第75話 デルボアの誤算
ファーブルが報告の為に議事堂へ戻ると、すぐに小さな会議室へと通された。デルボアがこの部屋を、臨時の執務室にしているのだ。といって法的に彼が使用する権利は、一切ない部屋である。
デルボアは十人委員会委員長という私的集団トップの地位を利用して、公的な施設を私物化しているのだった。
部屋には窓が一つもなく、分厚い鉄の扉が二重になっている。装飾こそ豪華だが、議員同士の会話が外に漏れないよう、周到な配慮がなされた部屋だった。
扉を入って正面に秘書の座る席があり、部屋の中央には楕円形の大きな机がある。そして大きな机の先に、黒檀の机が設えてあった。この机を前にデルボアが座り、日がな一日、策謀を巡らせているのだ。
陽光の入らない室内を照らすのは天井のシャンデリアと、各机に置かれた燭台に灯る、蝋燭の明かりであった。
ファーブルはデルボアの前に立ち、シャルル王との会話を簡潔に説明する。彼は目の前の小男が嫌いであったから、なるべく早く退室したかったのだが、デルボアが疑問を口にした。
どうやらまだ、ファーブルは解放されないらしい。
「なるほど、陛下が私に『来い』と仰せか……ご苦労様です、ランベール君。で、これに関してアギュロン君は、何と言っていたかね?」
ニタリと笑って、デルボアが自身の禿頭をつるりと撫でた。一本の毛も無い頭部が、蝋燭の光を反射して朱く輝いている。
「はい。委員長閣下が宮殿へ行き臣下の礼を尽くせば、身分制度の撤廃も確約されるであろう……と」
「ふむ……私を出向かせ臣下の礼を取らせることで自らの権威を示し、その見返りに身分制度を撤廃する――丁度良い落としどころではあるが……」
「……何か、ご不満でも?」
「陛下が強気に出る要因は、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントの存在かね」
「はい。ですから正直なところ、我等にも選択肢は無いのです」
「なぜ、そう思うのだ?」
「あの小娘ならば、武力によって暴動を鎮圧することも可能でしょう。万が一そうなれば王はフェルディナント軍を迎え入れ、その武力を背景に財政改革を行うはず。そうなれば真の平等は遠のくばかりかと――……」
「馬鹿な。あの小娘が今動かせる兵力は、四千がせいぜいであろう。暴動の鎮圧など、出来る筈がない。よしんば出来たとして、その後どうする? フェルディナントは小国であり、我が国の後ろ盾になるなど不可能だ――杞憂に過ぎん」
苛立たし気にファーブルを睨んだデルボアだが、相変わらず口元には笑みを湛えている。何を考えているのか、まるで読めない男であった。
「確かに杞憂かも知れません――しかし王都では、随分と暴徒による被害が大きくなっています。であればどちらにせよ、小娘が動く前に暴徒を抑えた方が良いのではないでしょうか?」
「ああ、うむ――暴徒共を抑えて見せれば、陛下も私の力を認めざるを得まいしな」
「そもそも――そういうシナリオだったのでしょう。少々被害が出すぎた感がありますが……」
「フッ、フハハッ! うん、そうだ、うん、うん。クククッ――よく言ってくれた、そういうシナリオであったよ、最初から。思い出させてくれて、ありがとう。どうやら君は若いが、中々に見どころがあるね」
デルボアは立ち上がると、自分よりも遥かに身長の高い若者の肩をポンポンと叩き、そのあと秘書に声を掛ける。
「各地に散った同志に連絡をして、暴動を抑えるよう指示を出したまえ」
ファーブルは一礼すると、ようやくデルボアの執務室と化した会議室を後にする。
――これが「血の一週間」、五日目夕刻のことなのであった。
■■■■
デルボアの計画にはいくつかの誤算もあったが、「国王シャルルに招致される」ことに関しては、
結局のところ事態を打開するために宮廷へ呼ばれ、その際に自らの力を示すことが出来れば、国王の下で大きな権勢を手に入れることが可能だからだ。
デルボアの野望は、あくまでもランス王国の廷臣として権勢を振るうことである。その為の手段として彼は、革命派に身を投じたのだ。
むろんデルボアも政治家である以上、理念はある。少なくとも現状を良しとはしていない。けれど一方で万人を平等にする――などという夢物語を信じていたりもしなかった。
デルボアはあくまでも、自分の地位を向上させたかったのだ。その上で社会情勢を安定させ、一族を繁栄させる。その為に戦っているのだった。
何しろ彼の身分は、どこまでいっても平民である。
貴族としての権利を買うことも出来たが、しかしそれでは宰相はおろか、内務、外務の両大臣職にも手が届かない。
だからこそデルボアが野望を達成する為には、身分制度の撤廃が不可欠だったのである。
その意味では、これから宮廷に参内すれば身分制度が撤廃されるのだ。しかも、国王が恃む両大臣の殺害に成功している。
であれば議会のトップに君臨するデルボアの地位は、まず安泰であろう。いずれ宰相になることも、決して夢ではない。
問題は宮殿を警護する為に元帥となったヴィルヘルミネの存在であり、これをきっかけとして台頭するであろう外国勢力だが――それもデルボアは権謀術数を駆使して排除できると信じていた。
だからデルボアは嬉々として暴動を収束へ導くよう指示を出していたのだが――「血の一週間」六日目に至り、彼は最大の誤算をこの時に知る。
つまり暴徒達が、デルボア率いる革命派議員団の手を完全に離れてしまった――ということだ。
早朝、身支度を整え馬車を呼び、今から宮殿へ向かおうというデルボアの下へ、一人の議員が駆け付けてきた。
「委員長閣下! 市民がまたも一区の広場に集まり、集会をしています!」
「馬鹿な――暴動は終いだと、昨日命じたではないかッ! 私はこれから、国王陛下の下にいくのだぞ――騒動を収束させたと報告出来ねば、私の力を示すことが出来ないではないかッ!」
「そう申されましても、連中――……武装を強化していまして……」
「どうして武装が強化されているッ!?」
口元に湛えたいつもの笑みも無く、デルボアが激しく言い募る。まだ若い議員は言い難そうに、顔を顰めながらも報告をした。
「王都近くに駐屯していた軍が暴徒達の味方をし、武器庫を開放したんです……それで……」
「何だと……部隊の数は、一体どれほどだッ!?」
「一個師団、一万一千ほどです。師団長を名乗るグスターヴという男が、委員長との面会を求めていますが……」
「そんなものは、革命と無関係だッ! ましてやこれから、私は国王陛下とお会いするのだぞ! そんな反乱軍の頭目と会えるワケがなかろうッ!」
「しかし……」
「しかし、なんだッ!」
「奴等……捕まえた貴族や
唇をワナワナと震わせて、議員が報告をする。かなり凄惨な場面を見たのだろう、顔も蒼白になっていた。
一方デルボアは細い目を見開き、吠えている。
「――ここにきて、そのグスターヴという男はクーデターを起こしたのだッ! そいつは、この私にすら取って代わろうとしているッ! そんな男と会えるわけがなかろうッ!」
大きな誤算だった。
これでは国王に対し、暴動を鎮めて見せることが出来ない。それどころか革命の未来も自身の未来も、閉ざされかねない状況だ。
デルボアは頭蓋の中身をフル回転させ、打開策を考えている。
――この上は、国王に共闘を申し出るしかなかろう。というより、ヴィルヘルミネの武力に頼らなければならん。
結論が出ると悔しさに歯噛みしつつ、デルボアはフロレアル宮へ向かう馬車に乗るのだった。
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