第70話 ダントリクの縦陣


 バルジャンから周辺の地図と配置図を受け取ったダントリクは、ほんの十数秒それを見てから事も無げに言った。


「決めただ――前進するべ」

「前進ってダン坊――前は群衆が溢れ返ってるんだぞ!?」

「だから、突破して前進だべ」

「大砲はダメだって言ったろ! 撃たなきゃ突破出来ねぇ!」

「……大砲はダメでもマスケットなら、いいんだべ?」

「相手も銃で武装してるんだから、それは許容範囲内だが……」

「なら――突破するべ。中佐、オラに任せてくれるんだべ?」

「いや、そりゃ任せるって言ったがな……いいか、ダン坊! 相手をよく見ろ! 明らかにこっちより多いだろ! 銃なんか持って突っ込んでも、すぐ囲まれて潰されちまうよ! ここは方陣で防御しつつ狼煙を上げて、救援を待つのが上策なんだって! 学校で習わなかったか!?」

「習っただ。でもそれは、敵よりも兵力の多い援軍が到着する場合に限り、有効なんだべ。今そんなことをしたら、救援に来た部隊と一緒に囲まれるだけなんさ。そうなるくらいなら、ホラ――二つ目の路地の先に、ランベール大尉の部隊があるべ? オラは前進してこの部隊と合流し、部隊を強化しつつ宮殿へ向かった方がいいと思うだが」


 ダントリクの提案に、バルジャンは眉を開いた。

 確かに宮殿へ急いで向かうなら、数は少ない方がいい。しかし到着したあと、少なすぎるのも困りものだ。


 その意味で大隊を率いるオーギュスト=ランベールと合流することは、悪くない考えだった。まして彼は先のいくさで共に戦い、知らない仲では無い。

 しかも彼はランス軍切っての俊英であり、近くにいてくれれば大変に心強い存在である。


 ――とはいえ問題は、群衆を突破する方法だ。


 ダントリクは事も無げに言うがマスケットを撃ってから着剣、突撃しても、兵力に勝る相手に出血を強いるだけであろう。到底、突破には至らない。それどころか突撃に失敗した兵は囲まれ、すり潰されるだけだ。


 だからと言って着剣せずに突撃しても、二列横陣の射撃速度は三十秒に一発ていど。これでは、その間に敵の接近を許してしまう。

 ましてや銃剣バヨネットを装着していない兵など、敵の鉈や斧で頭を割られてしまうだけだ。これでは味方に無駄な損失を強いるだけで、やはり突破は叶わないだろう。


「ダン坊――ランベールのヤツと合流したいのは山々だが……」

「じゃあ、行くべ」

「無理だ。ダン坊……やっぱり敵を突破出来るとは思えねぇ。火力も兵力も足りないし、大砲を使う訳にもいかんからな。おまけに俺達は騎兵でもない――ときたもんだ」

「バルジャン中佐は、何か勘違いしているだ。突破することに関してオラは、何も問題にしてねぇ。突破して何処へ行くか――そのことを中佐に相談したかっただけだ」

「な……に?」

「向かう先は、ランベール大尉の所でいいだな?」

「おう――そりゃいいが、問題は突破の方法だって――……」

「だからそれはヴィルヘルミネ様のようにやって見せろと、中佐はオラに言ったでねぇか」

「ああ……言った」

「出来るだ……縦陣を作れば、簡単に」


 ■■■■


 縦陣――といえば、機動力特化の陣形であった。敵の弱点などを強襲する際には使うが、横陣に比して爆発的に攻撃力が増すとは当時、考えられていない陣形である。


「ん? 縦陣――なんだ、そりゃ? 機動力を増して、どうするんだ?」


 ダントリクは分厚い眼鏡のブリッジ部分に指を添え、「今の時代――縦陣で増すのは、機動力だけじゃ無いべ」と前置きをして説明を始めた。


「縦陣を展開したまま、射撃しつつ前進するだ。そうすれば兵士一人当たりの銃弾の装填時間を六十秒として計算した場合、十の列があれば六秒間隔で射撃が可能だべ。この圧倒的な火力を利用すれば、敵を蹴散らせるだ。

 ――もちろん中佐の部隊の練度が高ければ、その射撃間隔は更に縮まるべ」

「遅く見積もっても、六秒……!」

 

 バルジャンは固唾を飲んだ。言われてみれば、理論上は不可能ではない。

 しかし六秒とは、全力で群衆が突っ込んでくれば、突破も許しかねない時間である。ギリギリだ。

 となれば、この陣形は確実に命懸けとなるだろう。

 味方にこれが出来る勇気があるか――敵にこらを突き崩す勇気があるか――。


 敵に勇気が無ければ、三度も射撃を繰り返せば算を乱すだろう。

 そして六度で霧散する。いくさとは、そういったものだ。


「ダン坊――お前が、そんな運用方法を考えたのか?」

「いんや……ヴィルヘルミネ様がやっているのを見ただ。理論上は兵が前進する時間分のロスしか無くて、だから訓練すれば五秒に一回斉射しつつ、一分間に八十メートル前進出来ると言ってただが、あの時は上手くいかなくて怒っていただな………」

「マジか、ヴィルヘルミネ様でも上手くいかねぇのに……俺なんて訓練もしていないぞ……」

「相手も訓練を積んでいない民衆だべ……見たことの無い戦い方を見せられたら、きっと退くと思うんさ」

「そうか……確かにそうだな。しかし――流石はヴィルヘルミネ様。こんな戦術まで生み出すとは……」


 むろんヴィルヘルミネがこんなことを考えたのは、沢山撃ったら楽しそうだから――という理由だ。しかも彼女は元来から数学が得意なので、効率的に連射が可能な方法を遊び感覚で考え出してしまった。

 それで済めば可愛いものだが、ヴィルヘルミネの場合は机上の空論を実践する為、砲兵科を総動員して検証を始めたのである。


 結果、砲兵科に歩兵の真似事が出来る筈も無く――ヴィルヘルミネはプンスコとブチキレたのだった。


 しかしダントリクは、そんな令嬢の歩兵運用を見ると、慌てて話を聞きにいったのである。

 そもそもが戦史研究が専門であったダントリクだから、ヴィルヘルミネの戦術における先見性には大変に目を見張った。だからこそ彼もまた、赤毛の令嬢を「天才だ!」と確信して、勘違いしてしまう一人になってしまったのだ。


 バルジャンは部下の中隊長を呼び、陣形を縦陣に組み替えて、突撃を敢行するよう指示を与えた。

 その際の注意点は、絶え間ない射撃だ――と伝えている。


 本来縦陣で突撃する時、それは銃剣による肉弾戦であった。だから中隊長は銃撃しながらの突撃に当初難色を示したが、やってみると敵の反撃が無く、味方に被害を出さずに済んだ。

 これに気をよくしたバルジャン連隊は、三度ほど縦陣による攻撃を繰り返したのだった。


 敵も最初は反撃を試みたが、すぐに次弾が放たれる為、及び腰になる。

 ましてや群衆の側は、装備が貧弱だ。しかも単一の指揮系統を有している訳ではないから、不利と見れば当然、恐慌状態に陥ってしまう。

 何より彼等には、ここで踏み止まって戦う理由など元より無かったのだ。


「撤退だ! 退けーッ!」


 群衆は、算を乱して逃げ散った。

 また後方から伯爵を迫っていた群衆も、バルジャン連隊の恐るべき戦法に尻込みをしている。敵が方向転換をして、銃口を向けてくることが恐ろしかったのだ。

 

 こうしてバルジャンは敵を一掃し、ホテルを拠点に睨みを利かせていたオーギュスト大隊と無事、合流を果たしたのだった。

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