるようなことはしないだろうが、しかしバルジャンにはエルウィンの冷酷さが怖かった。


 主君の前では温和なイケメンに見えるあの男は、実のところ冷徹な戦略家。バルジャンの処刑が新政府に安寧を齎すと思えば、簡単に切って捨てるだろう。それがフェルディナントの利権に繋がるとあれば、友情の有無など歯牙にもかけず。

 エルウィン=フォン=デッケンにとって重要なのはヴィルヘルミネとフェルディナントであり、それ以外は全て些事なのだから。


 だからこそバルジャンは底冷えのする夜のような瞳のエルウィンに見られると、どうしても劣等感に苛まれるのだ。原因は忠誠を尽くすべき主君も国家も無く、根無し草のような心持だから――と気付いてはいたのだが。

 

 ――となればここは、王都から逃げるのみ! デッケン怖いしな!


 なのでバルジャンの出した結論は、ヴィルヘルミネ並みに最低であった。

 しかし、この結論を素直に言えるわけが無い。だから彼は一計を案じて颯爽と立ち上がり、こう言ったのである。


「レグザンスカ大尉の心配は分かる。ヴィルヘルミネ様がグスターヴをこの地で討ち果たすにせよ捕らえるにせよ、敵の別動隊が存在するとすれば、確かに、これを放置しておくわけにはいかん。そこでッ!」


 いったん言葉を切ると、バルジャンは大きく息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと言葉を続ける。


「私に一隊をお預け下されば、フロレアル宮殿を命に代えても守らせて頂きますが――……」


 拳を握り締めたバルジャンの双眸には、決死の覚悟が滲んでいる。

 実際、彼なりに決死であった。

 何とかこの場を離れなければ、死ぬかも知れないと思っているからだ。


 しかしアデライードはバルジャンの言葉を真に受けて、目に涙を溜めている。


「中佐――まさかあなたが、そんなことを申し出てくれるなんて……」

「フッ……ランスの英雄と言われた以上、それらしいことをしたくなったのさ」

「ならば私も、中佐と共に参りましょう……共に別動隊に加えて下さいッ!」

「ダメだ、レグザンスカ大尉! ヴィルヘルミネ様の作戦目標はあくまでもグスターヴ中将であろう! ならば貴官のように優秀な士官が本隊を離れるべきではないッ!」


 零れそうになる鼻水を我慢して、バルジャンが勇ましく言った。ここでアデライードに付いてこられたら、彼の逃亡計画が台無しである。


「しかしッ!」

「いや、いい! レグザンスカ、君を連れていくわけにはいかん! だが、そうだな――ダン坊、お前は私と一緒に来い!」

「え、オラだか?」

「私も、気心の知れた仲間は欲しいのだ」


 フッと笑みを見せ、親指を立てるバルジャンだ。彼は同郷のよしみとして、ダントリクと共に逃亡を図るつもりなのである。


■■■■


 一方ヴィルヘルミネは、相変わらず悩んでいた。ゾフィーやアデリー、オーギュのみならず、まさかバルジャンまで戦意を拗らせるとは思わなかったのだ。

 これではもう、降伏したいなどとは口が裂けても言えなかった。


 ――となると適当に一戦し、負けたフリをして逃げるのが得策じゃろか……?

 

 本営には現在、二千三百の兵が残っていた。

 問題はこれをどのように動かし、敗北したと見せかけるか――だ。


 ――逃げるにしても、二千三百は多いのう。簡単に負けて見せられる数ではないの……。


 奇しくもバルジャンと同じくヴィルヘルミネは、逃げる算段を始めたらしい。だが問題は、兵力をどのように配置して逃げるか――であった。

 ヴィルヘルミネとしては、逃げるに際し子飼いのフェルディナント軍三百がいれば、それで十分。とはいえ、この場をいきなり三百にしては、敵に打ち破られて終わってしまう。


 ――むう、ここが試案のしどころじゃ。


 それで赤毛の令嬢は、バルジャンにこう言ったのだ。


「よかろう、バルジャン中佐。卿に敵別動隊の対処を任せる。元より連れてきた連隊を、そのまま連れて行くが良い」


 皆が唖然としてヴィルヘルミネを見ている。バルジャン連隊は一千五百の兵員を擁していた。

 これを気前よく返してしまえば、本営には八百しか残らない。これでどのように、グスターヴの本隊と戦おうというのか。


 一方バルジャンも、逃げるつもりだ。そんなに兵を押し付けられたら、たまらない。ぶっちゃけ、ダントリクと二人だけでも良かったのに。


「あ、いや――お気遣いなく。私には百の兵もいれば……」

「ならぬ! 卿の身に何かあっては、ランスの未来が危うかろう!」


 そうして始まったのは、逃げることを前提とした兵力の押し付け合いである。だというのにこれを周囲の者は誤解し、二人の評価がうなぎ上りに上がっていく。

 特に感動していたのは、ダントリクとアデライードであった。


「バルジャン中佐――ヴィルヘルミネ様の好意を受けるべ。千五百の兵がいれば、オラが宮殿を護ってみせっぞ」


 分厚い眼鏡を輝かせ、ダントリクが言う。


「その意気やよし! ダントリク、行くのじゃ!」


 ヴィルヘルミネが大きく頷いた。

 一方、「マルス広場をたった八百でどう攻めるのか」「無茶な!」などと一同がざわついている。そんな中、アデライードだけがヴィルヘルミネを真正面から見据え、静かに言った。


「ミーネ様――八百の兵でもグスターヴを討ち取る方法が、たった一つだけあります。王家の秘密を使えば、ですけれど。ミーネ様はいつからそのことに、お気付きだったのですか?」


 もちろんヴィルヘルミネは、なんなにも知らない。だがバルジャンに余分な兵力を押し付けることが出来たので、口の端を吊り上げ笑っている。やったのじゃ! と思っていた。そして言う。


「フフ、ファーハハハ! そのようなもの、最初からじゃ」


 むろん、口から出まかせだ。

 どうせ負けて逃げるだけのこと。あとで「失敗したのじゃ、てへぺろ」とでも言えばいい、などと思う赤毛の令嬢なのであった。

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