第73話 落としどころと迫る影
ヴィルヘルミネの質問によって、アギュロンは背筋に氷の柱でも入れらたかのように凍えていた。
昨日、群衆によって外務省と内務省が襲われ、両大臣が殺害されたことは既に宮廷にも伝わっているのだろう。
彼等は実のところ革命派とも繋がる、開明的な政治家であった。しかしだからこそ彼等はデルボアにとって、目の上のコブだったのだ。
もし仮に国王が平等宣言を行い事態が収束すれば、政府は両大臣主導の下、革命を進めるだろう。それでは十人委員会を作ったデルボアとしては、面白くない。
全ての政治家は、自分の下に付くべきだと彼は考えた。だからデルボアは、二人の殺害を決めたのである。
外務大臣と内務大臣が宮廷の外にいたのは、当然と言えた。
彼等はそれぞれ外務省、内務省を拠点にしている。そこを動くとすれば、国王や宰相に招聘された時だけだからだ。
とはいえ、これらの施設は国軍が威信を賭けて守っている。これを崩す為にこそデルボアは王都防衛連隊の弱体化を図り、かつてバルジャンを連隊長代理に推薦したのだ。
当然ながら外務省、内務省を防衛する大隊指揮官にも、彼は手を回していた。
デルボアという男は権謀術数に長け、来るべきこの日を予測していたのだ。だからこそ、こうして上手く立ち回ることが出来たのである。
とはいえバルジャンが予想外に有能で、オーギュストを伴いフロレアル宮殿へ行ったことは誤算であった。しかし同時に、それが両大臣を殺害するチャンスにもなったのだ。
バルジャンが連隊を率い王都を離れたとの報に接すると、デルボアは外務省、内務省を防衛する大隊に潜ませた配下を使い、すぐに防備を手薄にさせた。その上で群衆を導き、両大臣を殺害せしめたのである。
彼等がいなくなれば、彼と国王の間に入るのは宰相だけとなる。
相手が一人であれば民衆の力を背景とするデルボアには、いかに宰相と言えど抗しえないであろう。そういう算段なのであった。
とはいえアギュロンもファーブルも、そうした事の真相まで知っている訳ではない。しかし両大臣が同日に死に、そして書面が今日出来上がった、そんな事実を鑑みれば、手繰れる糸は一つしかないというだけだ。で、あるならば、「なぜ遅くなった?」と問われれば、答えは「知らない」でしかなかった。
――むしろ、それ以外の答えを口にして良いとは思えない。
「ふむ、知らぬと……」
答えを聞いたヴィルヘルミネは困ったように首を傾げ、「ふぅん」と呟いた。内心で、「馬鹿なのかな」と思っている。状況の読めない赤毛の令嬢は、ただ単に革命派が無能なのだと理解したのだ。
そんなヴィルヘルミネに紅玉の瞳で見下ろされると、アギュロンは全てを見透かされているような気になってしまう。
だから推測だけでも言うべきなのかと、心の中で大いに葛藤をしていた。
――だが、真実に近しい推測を語る訳にはいかない。アギュロンは固唾を飲んで額に汗を浮かべ、余りにも杜撰で良心的な推測を述べた。
「私はこちらにおりましたので、本部のことは分かりかねます。ただ――推測致すならば国王陛下にご納得いただける条件、文章を本部の委員が皆で吟味いたしておりました故、議論が紛糾して時間を要したのでございましょう」
「ふむ……卿も……委員の一人ではないのか?」
元帥杖を手の中で弄びながら、ヴィルヘルミネが問う。静寂に満ちた謁見の間に、パシン、パシンという乾いた音だけが響いていた。
「わ、私は委員ではありませんが――副委員の役職を頂いております。ですから――」
「副委員とは、何であるか?」
ヴィルヘルミネの質問の意図を推測すれば、副委員に過ぎない男が国王への使者になるとは何事か――となろう。少なくともアギュロンとファーブルは、そのように解釈をした。
だからファーブルが慌てて顔を上げ、「恐れながら――!」とヴィルヘルミネを見る。
「副委員と申しましても、このマクシミリアン=アギュロンはそもそもが三部会議員にございます! であれば、国王陛下への目通りが叶う身分かと存じますがッ!」
「ゆえに――会っておる。控えよ、ファーブルとやら。余は面を上げるを許しておらぬぞ」
鷹揚に右手を上げて、シャルルが言った。ヴィルヘルミネが「くわっ!」と目を見開き、動きをピタリと止めたせいだ。
むろん令嬢はファーブルを見て、「超イケメン! うおおおおお!」と思っていただけだが、これを怒りと周囲の人々は受け取った。
いよいよアギュロンの額には大量の冷や汗が浮かび、ポタポタと紅の絨毯を濡らしている。
「控えなさい、ファーブル。ヴィルヘルミネ様が何であるか――と仰るように、副委員の立場で使者を名乗るなど、確かにおこがましいのです」
アギュロンも、分かっていたのだ。だからファーブルを叱り、制した。
王の権威を保証すると言うのなら、本来、委員長であるデルボアが自ら来るべきであろう。
何より王の臣下である両大臣を殺害した張本人が来てこそ、腹の探り合いも出来るというものである。
そのことを赤毛の令嬢は、指摘したのだ。
なんと恐ろしい娘か――とアギュロンは思った。
だからこそ国王シャルルは、端正な顔に嗜虐的な冷笑を浮かべているのだ。
まるで「お前達が余の臣下を殺したように、余もまたお前達を殺せるのだぞ」と言っているかのように。
事実として目の前の令嬢には、それを為せるであろう凄みがある。
冷然と佇み紅玉の瞳に刃の輝きを湛え、燃えるような赤毛に闘志を漲らせているのだから……。
なーんて思ってしまうアギュロンは、完全にビビっている。ヴィルヘルミネに闘志なんて、一ミリグラムも無いのだ。完璧な誤解であった。
しかし、そんな誤解に追い打ちをかける人物が、もう一人いる。令嬢よりも下段に立つ、黄金色の巻毛をした女だ。
その名をアデライード――親しい者にはアデリーと呼ばれる、本来は気さくな美女だった。そんな彼女が今は厳しい声で、詰問するような口調で言う。
「アギュロン殿には――ヴィルヘルミネ様が何を仰りたいのか、十分過ぎるほど分かっているようだな」
「……むろんのことにございます」
「分かっているのなら、ここにデルボアを連れてきたらどうだ? そも、ヤツとて陛下の臣ではないか。それとも何か、後ろ暗いところでもあるというのか?」
「いえ……その、もしも委員長をお連れすれば、陛下におかれましては、必ずや三身分の平等を宣言して頂けますのでしょうか?」
恐る恐るアギュロンが言うと、シャルルは鷹揚に頷いた。
それが落としどころであろう――そう考えたからだ。
何より王都でこれ以上、誰かが死ぬという話を彼は聞きたくなかったのである。
「このランスが平和で豊かな国に戻るというのなら、それも仕方があるまいよ」
だが王の思惑に反して、事態はまだ収束しない。
二大臣を殺害した民衆に手を伸ばす、軍閥の影があった。
軍閥の指導者はグスターヴという少壮の中将で、非常に冷酷な男だ。
彼が群衆を十人委員会の統制から離し、そして「血の一週間」は六日目に突入する。
この日だけで過去の五日を凌駕する程の血が流れることを、今はまだ誰も知らないのであった。
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