第74話 流血前夜


 宮殿が群衆に囲まれてからというもの、ヴィルヘルミネに安息の日は無かった。

 群衆が一部でも動くたび、彼女に与えられた司令部なる部屋に伝令が飛び込んでくるからだ。その都度ビクビクとアホ毛を揺らしていたから、赤毛の令嬢も大変だったのである。


 とはいえ、仕事の大半はエルウィンとゾフィーがこなしてくれた。お茶はイルハン=ユセフが用意してくれるし、お菓子はどこからかジーメンスが調達してくるので不自由もしない。


 ダントリクだけは部屋の隅で本を読んでいることが大半だが、その麗しい横顔を見れば和むので、赤毛の令嬢的にはオッケーだった。ただ、彼の場合は何かとバルジャンに呼ばれることが多いのが、問題と言えば問題である。

 

 とはいえアデライード、オーギュスト、バルジャンの三名も基本的には司令部に詰めているから、ヴィルヘルミネがやるべき仕事など特に無いのだ。

 

 そもそもアギュロンとアデラ―ドが対話して以降、群衆との関係は改善されている。決して一触即発という訳ではなかった。ましてやデルボアが到着して王が三身分の撤廃を宣言すれば、事態は収束すると思われている。

 

 しかも民衆の王家へ対する敬慕は、今なお尽きていない。今朝も国王がバルコニーへ姿を見せると民衆は、「シャルル王万歳! ランスの輝ける太陽!」と、歓呼の声を上げていた程だ。

 このような状況だから、突然の武力衝突などあり得ない。従って司令部の面々も、ある程度は安心していたのだが……。


 それでも赤毛の令嬢は司令官として緊張の面持ちを保ち、むっつりとした表情で席に座っている。

 当然それは彼女がビビリだから――という理由に尽きるのだが、周囲はこれを怪訝に思っていた。


「ヴィルヘルミネ様は、一体何を警戒しておいでなのだろう?」


 忙しく働きながらも、僅かの時間だけエルウィンは顎に手を当て考えた。ヴィルヘルミネをチラリと見て、目が合いそうになったので慌てて視線を外す。夜空色の瞳を一瞬だけ宙に彷徨わせていると、その先にある赤い瞳とぶつかった。

 

 ヴィルヘルミネに酷似した赤眼が、白銀の長い睫毛に縁取られている。美しさと同時に不吉さを思わせる双眸が、エルウィンを見て優し気に揺れていた。


「やあ先輩――考え事ですか? 誰か気になる女性でも?」

「な、何を馬鹿なことを言っている、ランベール! お前じゃあるまいし、そうそう女性にうつつを抜かしたりなどしない。僕はただ、ヴィルヘルミネ様が浮かない顔をしておられるから……それが気になっただけだ!」

「え、やっぱり女性が気になっているんじゃないですか、先輩」

「なんだと!?」

「だって、ミーネだって女の子でしょう。それも、とびきり可愛い、ね」

「な、あ、う、あぁ! ぼ、僕は軍人としてだな……ああ、もう! うるさいぞ、ランベール!」


 ニヤリと笑う銀髪赤眼のオーギュストを前に、ピンクブロンドの髪を後頭部で束ねたエルウィンが狼狽えている。

 真面目に書類仕事をしていると見せかけて、お絵描きをしていただけのヴィルヘルミネは、ここで「くわっ!」と目を見開きイケメン二人の絡みを堪能した。


 ――ふふ、ぐふふ。エルウィンとトリスタンも良いが、オーギュが相手ならばエルウィンが受けじゃの、じゃの……。


 思えばヴィルヘルミネの司令部には、イケメンと美女しかいないのだ。この点に思い至り、赤毛の令嬢の心は少しだけ晴れやかな気分になった。


 ――外は雨でも、部屋の中は五月晴れじゃの、じゃの!


 などと思う令嬢だったが、今はもう六月の下旬である。しかしイケメンさえいれば令嬢の頭の中はきっと、万年初夏で新緑に萌えているに違いないのだった。


 ■■■■


 ヴィルヘルミネが初夏の陽光の如くイケメン二人を温かく見守っていたところ、午後の練兵を終えたバルジャンとダントリクが戻ってきた。そのまま彼等も謎の言い合いをするイケメン二人の中に加わり、四人は応接用のソファーへと移動していく。


 ――うおおお、エルウィンとオーギュが並んで座ったのは良いが、四人で会話はいただけぬ! そうでは無いのじゃ、そうではぁぁあああ!


「なに――ヴィルヘルミネ様が、浮かない顔をしている理由?」


 バルジャンがつるりとした顎を撫で、眉根を寄せて「うーむ」と唸る。ヴィルヘルミネが不精髭を嫌うことを察して以来、彼は毎朝きちんと髭を剃ることにしたのだ。


 それはそうと――確かにヴィルヘルミネは浮かない顔をしている。少し前までは口元に凶悪な笑みを湛えていたのだが、バルジャンが戻った途端、それも消えてしまったからだ。


 令嬢としてはエルウィン×オーギュストのカップリングを妄想していたのに、その邪魔をバルジャンがしたと思ったので不機嫌になっただけなのだが、周りはそんなことを知る由も無い。なので、推測を各々が述べていく。


「ミーネのことだから、先々の事で悩んでいるんじゃないですか。ほら――事態が収束したあと、街の復興とか、亡くなった住民に対する補償とか……俺はそう思うんですがね」

「僕は違うと思う……そもそもヴィルヘルミネ様は合理的なお方だし、ランスの内政問題で御心を悩ませるとは思えない。となればやはり、群衆が宮殿へ突入してくる可能性を考慮なさっていると思うのだが……」

「デッケン少佐もランベール大尉も、的外れだぞ。いいか、ランスの英雄たる私が思うに、ミーネ様は処刑された貴族達のことを想っておられるのではないか。ああ見えて、存外優しいお方だからな」

「はいはい、ランスの英雄ね……自分で言うか、普通」

「おいランベール! 上官をもっと敬え!」

「はぁ……昼の燭台と呼ばれたバルジャン中佐が英雄とは、ランスもいよいよ危ないな、うん、危ない」

「デッケン少佐まで! 私は中佐だぞ! 偉いんだぞ!」


 ダントリク以外の三人が、ヴィルヘルミネには聞こえない程度の声で言い合いをしている。しかし結局は騒動が収束に向かっていると思うから、これだと思える推論は誰も思いつかなかった。

 

 そんな中、赤毛の令嬢は苛立たし気に親指の爪を噛んでいる。

 

 ――ちくしょう、お邪魔虫バルジャンめ。何故エルウィンとオーギュを二人きりにせぬのじゃ!


 令嬢の内心はこれほどにポンコツであったが、ダントリクは彼女を見て、ついに三人が納得する一つの仮説を立てた。


「確か国王陛下は今回の暴動を収束させるために、近隣に駐屯する師団を王都へ招聘したんでねがったべか?」

「ん――ああ。流石に十万もの民衆を抑えるのに、王都の部隊だけじゃあ足りんからな」

「んだばバルジャン中佐――その師団が民衆に味方をして、或いは味方をするフリをして、こちらへ武器を向けて来たらどうなるだ?」

「そりゃ、ダン坊――お前……まさかだろ。栄えあるランス王国陸軍が、国王陛下を裏切るなんてことがあるわけ――……」

「あったでねぇか。中佐もランベール大尉も、そういう部隊と戦ったこと、あるべさ」


 ダントリクが眼鏡のブリッジに指を掛け、言った。室内で燃える蝋燭の光を反射して、レンズがキラリと輝いている。


「つまりダントリク――君は王国陸軍の師団が離反し、この機を利用して牙を剥く。それがミーネの想定した近未来で、だから彼女は苛立たし気に、その時を待っている――そう言いたいのか? 

 しかし師団長の地位にある程の者なら、そうそう離反などしない。この話、根拠はあるのか?」


 オーギュストが問う。


「近隣に駐屯しているのは、グスターヴ中将だべ。元々はキーエフへの備えとして国境へ向かうはずだった男だけんど、今回の騒動で急遽呼び戻されたんさ」

「グスターヴッ! あの男がッ!?」

「んだ――もしデルボアが王宮へ来るよりも早く、あの男が王都に入ったら…――」

「ああ、そうだな……ダントリク。それは、大変なことになる……」


 オーギュストの目に、怒りの炎が灯る。義憤であった。


 グスターヴと言えば、数年前に地方叛乱を鎮圧した折、その地域に軍制を敷いている。その際、叛乱に関わった全ての者を殺したことで、人々を震え上がらせていた。

 軍才は上々だが、余りに残忍なことから「人食いグスターヴ」と呼ばれている男だ。


 しかもその際、街で破壊の限りを尽くし金品を奪い、多くの財貨を蓄えている。

 だが一方で部下には鷹揚で寛大であり、人望があるのだ。理由としては、戦えば必ず勝利を収め、略奪により部下達にも莫大な富を齎すから――と言われている。

 要するに彼の師団は丸ごと、盗賊団と同じなのであった。


 だからこそ政府は彼をキーエフとの国境防衛に使おうと思ったのだが、そんなことを知らない王は、勅命で彼を呼び戻してしまったのである。


 オーギュストは、こうした事情を皆の前で語った。数年前に叛乱を起こした地域というのが、彼の故郷にも近かったから、グスターヴの悪名を知っていたのだ。


 バルジャンはポカーンとしていたが、エルウィンはヴィルヘルミネの苛立たし気な表情を見て、大いに頷いている。


「ヴィルヘルミネ様はこのことを知っておられたから、葛藤しておられたのか! だからこそ緊張の糸を解かない、流石です!」


 エルウィンは、またも赤毛の令嬢に尊敬の眼差しを向けた。

 

 実際にこの日の夜、国王の勅命を受けたグスターヴは一個師団一万一千名を率い、誰に止められるでもなく王都グランヴィルへ入っている。

 そして革命を支援すると称し王都の群衆を吸収すると武器庫を開放し、破壊と殺戮の限りを尽くし始めるのだった。

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