第72話 断固たるヴィルヘルミネ
「血の一週間」五日目のこと、ようやく王宮に十人委員会からの手紙が届いた。これを持参したのはマクシミリアン=アギュロンとオーギュストの兄、ファーブル=ランベールである。
彼等自身、待ちわびた書面だ。遅くとも昨日には用意されると思っていたのに、委員長のデルボアからファーブルに書面が渡されたのは、なんと今朝のことであった。
時間を引き延ばした意図は、彼等も気付いている。この間にも王都では千人近くが死んでおり、通算すれば死傷者は五千人を超えていた。
その中にはデルボアの政敵も含まれているのだから、勘繰るなという方が無理であろう。
謁見の間に通された二人は忸怩たる思いを抱きながらも、豪奢な椅子に座る国王を前に頭を垂れる。そしてアギュロンは、粛々と手紙を読み上げた。
ともかく国王を味方に付けねば、革命の大義も未来も無い。だから彼は表情を消して、忠臣の如く振舞わねばならないのだ。むろんアギュロンの胸の内は、嵐の大海原の如く荒れ狂っていたが。
「――つまり陛下の権利は一切、損なわれることはございません。ただ貴族、聖職者達の権利を我等平民と同等にして頂きたい、ということにございます。
この件につきましては陛下におかれましても、ご賛同頂けるものと我等一同、確信致しております」
「身分を問わぬのは、三部会議員だけの話と聞いていたが?」
「いえ、陛下。ここまで民衆が荒れ狂っている以上、我等だけの措置では収まりますまい」
「……それもそうか、うむ」
「特に貴族達は、陛下に幾度も煮え湯を飲ませたとか。悪い話では無いと存じますが……」
紅の絨毯に片膝を付き、頭を垂れたままアギュロンが語る。その僅か後ろで、ファーブルも同じく頭を垂れていた。
武官の列の中に、そんな兄を見つめるオーギュストの姿がある。冷たい視線だ。革命派は、国王を利用しようとしているだけでは無いのか――と、彼は思っている。
いや――正直なところ国王が利用されようと、オーギュストは一向に構わない。だが王権が失墜する時、その守護者たるアデライードはどうなるのか、それだけが気がかりなのだ。
「と、いうことだが――どう思うね、ミーネ」
国王は玉座の横に立ち、元帥杖をジーッと見ていた赤毛の令嬢に問う。
王は聡い。彼女の武威を慕い、バルジャンとオーギュストがやってきたことも分かっている。であればこの場においては、自身の言葉よりも彼女の言葉こそが革命派を恐れさせるであろうことを知っていた。
と――いうより、このような話を革命派が持ってきたこと自体、赤毛の令嬢を恐れてのことであろう。
そうでなければ今頃彼等は群衆と共に宮殿へ押し入り、有無を言わさず要求を突き付けてきたはずだ。
だからヴィルヘルミネの真意――或いは考えを革命派の使者たちに聞かせることは、とても重要なのであった。
実際、アギュロンとファーブルの肩がピクリと震えている。
しかしヴィルヘルミネは、アホの子だ。この時も「余、この杖、ぜんぜん振っておらんのお?」なんて思いながら元帥杖を見つめていただけであった。
そんなわけで令嬢は、アギュロンの顔もファーブルの顔も見ていない。多分ファーブルの顔を見たら、「ふぁああああああ! 九十二点じゃあああああ!」と、大興奮に違いなかったのだが。他に意識を持っていかれると、周りを見ないヴィルヘルミネなのであった。
「ミーネ?」
なのでもう一度、シャルル王がヴィルヘルミネに問う。
――ファ!? なんじゃ!?
全然意識していなかった赤毛の令嬢は、びっくりして杖をパシッ――と、思わず手の平に打ち付けた。それが痛くて顔を顰め、ただでさえ冷徹そうな顔に凶悪さが広がっていく。
アギュロンとファーブルが、更に身を硬くした。
――どう思うって言われてものう……あ、そうじゃ。なんで書面が届くのに時間が掛かったのか、聞いておくのじゃ! 書面なんてヘルムートだったら、五分で作るのじゃ。それが二日も掛かるなんて、解せぬからの!
赤毛の令嬢は、あえてシャルルが触れなかった話題を口にする。
仕方がない――ヴィルヘルミネには、空気など読めなかった。
それどころか大人の事情による駆け引きなど、お子様には関係ないのだ。
それに今チラッと見たアギュロンは、お世辞にもイケメンとは言えない。顔面点数七十点とギリギリだから、遠慮するには及ばなかった。なので赤毛の令嬢は、言いたいことを言う。
「――なにゆえ卿等は、この願いを伝える手紙を持参するに二日を費やしたのじゃ? 随分と時間が掛かったではないか。この遅さ――余には到底、解せぬのじゃが……、じゃが?」
■■■■
ヴィルヘルミネは高度に政治的な駆け引きを、ぶっちぎってのけた。本来ならば双方が口の端に乗せず、互いの腹を探り合うところであるにも関わらず。
しかしだからこそ、アギュロンとファーブルは心の底から震え上がったのだ。
事実として彼等が遅れたのには、大きな理由があった。
むろんそれは十人委員会の下した決定で、彼等とて忸怩たる思いを抱えている。
何しろ、この間を利用して委員長デルボアが、政敵たる王政府の大臣を群衆に殺害させたのだ。
股肱とも言える大臣達を殺した後、国王にこの提案をする――そういう画策を、デルボアはしたのであろう。
しかし国王は
だというのに令嬢がこれを問うということは――即ち断罪である。
アギュロンは令嬢の行動に、罪人共と和解する必要など認めぬという、断固たる正義の意志を感じた。
――だが、今や民衆十万を暴徒として抱える我等に対し、ヴィルヘルミネの持つ兵力はバルジャン、オーギュストの部隊を加えても三千と少し。
これで十万人の暴徒を抑え込み、我等を無力化し、罪に問える力があると言うのか?
アギュロンは考え、そして結論に至る。
――いや、出来るのだろう。少なくとも、その算段がなくば今ここで、我等を揺さぶったりはすまい。しかも、あの娘、笑っている……!
ちなみにこの時ヴィルヘルミネは、何か変なこと聞いたかな? と思い、愛想笑いを浮かべていた。それがまた唇を強引に横へ広げ、三日月のような口元になっているから、周りの目にはとても怖く見えるのだ。
他国の王宮だからと気を遣う赤毛の令嬢なのだが、それが見事に裏目っている。
だから、ゴクリ――アギュロンは固唾を飲んでヴィルヘルミネを見た。
――ここで答えを誤れば、革命は十年は遅れる。おのれ、ヴィルヘルミネ……!
今、革命の志士アギュロンの目には赤毛の令嬢が、まるで魔王のように見えているのだった。
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