第76話 流血の朝


 デルボアは群衆に声を掛けつつ、宮殿の門を潜る。

 フロレアル宮殿に集まった群衆は未だ十人委員会の統制下にあるから、それも可能だったのだ。


 デルボアは謁見の間に通されると冷や汗を背中に、脂汗を額にびっしりと浮かべ、国王シャルルに拝謁をした。そして彼が語った言葉により、王のみならず廷臣一同も騒然とする。


「グスターヴ師団が王都へ入り、一区の広場を占拠し群衆と共に貴族、富裕層ブルジョワの子弟を処刑し続けております。私共もこれを阻止せんと動きましたが、武力と呼べるものを持ち合わせてはおりません。ここはどうか――陛下の軍にお命じあり、これを鎮圧して頂きたく存じます」

「デルボア――卿は今、王都でクーデターが起きておると、そう申すのか? しかもそれを引き起こしておるのが、余の臣であるグスターヴであると……?」

「憚りながら、仰せの通りにございます」


 深く頭を垂れるデルボアを憎々しげに見つめ、シャルルは端正な顔を顰めて唸った。


「馬鹿な! 余が下した勅命は、暴動の鎮圧だぞ!」


 シャルルの隣に座る王妃マリーも、血の気を失い額に手を当てている。


「そんな……陛下……わたくし達は、一体どうなってしまいますの……?」


 デルボアが王宮に参内し、それで事態は終いだと思っていただけに皆の落胆は大きかった。

 この場にはヴィルヘルミネをはじめとした司令部の面々が居ないのも、平和的解決を見越してのことである。だというのに――……。


 王妃はそこでふと、まだ幼さの残るヴィルヘルミネの厳しい表情を思い出した。

 現状に不安でもあるのか、この状況にあっても赤毛の令嬢は毎日司令部に詰めている。そして厳しい顔で逐次報告を受け取り、「で、あるか」と鷹揚に頷いていたはずだ。


「ああ、ミーネにはきっと、こうなることが分かっていたのだわ。だから――」


 否応なく王妃マリーは納得し、彼女は夫である国王シャルルに言うのだった。


「ねえ、あなた――きっとミーネなら、この状況を何とかしてくれるわ。だから、彼女を頼りましょう」


 ――こうして、緊急御前会議が招集されることとなったのである。


 ■■■■

 

 午前九時、王妃マリーが顔面蒼白になり、国王に緊急御前会議の招集を提案していた頃。

 ヴィルヘルミネはカーテンを捲って窓の外の群衆を見やり、「うわぁ、まだいるのじゃ、あいつら……」とゲンナリしてから着替えを始めていた。


 近頃は群衆が怖いから夜眠るのが遅く、その分、朝寝坊をしている令嬢なのである。

 周囲の者はこれを「夜襲に備えている」と思っていたから、彼女の評価は無意味な夜更かしによって、またも上昇してしまうのだった。


 赤毛の令嬢はいつも通りゾフィーに手伝って貰い洗面を済ませると、フェルディナント軍近衛連隊大佐の華美な軍装に身を包む。そうしていると扉がノックされて、エルウィンが駆けこんできた。


「シャルル陛下がお呼びです。緊急にて話し合いたいことがある由、お急ぎください」


 赤毛の令嬢は眉根を寄せて、ムスッとした。朝ごはんをまだ食べていないのに、冗談ではない――と思ったのだ。


「どのように緊急なのじゃ、エルウィン?」

「はっ――昨夜遅く王都に入った一個師団が群衆と合流し、暴れまわっているとのこと。この対策の為にございます」

「ふむ。ならば、それは朝食の――……」


 言葉を続けようとしたヴィルヘルミネを遮って、突如として現れたジーメンスが薔薇を差し出してくる。


「おはようございます、ヴィルヘルミネ様! いやぁ、予想通りの展開ですね! だからこそ王都の一個師団を叩くなど、朝飯前という訳ですかッ! いやぁ、流石です!」

「は? 余が戦うと決まったわけではなかろ?」

「あれ、待っていたのでは?」

「今はまだ、会議に呼ばれただけじゃ。そもそも余は――」

「ジーメンス――ヴィルヘルミネ様はランス陸軍の元帥に叙せられた。しかしな、その前にフェルディナントの摂政であらせられる。戦うにせよ戦わぬにせよ――この場で明言して良い問題ではない」


 ヴィルヘルミネの言葉を遮り、エルウィンがジーメンスを諭す。このお調子者がヴィルヘルミネを狙っていることを知っていたから、ピンクブロンドの髪色をした青年は、少しだけ彼に厳しいのだった。


「す、すみません、デッケン少佐。どうやら余計なことを言ってしまったようですね、ボクのようなエリートとしたことがッ!」

「――ジーメンス、君は少し考えてから物を言うようにした方が良い。確かにエリートには違いないが、それも自分でいう事では無いだろう。……さ、ヴィルヘルミネ様。早く参りませんと、シャルル陛下をお待たせする訳には参りませんから」


 さりげなくエルウィンがヴィルヘルミネの手を取り、先を促している。

 令嬢としてはエルウィンの言ったことなど一言一句合っていないのだが、さりとて訂正するのも恥ずかしい。


 ――むむ。余、朝食の後ではダメか、と聞きたかっただけなのじゃが。


 などと思っていたヴィルヘルミネは、少しだけエルウィンに叱られたお調子者が気の毒になった。なので一応薔薇を受け取り、香りを嗅いだあとで彼に返す。


「卿は薔薇を見る目が確かなようじゃ。その目利きを他の事にも活かせば、エルウィンに叱られずとも済むようになろうの」

「は、はい、ヴィルヘルミネ様!」


 後にジーメンスは幾度も勝利の栄誉を手にするが、それをヴィルヘルミネへ献上するに際し、必ず薔薇の花束を持参したという。

 それほど、この日に褒められたことが嬉しかったのである。

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