第77話 進撃のヴィルヘルミネ
ヴィルヘルミネの出撃が緊急御前会議にて決定されたのは、半ば必然であった。
「え、あ、う……?」
会議の席で何とか拒否しようとしたヴィルヘルミネだったが、周囲の期待が凄まじい。気圧されるようにおしっこがしたくなった令嬢が、トイレに行っている間に彼女の出撃は決まったのである。
「良かったわ、ミーネが行くって言ってくれて!」
笑顔で令嬢の手を握る王妃マリーに、ヴィルヘルミネはハトが豆鉄砲を食らったような顔で答えた。
「それはトイレのこと……なのに……」
「まあ、ミーネったら! 王都の賊を倒すなんて、トイレに行くようなものだっていうの! 頼もしいわ!」
「ぷぇ……」
ともあれ大国の王であるシャルルがヴィルヘルミネに頭を下げて、現状を打破するよう依頼をしたのだ。むろん妻の王妃マリーも同様に、赤毛の令嬢へ頭を下げている。
小国フェルディナントの摂政に過ぎないヴィルヘルミネの立場上、これを拒絶することなど、元より出来なかった。
また、同席したデルボアやアギュロンといった革命派議員達もヴィルヘルミネに伏して頼み、図らずもランスの上層部に一体感が生まれている。
グスターヴという共通の敵を得たことで、ランスに立憲君主制への道筋が浮かび上がったのだ。これはフェルディナントにとって、願っても無い状況となっている。
何しろ立憲君主派議員達の背後にいるのは、リヒベルグ少将だ。事が上手く運べば彼の手練手管により、ランスの経済をフェルディナントが乗っ取ることになるだろう。
ランス経済を席巻しフェルディナントが経済大国となれば、それに見合うだけの軍事力を持つことにもなる。ならば列強の一角に食い込むことも、夢では無かった。
つまり祖国が強国への道を歩むためには、ランスの立憲君主化が最も望ましい事なのである。
もしもこの時ヘルムートが側にいれば、「最良の機会がやってまいりました」とでもヴィルヘルミネに耳打ちをしたかもしれない。
だからこそエルウィンもヴィルヘルミネによる賊軍討伐に賛成し、「微力ながら、小官も最善を尽くす所存にございます」と令嬢に頭を垂れていた。
当然彼も、ランスが立憲君主の道を歩むよう画策していたのだ。ここで革命派と国王派が手を結び、その橋渡し役をヴィルヘルミネが担う現状を、最大限利用するつもりであった。
まあ当然ながら政局に疎いヴィルヘルミネはガクブルで、隙あらば逃げようとしていたが。
しかし折り悪くバルジャンに捕まり、あれよあれよという間に三千五百の兵を率いてフロレアル宮殿を後にしている。
何しろ会議自体が出来レースだった為、既にエルウィンをはじめとしたヴィルヘルミネの幕僚達は出撃の準備を終えていたのだ。そして赤毛の令嬢も、当然それを承知していると思われていたのだった。
そんなヴィルヘルミネだが、悲惨なドナドナを味わっていただけではない。良いことも一つだけあった。それはフロレアル宮殿を囲んでいた民衆が、アギュロンの説得によりヴィルヘルミネの味方となったことである。
流石に彼等は一般市民なので戦力として考える訳にはいかないが、それでも五万もの人間が味方となった。すると数の上では敵と比べて六万一千対五万三千五百だから、ワンチャンありそうな雰囲気にはなったのである。
「フフ、フハハ――まあ、これだけいれば、何とかなるじゃろ。最悪の場合でも、余、死なぬ!」
そんな訳で令嬢は、いざとなったら群衆を前面に出し、肉の壁を作ろうというゲスな作戦を考えているのだった。
■■■■
ヴィルヘルミネは市街戦の定石通り、行動した。
まずは敵が陣を築いた一区の広場に通じる四つの街路を一個中隊ずつで封鎖し、自身は二区にあるランス公使館に本営を構えたのである。
ちなみに敵が拠点とした場所はマルス広場といい、その後方にパンテオン宮殿があった。ここは三代前までの王達が暮らした宮殿であり、王が首都に滞在する場合の居館だ。要するに賊将グスターヴは王都グランヴィルの中心地に布陣し、まさしく挑発しているのだった。
またマルス広場の側には川が流れており、これの上流と下流にもヴィルヘルミネは一個中隊ずつを配置している。こうしておけば最悪の場合でも敵を飢えさせることが出来るから、負けは無い、との判断だ。
――余、冴えてる!
などと一人ご満悦のヴィルヘルミネだったが、これはさしあたり教科書通りであった。この程度のことはジーメンスやイルハンですら定石として学んでいたから、皆、手際よく配置を済ませている。
しかし一方で、敵の方が数に勝っていた。
となれば包囲されるまで大人しく待っていた敵の動きの無さこそ、ヴィルヘルミネ以外の面々には不気味に映っている。
というか自軍より数に勝る敵を囲む――などということは、用兵の基本に立ち返れば悪手だ。むしろ戦わずに撤退。あるいは拠点に拠って凌ぐことこそ、定石であった。なのでウッカリ市街戦にこだわった赤毛の令嬢は、全然ちっとも冴えていなかったのである。
「ふぅむ――エルウィン、状況をどう見るか?」
配置が済んだ頃、ようやく雨が上がった。中天を越えた太陽が、雲の切れ間から鮮やかな光を王都グランヴィルに投げかけている。
そんな中ヴィルヘルミネは本営とした公使館の一室で、次席幕僚となったピンクブロンドの髪色をした青年に声を掛けた。
部屋の中には長方形のテーブルが置かれており、中央に何枚かの地図が乗っている。エルウィンはそれらに視線を落としながら、「そうですね」と声を発した。
「ここまでは、予想外に上手く事が運びました。この上は敵の飢えを待つのが上策かと思いますが――とはいえ、我等の意図を敵が読んでいない、とは思えません。となれば敵には物資の備蓄があるのか、それとも運び込むルートが他にもあるのか、ですが……」
「うむ、デッケン少佐の意見は尤もだ」
主席幕僚のバルジャンが頷き、いかにも仕事をしている、といった風を装っていた。
だが、ここに居る面々は彼の無能さを知っている。だから全員、華麗にスルーを決め込んでいた。
「しかし少佐、街路は全て封鎖し、水路も塞いでいます。となれば敵が外部と接触する隙間など、どこにも見当たりません」
ゾフィーが眉根を寄せて、地図を指さしていた。彼女はヴィルヘルミネの護衛として、しれっと本営に席を与えられている。またそのことを誰一人疑問に思わないほど、彼女の軍才は優れているのだった。
そんな中、バルジャンがプルプルと震えている。主席幕僚たる自分を無視して、皆が会議を進めているからだ。しかもあろうことか、ヴィルヘルミネのオマケである金髪の小娘に皆が注目し、自分は蚊帳の外である。
もちろんバルジャンだって、自分が無能であることなど百も承知であった。でも「仲間だろ!」「ずっ友じゃないか!」「無視だけはすんなよ!」と思い、悲しくなったのだ。
だからこそ彼は、ここで最終兵器ダントリクを投入することにした。ダン坊は故郷が同じで遠い親戚でもある――バルジャンにとって彼だけは、絶対に裏切らない味方だと思えたから……。
「ダン坊! お前はこの状況、どう思うんだ?」
ダントリクは会議に参加する権利など持っていないが、ヴィルヘルミネの学友だ。イルハン、ジーメンスと共に部屋の隅で会議を見守り、当然ながら話を聞いていた。
そして彼はバルジャンの期待を裏切らない。何故ならダントリクは、バルジャンを未だに英雄だと思っていたからだ。
「えと……だな。思うに奴等はオラ達をおびき寄せる目的で、陣を敷いたんじゃねぇべか?」
「このマルス広場に、か?」
エルウィンが眉根を寄せて、地図上の一点、マルス広場を指さしている。
「んだ」
「なぜ――?」
「えと、それはだな……」
皆の視線がダントリクに集まり、彼の言葉を聞き漏らすまいと耳を澄ませている。
眼鏡を掛けた小さな黒髪の少年は、思いもかけないことを言った。誰もが息を飲み、そして「言われてみれば……!」と頷いている。
その時、ヴィルヘルミネの口元に笑みが浮かんだ。
――なぁんだ、じゃ、余、安心。
本人的にはホッとした笑みだったのだが、周囲の者は明らかに彼女がダントリクの指摘したことを承知で、この地に陣を敷いたように思うのだった。
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